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古代上毛野の有力者・朝倉君の陵墓か?天川二子山古墳

最終更新日:2015年11月23日

 

 2015年GW上毛野探訪1日目の記事はこちら

 

 2015年GW上毛野探訪の2日目。

 

 昨日は21時半には寝てしまいましたが、とても快適に眠れて、起きたのは6時20分でした。

 

 今回は朝飯付の宿泊プランにしたので、食堂へ行き、朝からお腹いっぱい食べます。

 

 バイキング形式の場合、私はお米を食べてそのあとパンも食べます。

 

 完全なる野菜不足の私は、こういうときにここぞとばかりに野菜を食べるのですが、レンコンのきんぴらが特に美味しかった。

 

天川二子山古墳諸元

 

概要

 

ふりがな あまがわふたごやまこふん
住所 群馬県前橋市文京町3-329-2

交通 JR両毛線前橋駅下車、徒歩約30分(実測)
史跡指定 国指定史跡
史跡名:二子山古墳
指定日:昭和2年(1927)6月14日
現況 二子山児童公園
築造時期 6世紀前半〜7世紀初期(説明板)
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約104m(現地説明板)
墳丘高 後円部約10.6m/前方部約10m(昭和10年時点)
後円部約11m/前方部約9.5m(説明板)
葺石 あり なし
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置  
掘り方 竪穴式 横穴式か(未調査)
石室・槨 不明
規模 不明
割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明
人骨 不明
副葬品 不明
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
中島 あり なし 不明
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年5月5日(火)
天候 曇り
探訪ルート 【5月4日】
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 宝塔山古墳および光巌寺 → 蛇穴山古墳 → 総社城 → 遠見山古墳 → 山王廃寺 → 上野国分尼寺 → 国分寺館(ガイダンス施設) → 上野国分寺 → 妙見社 → 上野国府および蒼海城 → 総社神社 → 石倉城 → 王山古墳 → 前橋城 → 上野国府八幡
【5月5日】
天川二子山古墳 → 前橋八幡山古墳 → 前橋天神山古墳 → 飯玉神社古墳 → 亀塚山古墳 → 金冠塚古墳 → 文殊山古墳 → 阿弥陀山古墳
【5月6日】
砂町遺跡 → 高崎市歴史民俗資料館 → 元島名将軍塚古墳 → 元島名城 → 高崎情報団地遺跡 → 大類城
同道者 なし

 

墳丘が良好な状態で保存されている広瀬古墳群最後の前方後円墳

 

 そろそろ出発しようと思いますが、足が相変わらず痛いので、どうなっているのかな?と思いかかとを見てみると、何と両足ともかかとにでっかいマメができています。

 

 ここまで大きいと、マメというよりかは水ぶくれみたいだ・・・

 

 やはりトレッキングシューズでアスファルトの上を長距離歩いたのは無謀だったようです。

 

 とりあえず絆創膏を貼って、さらに手持ちがあと1枚になってしまったので、フロントに行って3枚もらってきました。

 

 当初の計画では、今日は上野国府の南門と思われる場所へまず行ってから、そこから南へ向かい、高崎市の元島名将軍塚古墳のあたりで今度は東へ向かい、夕方には伊勢崎市内のホテルに入る予定でした。

 

 つまりL字に移動です。

 

 しかし、この足の痛みではちょっと無理です。

 

 どうしようかなあ・・・

 

 仕方がない、今日は群馬県立図書館に一日籠って資料調査をしよう。

 

 8時過ぎに前橋カントリーホテルを出ます。

 

前橋カントリーホテル

写真1 前橋カントリーホテル

 

 前橋駅北口に来ました。

 

 図書館へはバス移動なので、とりあえずバス停のベンチに腰掛けてバスを待ちます。

 

 しかし、せっかく上毛野に来て、たかだかマメができた程度で見たいものを見ないのも何だかなあ・・・

 

 そう思うと、無理しない程度に広瀬川右岸に展開する広瀬古墳群を見てみようと心を決めます。

 

 ゆっくりと歩き出し、南口へまわります。

 

前橋駅南口

写真2 前橋駅南口

 

