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飯玉神社古墳

最終更新日:2015年11月22日

 

 前回の記事はこちら

 

 広瀬町1丁目にある前橋天神山古墳の次は、お隣2丁目の飯玉神社古墳を目指します。

 

 飯玉神社古墳は、その名の通り飯玉神社の境内にあるようなので、飯玉神社を目標にすれば簡単にたどり着くことができるでしょう。

 

飯玉神社古墳諸元

 

概要

 

ふりがな いいだまじんじゃこふん
住所 群馬県前橋市広瀬町2-28-1

交通 JR両毛線前橋大島駅下車、徒歩約20分
史跡指定  
現況 墳頂に飯玉神社の社殿
築造時期 6世紀
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段か 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約39m(パンフレット「朝倉・広瀬古墳群」)
墳丘高 約m
葺石 あり なし
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置  
掘り方 竪穴式 横穴式
石室・槨  
規模  
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明
人骨  
副葬品
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
中島 あり なし 不明
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年5月5日(火)
天候 晴れ
探訪ルート 【5月4日】
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 宝塔山古墳および光巌寺 → 蛇穴山古墳 → 総社城 → 遠見山古墳 → 山王廃寺 → 上野国分尼寺 → 国分寺館(ガイダンス施設) → 上野国分寺 → 妙見社 → 上野国府および蒼海城 → 総社神社 → 石倉城 → 王山古墳 → 前橋城 → 上野国府八幡
【5月5日】
天川二子山古墳 → 前橋八幡山古墳 → 前橋天神山古墳 → 飯玉神社古墳 → 亀塚山古墳 → 金冠塚古墳 → 文殊山古墳 → 阿弥陀山古墳
【5月6日】
砂町遺跡 → 高崎市歴史民俗資料館 → 元島名将軍塚古墳 → 元島名城 → 高崎情報団地遺跡 → 大類城
同道者 なし

 

古代の王の墓は今でも地域を見守っている

 

 住宅街の中をウロウロしていると、木々に覆われた墳丘らしきものが現れました。

 

飯玉神社古墳

写真1 飯玉神社古墳

 

 回り込むと飯玉神社の境内に入りこむことができました。

 

石段が見える

写真2 石段が見える

 

 境内の横っちょから侵入したので、二の鳥居が見え、その先に三の鳥居があり、その先から石段が続いています。

 

 飯玉神社古墳は、「神社古墳」という名前が付く多くの古墳と同じく、墳丘の上に社殿があるタイプですね。

 

 石段を上がると、一旦平場に出ました。

 

飯玉神社

写真3 飯玉神社

 

 ということは、2段築成でしょうか。

 

 お、結構立派な石碑があります。

 

 飯玉神社の由緒と、付近の古墳の分布図です。

 

後閑村周辺古墳群分布図

写真4 後閑村周辺古墳群分布図

 

 石碑には「後閑村周辺古墳群」とありますが、一般的には広瀬古墳群と称されています。

 

 この「古墳群」というくくりも実は単純じゃなくて、例えばここの場合は広瀬川(往時の利根川)右岸に延々と古墳が造営されているので、どこからどこまでを古墳群として見るのかが難しいのです。

 

 一応、広瀬町の範囲をひとくくりにすると「広瀬古墳群」と呼びますが、朝倉町までを含めて、「朝倉・広瀬古墳群」としたりします。

 

飯玉神社社殿

写真5 飯玉神社社殿

 

 石碑によると飯玉神社は、保食命(うけもちのみこと)を主祭神として、他に12柱の神様を祀った神社です。

 

 延喜式神名帳に記載されている「正五位上 毛野明神」は当社のことだと考えられるそうです。

 

 飯玉神社はこの周辺地域にいくつかあり、伊勢崎市堀口町の飯玉神社が本宮で、当社は便宜的に後閑飯玉神社と呼ばれているようです。

 

 その後閑という地名ですが、文永3年(1266)の鎌倉幕府関東下知状に「後閑郷」と出ているそうなので、かなり古い地名なんですね。

 

境内にあるご神木

写真6 境内にあるご神木

 

 肝心の古墳自体の詳細なスペックに関しては、今のところよく分かりません。

 

 前橋市が作成したパンフレット「朝倉・広瀬古墳群」によると、直径39mの円墳で、築造年代は、本日の最初に訪れた天川二子山古墳の次で、この後訪れる予定の金冠塚古墳の前になります。

 

 ですから、6世紀の築造でしょう。

 

 それでは通りに出ます。

 

 一の鳥居がありました。

 

一の鳥居

写真7 一の鳥居

 

 団地の中にひっそりとある神社ですが、意外と境内は広かったです。

 

 きっと地域の方々から大事にされているのでしょう。

 

 ここからは通りを歩き、亀塚山古墳を目指しますが、時刻は11時を少し回りました。

 

 8時過ぎにホテルを出てから3時間歩いてきて、足の痛みも段々気になってきました。

 

 でももう少し古墳が見たいので頑張って歩きますよ。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
  • 『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
  • パンフレット「朝倉・広瀬古墳群」 前橋市 ← クリックするとPDFが読めます
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