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前方後円墳としては群馬県内で最古級の古墳・前橋天神山古墳

最終更新日:2015年11月22日

 

 前回の記事はこちら

 

 素晴らしい前方後方墳である前橋八幡山古墳を見た後は、水ぶくれみたいなマメができた足をかばいながら、南東方向に向かいます。

 

 次に見る前橋天神山古墳は、一説には八幡山古墳より古いといわれますが、それは本当でしょうか?

 

前橋天神山古墳諸元

 

概要

 

ふりがな まえばしてんじんやまこふん
住所 群馬県前橋市広瀬町1-27-7

交通 JR両毛線前橋大島駅下車、徒歩約10分
史跡指定 群馬県指定史跡
史跡名:前橋天神山古墳
指定日:昭和45年(1970)12月22日
現況 後円部の一部が残る 
築造時期 4世紀前半(説明板)
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段(前方部) 3段(後円部) 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約129m(現地説明板)
墳丘高 後円部約m/前方部約m
葺石 あり なし
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置 後円部
掘り方 竪穴式 横穴式
石室・槨 粘土槨
規模 全長7.8m、幅1.2m
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明
人骨 不明
副葬品 三角縁神獣鏡2面を含む5面の鏡、銅鏃30、鉄製大刀5、鉄剣12、鉄鏃78、鉄斧4、鉄ヤリガンナ8、鉄ノミ3、赤い顔料の入った滑石で造られた小型の壺など(説明板)
粘土槨から出土した副葬品は東京国立博物館に所蔵
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
中島 あり なし 不明
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年5月5日(火)
天候 くもり
探訪ルート 【5月4日】
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 宝塔山古墳および光巌寺 → 蛇穴山古墳 → 総社城 → 遠見山古墳 → 山王廃寺 → 上野国分尼寺 → 国分寺館(ガイダンス施設) → 上野国分寺 → 妙見社 → 上野国府および蒼海城 → 総社神社 → 石倉城 → 王山古墳 → 前橋城 → 上野国府八幡
【5月5日】
天川二子山古墳 → 前橋八幡山古墳 → 前橋天神山古墳 → 飯玉神社古墳 → 亀塚山古墳 → 金冠塚古墳 → 文殊山古墳 → 阿弥陀山古墳
【5月6日】
砂町遺跡 → 高崎市歴史民俗資料館 → 元島名将軍塚古墳 → 元島名城 → 高崎情報団地遺跡 → 大類城
同道者 なし

 

無残な姿になり果てたが、辛うじて残っているだけでも幸運かもしれない

 

 八幡山公園を出て住宅街を歩きだすと、すぐに前面に古墳らしき森が見えてきました。

 

古墳らしき森

写真1 古墳らしき森

 

 前橋天神山古墳だと思われますが、迂回しないとダメですね。

 

前橋天神山古墳か?

写真2 前橋天神山古墳か?

 

 おっと、迂回してみると、さきほどの森は古墳ではなく、墳丘はこんな姿になって辛うじて名残をとどめていました。

 

墳丘残存部

写真3 墳丘残存部

 

 南東側に回ってみると、説明板がありますが、車が止まっていて読みづらいです。

 

説明板

写真4 説明板

 

 現在は後円部が周囲を削られた四角い状態で残っているだけですが、往時はこのように立派な前方後円墳だったのです。

 

平面図

写真5 平面図

 

 全長は129mもあり、群馬県内の前方後円墳としては最古級です。

 

 さきほど訪れた八幡山古墳の説明板では、こちらの方が古いと書いてありましたが、どうも腑に落ちません。

 

前橋天神山古墳

写真6 前橋天神山古墳

 

 とりあえず墳頂に登ってみましょう。

 

 あ、何か鳥がいる。

 

鳥

写真7 鳥

 

 なんていう名前の鳥でしょうか?

 

 墳頂には昔はベンチとかあったのでしょうか?

 

後円部墳頂

写真8 後円部墳頂

 

 とても気持の良い陽気とは裏腹に、屋根だけが残ったように見える光景が少し物悲しいです。

 

 県指定史跡を示す標柱が立っています。

 

標柱

写真9 標柱

 

 標柱には「前橋市天神山古墳」とありますが、正式な史跡名では「市」は入っていないです。

 

 遠くの山を望みますが、ラウンドワンが邪魔ですねえ。

 

ラウンドワンが邪魔

写真10 ラウンドワンが邪魔

 

 ちなみに私はボーリングは20歳の時に1回やったきりです。

 

 その頃私は今以上に非力だったので、ボーリングの球が重くて、その重い球を投げるのが苦痛で、「二度とやらない」と心に決め、それ以来一度もやっていません。

 

 私が子供の頃は結構流行っていたようで、一時は廃れてしまいましたが、また最近やる人が増えたようですね。

 

 まあ、せいぜい頑張ってください。

 

 うわ、何か感じワル!

 

 墳丘から降りてくると、さきほど説明板を塞いでいた車がいなくなっていたので、改めて写真を撮ります。

 

説明板

写真11 説明板

 

 どういった経緯で、国指定史跡級の天神山古墳が上のような姿になったのかは分かりませんが、それでも一部でも残っていて「昔ここにあった」感をアピールしているだけでもよしとしましょうか。

 

 場所によっては巨大な前方後円墳が跡かたもなく消えたりもしますからね。

 

 しかしそれにしても、前方後方墳である八幡山古墳よりも古いとされるのはやっぱり腑に落ちません。

 

 三角縁神獣鏡が出ていることから、初期の前方後円墳と考えられるのかもしれませんが、同じ広瀬古墳群の中で前方後方墳より前に築かれるというのはあり得ないのではないでしょうか。

 

 関東地方のすべての地域において、同じ古墳群で前方後円墳の後に前方後方墳が築造されたという話は聞いたことがありません。

 

 帰ったらよくよく考えてみようと思います。

 

 さて、引き続き広瀬古墳群のなかを彷徨い、飯玉神社古墳を目指してみましょうか。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
  • 『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
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