 おっと、家系のラーメン屋発見。

 

 実は昨日の夜、ホテルの部屋にあった周辺のお食事処マップにこのお店は載っていたのですが、昨日の夜の時点でたかだか5分歩くのも困難なほど足が痛くなっていたのです。

 

 おそらく南口で唯一のラーメン専門店だと思いますが、今度前橋に泊まったときは食べてみます。

 

 けやきウォークというショッピングモールの横を南下し、「天川原町」交差点を左折、しばらく歩くと前方左側にこんもりとした森が見えてきました。

 

天川二子山古墳遠望

写真3 天川二子山古墳遠望

 

 きっとあれに違いない。

 

 近づいてきます。

 

近接

写真4 近接

 

 やっぱりそうでした。

 

 天川二子山古墳は二子山児童公園の中にその墳丘を横たえています。

 

天川二子山古墳

写真5 天川二子山古墳

 

 お、さすがは国史跡、立派な説明板があります。

 

 天川二子山古墳は、前橋二子山古墳とも呼ばれたりしますが、「天川」の方で名前が通っているようです。

 

 説明板によると、墳長104メートルの前方後円墳です。

 

説明板の図

写真6 説明板の図

 

 前方後円墳のデザインの魅力の一つは、前方部の側面の麓から後円部を見た時の「くびれ」でしょう。

 

くびれ

写真7 くびれ

 

 古墳ガールは前方後円墳の平面形が可愛いと言いますが、やはり我々男子はこのくびれに色気を感じるはずです。

 

 色気って、ここは墓ですぞ!

 

 国指定史跡を示す立派な石柱。 

 

国指定史跡の標柱

写真8 国指定史跡の標柱

 

 さあ、墳頂に登りましょう。

 

 まずは前方部に登ってみました。

 

前方部墳頂

写真9 前方部墳頂

 

 ところで、前方後円墳の形はどうしても丸い方が頭に見えてしまうのですが(「古墳ギャルコフィー」みたいに古墳をキャラクター化すると必ずそうなる)、一応は四角い方が前ということになっているのです。

 

 実際当時の人がどう考えていたかは分かりませんが、最近までは丸い方に埋葬主体(遺体を納める場所)を設けるのが通常だと思われており、やはり遺体がある場所は「奥」と考えるのが一般的なので、丸い方が「後円」と呼ばれてしまったのかもしれません。

 

 でも古墳によっては前方部にも埋葬主体があるんですよね。

 

 ただし、高さから行ったら丸い方が高いので、そう考えるとやはり、四角い方が前のような気もします。

 

 前方部から高い方である後円部を見ます。

 

前方部から後円部を見る

写真10 前方部から後円部を見る

 

 この構図も私が好きなアングルの一つです。

 

 なぜ好きか説明すると変態だと思われるので、聴きたい方は直接私にお訪ねください。

 

 ちなみに説明板によると、前方部の高さが9.5mなのに対し、後円部は11mで、その差は1.5mしか無いのです。

 

 説明板によると築造年代は6世紀前半から7世紀初期とかなり幅を取っていますが、前方部が高いことからおおよそこの通り、後期古墳であることは形状から分かりますね。

 

 墳丘は川原石で葺かれており、説明板によると保護のためにその上に薄く土を盛っているそうですが、ところどころ葺石が顔をのぞかせています。

 

 前方部から西の方の山々を望見すると、麓には群馬県立文書館があります。

 

前方部から西を見る

写真11 前方部から西を見る

 

 非常に興味のある施設ですが、文書館の近辺からは周溝の跡が発見されています。

 

 ただ、周溝の全体規模など詳細は分かっていないようです。

 

 次に後円部に登ります。

 

 後円部からは北の山々が見えますね。

 

後円部から北を見る

写真12 後円部から北を見る

 

 後円部墳頂。

 

後円部墳頂

写真13 後円部墳頂

 

 おっと、マニアにはたまらない三角点!

 

三角点

写真14 三角点

 

 「点」の旧字に注目!

