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上毛野最後の「王」の矜持を感じる蛇穴山古墳

最終更新日:2015年11月23日

 

 前回の記事はこちら

 

 宝塔山古墳では見事な石室と出会えて嬉しかったですが、次の蛇穴山古墳はどうでしょうか。

 

概要

 

ふりがな じゃけつざんこふん
住所 群馬県前橋市総社町総社1587-2

交通 JR上越線群馬総社駅下車、徒歩約25分(地図上での計測)
史跡指定 国指定史跡
史跡名:蛇穴山古墳
指定日:昭和49年(1974)12月23日
現況 山林/墓地
築造時期 7世紀末から8世紀初頭
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 一辺約39m(現地説明板)
墳丘高 約5.5m(昭和10年時点)
葺石 あり なし
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置  
掘り方 竪穴式 横穴式
石室・槨 両袖型、截石切組積石室
規模 不明
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明
人骨 不明
副葬品 不明
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
約20m
中島 あり なし
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年5月4日(月)
天候 晴れ
探訪ルート 【5月4日】
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 宝塔山古墳および光巌寺 → 蛇穴山古墳 → 総社城 → 遠見山古墳 → 山王廃寺 → 上野国分尼寺 → 国分寺館(ガイダンス施設) → 上野国分寺 → 妙見社 → 上野国府および蒼海城 → 総社神社 → 石倉城 → 王山古墳 → 前橋城 → 上野国府八幡
【5月5日】
天川二子山古墳 → 前橋八幡山古墳 → 前橋天神山古墳 → 飯玉神社古墳 → 亀塚山古墳 → 金冠塚古墳 → 文殊山古墳 → 阿弥陀山古墳
【5月6日】
砂町遺跡 → 高崎市歴史民俗資料館 → 元島名将軍塚古墳 → 元島名城 → 高崎情報団地遺跡 → 大類城
同道者 なし

上毛野王国最後の光芒

 

 蛇穴山古墳は宝塔山古墳のすぐ隣のような位置なので、とくに迷うことなく向かうことができますが、路傍のスペースに「鐘楼旧跡」という石碑が立っているのを見つけました。

 

光巌寺鐘楼旧跡

写真1 光巌寺鐘楼旧跡

 

 光巌寺の鐘楼は元々ここにあったということなんでしょうね。

 

 そしてすぐに蛇穴山古墳が。

 

蛇穴山古墳

写真2 蛇穴山古墳

 

 南側に回ります。

 

 おっと、期待できそうな石室開口部だ!

 

石室開口部

写真3 石室開口部

 

 ここにも説明板があります。

 

説明板

写真4 説明板

 

 周溝跡。

 

周溝跡

写真5 周溝跡

 

 といっても何も見えません。

 

 それでは石室をのぞきます。

 

石室

写真6 石室

 

 先ほど見た宝塔山古墳の石室は、羨道・前室・玄室の3部屋から構成されていましたが、こちらは家でいえば玄関外側にあたる前庭部分から中に入ると、羨道の代わりのようないたって短い通路があって、その奥はもう玄室です。

 

 言ってみれば、ワンルームみたいなものです。

 

 でも写真の通り、玄室の壁や天井は1枚岩なんですね。

 

 左右の壁面は長さが3mもあります。

 

 『群馬県史 資料編3 原始古代3』では、県内でもっとも精巧な石室と評しており、小さいながらもゴージャスな石室と言えます。

 

 さて、石室から出ます。

 

 古墳の東から南にかけては細い水路がめぐっているのですが、これは五千石用水と呼ばれています。

 

五千石用水

写真7 五千石用水

 

 慶長12年(1607)に、天狗岩用水から引水され、領内の5000石に相当する範囲をカヴァーしたことからその名がついたとされていますが、実は天狗岩用水ができる前からすでに存在し、総社城の水堀に水を引く役目を担っていたともいわれています。

 

 ところで、蛇穴山古墳は写真4の図では基壇のようなものの上に単純に1段の墳丘があるように描かれていますが、実際の墳丘は北側がこのように2段になっています。

 

墳丘北側

写真8 墳丘北側

 

 しかし、『群馬県史 資料編3 原始古代3』によると発掘調査の結果、少なくとも南側の石室開口部は3段築成だったことが分かっており、現在見られる墳丘の形はだいぶ改変されてしまっているようです。

 

 総社古墳群はこの蛇穴山古墳の築造を最後に造営が終わります。

 

 時代はすでに奈良時代になるかならないかの時期で、その時期にこれだけ巨大な古墳が築かれたということには驚きを禁じ得ません。

 

 もしかしたら築造に当たっては朝廷から問題ありということでいろいろと言われたかも知れませんが、ここ上野の国造の系譜を引く被葬者は、先祖代々の遺風を墨守して古墳を造営したのかもしれませんね。

 

 上毛野最後の「王」の矜持を私は感じます。

 

蛇穴山古墳

写真9 蛇穴山古墳

 

 すぐ隣には宝塔山古墳が見えます。

 

宝塔山古墳

写真10 宝塔山古墳

 

 二つの距離はこんなに近いのです。

 

二つの距離

写真11 二つの距離

 

 宝塔山古墳と蛇穴山古墳の築造時期はほとんど一緒みたいなので、もしかしたら王の夫婦とか兄弟じゃないかなあと思ったりもします。

 

 そんな総社の古代に思いを馳せている状態から次は一気に時代を900年進めて、近世の総社城跡を探りますよ。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『前橋市史 第一巻』 前橋市史編さん委員会/編 1976年
  • 『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
  • 『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
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