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亀塚山古墳

最終更新日:2015年11月22日

 

 前回の記事はこちら

 

 今日も朝から歩き始め、3時間ですでに4基の古墳を見ました。

 

 広瀬古墳群には現存する古墳があと数箇所あるので、足の痛みに負けずに見てみます。

 

亀塚山古墳諸元

 

概要

 

ふりがな かめづかやまこふん
住所 群馬県前橋市山王町1-28-3

交通 JR両毛線前橋駅下車、徒歩約40分
史跡指定 前橋市指定史跡
史跡名:亀塚山古墳
指定日:昭和54年(1979)3月26日
現況  
築造時期 5世紀末〜6世紀初頭(パンフレット「朝倉・広瀬古墳群」)
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約60m(現地説明板)
墳丘高 後円部約6.5m/前方部約1.5m(現地説明板)
葺石 あり なし
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置  
掘り方 竪穴式か(未調査) 横穴式
石室・槨 不明
規模 不明
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明
人骨 不明
副葬品 不明
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
中島 あり なし
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし(昭和10年の時点では確認された)
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年5月5日(火)
天候 晴れ
探訪ルート 【5月4日】
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 宝塔山古墳および光巌寺 → 蛇穴山古墳 → 総社城 → 遠見山古墳 → 山王廃寺 → 上野国分尼寺 → 国分寺館(ガイダンス施設) → 上野国分寺 → 妙見社 → 上野国府および蒼海城 → 総社神社 → 石倉城 → 王山古墳 → 前橋城 → 上野国府八幡
【5月5日】
天川二子山古墳 → 前橋八幡山古墳 → 前橋天神山古墳 → 飯玉神社古墳 → 亀塚山古墳 → 金冠塚古墳 → 文殊山古墳 → 阿弥陀山古墳
【5月6日】
砂町遺跡 → 高崎市歴史民俗資料館 → 元島名将軍塚古墳 → 元島名城 → 高崎情報団地遺跡 → 大類城
同道者 なし

 

真横から見ると亀に見えるから亀塚

 

 それにしても、足の痛みが強くなってきました。

 

 通り沿いのベンチで少し休みます。

 

 考えてみれば3時間歩いて、初の休憩です。

 

 一旦靴を脱いで、5分くらい休んだ後また履くと、逆に痛みが強調されたような気がします。

 

 それでは再び歩き出します。

 

 通りから再び住宅街に入ると、「1.6km戻ると前橋天神山古墳があるよ」と記された看板が目にとまりましたが、その横の公園の先にははあきらかに墳丘が見えます。

 

公園の先に墳丘が見える

写真1 公園の先に墳丘が見える

 

 ここまで来て看板に惑わされて1.6kmも戻ってしまうと、亀塚古墳は見つけられない仕組みになっています。

 

 これはラーメン屋とかコンビニの少し手前に、違う店の看板を出す手法と酷似していますね。

 

 あ、いや別にこれは商売じゃないんでいいと思いますが、いくら前橋天神山古墳が立派な古墳とは言え、やはり亀塚山古墳についてももっと分かりやすく掲示してあげると良いかもしれません。

 

 などと、グダグダ考えていると墳丘が明らかになりました。

 

亀塚山古墳

写真2 亀塚山古墳

 

 敷地内に入り、墳頂に登ります。

 

墳頂

写真3 墳頂

 

 亀塚山は一見円墳のように見えますが、実は高さ1.5mという非常に低い後方部がついているのです。

 

墳頂から後方部を見る

写真4 墳頂から後方部を見る

 

 なので前方後円墳なんですよ!

 

 北側には階段があるので、降りてみると説明板と標柱がありました。

 

説明板と標柱

写真5 説明板と標柱

 

 下から前方部を見ても、存在に築かないくらいの低さです。

 

後方部を見る

写真6 後方部を見る

 

 説明板によると、昭和10年の調査の時はまだ周溝があったそうですが、その後の開発によって完全に破壊されました。

 

 ところで、亀塚山古墳は後方部が低く、横から見ると亀のように見えることからそう名付けられたそうですが、「亀」の名前の古墳って結構ありますね。

 

 例えば、群馬県太田市には亀山古墳があり、東京都大田区には亀甲山古墳(かめのこやまこふん)があります。

 

 地域は違っても、昔の人の素朴な感想って共通しているんですね。

 

 それではついで、金冠塚古墳を見ましょう。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
  • 『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
  • パンフレット「朝倉・広瀬古墳群」 前橋市 ← クリックするとPDFが読めます
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