 

 今度はさっきとは反対に、後円部から前方部を見ます。

 

後円部から前方部を見る

写真15 後円部から前方部を見る

 

 こう見ると前方部が高く見えますが、さきほども言った通りあまり高低差がないからで、後円部の方が少ーし標高があるんですよ。

 

 それでは墳丘から降ります。

 

 2段築成の段の部分ではジョギングをしている人がいました。

 

2段築成

写真16 2段築成

 

 おっと、公園内に大事なものが・・・

 

忘れ物

写真17 忘れ物

 

 昨日遊んで、忘れて行ってしまったんでしょうね。

 

 少なくとも家に着いた時点で忘れたことに気づいたはずだと思いますが、早く取りに来て欲しいな。

 

 今のところ、足の痛みは我慢できないほどでもないので、引き続きゆっくりと古墳めぐりをします。

 

 次は、東国最古級の古墳の一つである前方後方墳の前橋八幡山古墳です。

 

 次回の記事はこちら

 

天川二子山古墳と朝倉君

 

 広瀬古墳群というのは、『前橋市史 第一巻』の定義によると、前橋旧市域の古墳、朝倉古墳群、後閑古墳群、山王古墳群の4地域の古墳群の総称で、戦前には150を超える古墳が現存していました。

 

 実は、「古墳群」という定義は難しく、延々と数キロに渡って古墳が続いている場合、どこからどこまでを「群」とするのか決めにくいのです。

 

 現在「広瀬古墳群」に含まれている古墳は、渋川市で利根川から分かれた広瀬川の流域のうち、前橋市街地以南の広瀬川右岸にある古墳群です。

 

 その地域には広瀬という地名は見当たりませんが、「広瀬古墳群」という名称が定着しているので、私もそのまま使用しています(ただし、前橋市のパンフレットでは「朝倉・広瀬古墳群」と呼んでいます)。

 

 『前橋市史 第一巻』では、天川二子山古墳は 旧市域と朝倉古墳群の中間にあって、どちらに属して良いか決しかねるとしていますが、もちろん古代においてはそのような町名区割りはないわけで、この地は承平年間(931〜938)に成立した『倭名類聚抄』に記載された上野国那波郡の朝倉郷の範囲であると考えられます。

 

 『倭名類聚抄』に記載されているということは、朝倉という地名は古い地名であるわけですが、実はもっと古い『日本書紀』「孝徳紀」の大化2年(646)3月2日の条に、朝倉君という人物が登場するのです。

 

 朝倉君といっても「あさくらくん!」ではないですよ。

 

 「君」というのは身分の高い人に与えられる姓の一つで、朝倉君という人物は朝倉という土地を治めることを朝廷から認定されている地元の豪族ということになります。

 

 その朝倉君は、前年に東国に派遣された国司が要求するままに馬や武器、それに布を差し出したのですが、要求自体は国司による権力をバックにした不当行為であるにも関わらず、それに応じられたということは朝倉君はかなりの財力を持っていたと考えられます。

 

 もっとも、646年の時点で「国司」という名前の官職はなかったはずですが、『日本書紀』は編纂された8世紀前葉の用語で内容を記述していますので、646年の時点で上野方面に派遣された中央の官人が地元の有力者である朝倉君に不当な要求をしたことがあったのは事実として考えてよいでしょう。

 

 その朝倉君ですが、天川二子山古墳の説明板では、当古墳は朝倉君の陵墓ではなかったかと推定していますが、『日本書紀』に登場する朝倉君の祖父とかその辺の人物の墓であった可能性はあると思います。

 

 ちなみに、天川二子山古墳がある場所は現在では天川という住所ですが、「旧町名への旅 天川町・新町・高田町」によると、天川という地名は、利根川を「天の川」になぞらえ、その両岸をそう呼んだとの説があり、戦国期にはすでに天川という地名がありました。

 

 江戸期以降は天川村と呼ばれ、明治22年に前橋町に合わされ、明治25年に前橋町が市制を施行したときに前橋市内の大字になったという経緯があります。

 

 ただし、古代には前述した朝倉郷に含まれていたと考えられます。

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『前橋市史 第一巻』 前橋市史編さん委員会/編 1976年
  • 『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
  • 『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
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