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総社城の物見櫓の土台として再利用された遠見山古墳

最終更新日:2015年11月10日

 

 前回の記事はこちら

 

 説明板を見て近世の総社城に思いを馳せた後は、総社城の物見櫓が立っていたと伝わる遠見山古墳へ向かいます。

 

遠見山古墳諸元

 

概要

 

ふりがな とおみやまこふん
住所 群馬県前橋市総社町総社字給人城川甲1410他

交通 JR上越線群馬総社駅下車、徒歩約25分
史跡指定 前橋市指定史跡
史跡名:遠見山古墳
指定日:平成22年(2010)3月19日
現況 古墳
築造時期 6世紀初頭(説明板)
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約80m(現地説明板)
墳丘高 後円部約m/前方部約m
葺石 あり なし
埴輪 あり なし
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重
中島 あり なし
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

埋葬主体

 

位置  
掘り方 竪穴式 横穴式
石室・槨  
規模 全長約m/幅約m
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺
人骨  
副葬品  
見学 可能 不可能

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2013年5月4日(月)
天候 晴れ
探訪ルート 【5月4日】
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 宝塔山古墳および光巌寺 → 蛇穴山古墳 → 総社城 → 遠見山古墳 → 山王廃寺 → 上野国分尼寺 → 国分寺館(ガイダンス施設) → 上野国分寺 → 妙見社 → 上野国府および蒼海城 → 総社神社 → 石倉城 → 王山古墳 → 前橋城 → 上野国府八幡
【5月5日】
天川二子山古墳 → 前橋八幡山古墳 → 前橋天神山古墳 → 飯玉神社古墳 → 亀塚山古墳 → 金冠塚古墳 → 文殊山古墳 → 阿弥陀山古墳
【5月6日】
砂町遺跡 → 高崎市歴史民俗資料館 → 元島名将軍塚古墳 → 元島名城 → 高崎情報団地遺跡 → 大類城
同道者 なし

 

江戸期の武士は古墳を見て何を思ったか?

 

 総社城の説明板から今度は南の方向に向けて、住宅街の中をニョロニョロ歩きます。

 

 すると、遠くに墳丘らしきものが見えました。

 

遠見山古墳の遠景

写真1 遠見山古墳の遠景

 

 あれに違いないので、ショートカットして空き地を進みます。

 

 しかし畑の跡のような感じで、足がかなり土に埋まります。

 

 今回の3日間の探訪で数少ないトレッキングシューズが役立った場面ですが、トレッキングシューズを履いて町歩きをしたことにより、この後大変なことになるとはこの時は思ってもみませんでした。

 

 墳丘の前に来ました。

 

遠見山古墳

写真2 遠見山古墳

 

 きれいな花が咲いていますね。

 

花

写真3 花

 

 どういうわけか、古墳と花ってとても良い組み合わせに思えます。

 

花

写真4 花

 

 あ、でもこの花は墳丘に咲いていたものではなく、古墳の敷地内に咲いていた花です。

 

 墳頂に登ります。

 

墳頂

写真5 墳頂

 

 墳丘は前方部が低いタイプです。

 

 墳丘から周溝跡を見下します。

 

周溝跡

写真6 周溝跡

 

 周溝は10mから20m程の幅で残っているそうです。

 

 現地の説明板では6世紀初頭ごろの築造と推定していますが、総社二子山古墳のページでも述べた通り、総社古墳群は、王山古墳、総社二子山古墳、愛宕山古墳、宝塔山古墳、蛇穴山古墳という順で造られたことが分かってはいるものの、遠見山古墳は調査がされておらず、形状からの推測および王山古墳と総社二子山古墳の築造時期が少し空いていることから、湮滅した王河原山古墳とともに、そこに入りこむと推定されています。

 

 何でこの古墳は調査しないんでしょうかね?

 

 地権者の絡みとかいろいろあるのかも知れません。

 

 それではここで一旦総社古墳群から離れて、直線距離で1.5kmほど南西にある山王廃寺へ向かいましょう。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
  • 『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
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