◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

文殊山古墳

最終更新日:2015年11月22日

 

 前回の記事はこちら

 

 金冠塚古墳を見終わると、時刻はすでにお昼。

 

 お腹も空いたし、足も痛いし・・・

 

文殊山古墳諸元

 

概要

 

ふりがな もんじゅやまこふん
住所 群馬県前橋市山王町77

交通 JR両毛線前橋駅下車、徒歩約45分/同駒形駅下車、徒歩約30分(地図上での計測)
史跡指定 なし
現況 墓地
築造時期 5世紀末〜6世紀初頭(パンフレット「朝倉・広瀬古墳群」)
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 直径約50m(パンフレット「朝倉・広瀬古墳群」)
墳丘高  
葺石 あり なし
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置  
掘り方 竪穴式か(未調査) 横穴式
石室・槨 不明
規模 不明
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明
人骨 不明
副葬品 不明
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
中島 あり なし
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

スポンサードリンク


第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年5月5日(火)
天候 晴れ
探訪ルート 【5月4日】
総社二子山古墳 → 総社愛宕山古墳 → 宝塔山古墳および光巌寺 → 蛇穴山古墳 → 総社城 → 遠見山古墳 → 山王廃寺 → 上野国分尼寺 → 国分寺館(ガイダンス施設) → 上野国分寺 → 妙見社 → 上野国府および蒼海城 → 総社神社 → 石倉城 → 王山古墳 → 前橋城 → 上野国府八幡
【5月5日】
天川二子山古墳 → 前橋八幡山古墳 → 前橋天神山古墳 → 飯玉神社古墳 → 亀塚山古墳 → 金冠塚古墳 → 文殊山古墳 → 阿弥陀山古墳
【5月6日】
砂町遺跡 → 高崎市歴史民俗資料館 → 元島名将軍塚古墳 → 元島名城 → 高崎情報団地遺跡 → 大類城
同道者 なし

 

あれ?古墳っぽい感じがするけど・・・

 

 今日は広瀬古墳群を探訪しましたが、そろそろ足の限界です。

 

 でもここから両毛線の駅までは、調子が良い時でも30分くらいあります。

 

 できればバスに乗りたい。

 

 バス停の時刻を確認しようと思って歩いていると、何やら古墳のようなものがあります。

 

文殊山古墳

写真1 文殊山古墳

 

 墓地になっているようですが、どう見ても古墳だよなあ・・・

 

 まあ、よく分からないのでいいか。

 

 帰宅後、Webで前橋市が作成した「朝倉・広瀬古墳群」というパンフレットを見つけたのでそれを見てみると、これは文殊山古墳という、古墳時代中期(5世紀末〜6世紀初頭)の比較的大きめの円墳であることが分かりました。

 

 こういう風に古墳が風景に溶け込んでいるところがこの地域の面白いところですね。

 

 あれ?もしかしてこれも古墳?

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
  • 『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
  • パンフレット「朝倉・広瀬古墳群」 前橋市 ← クリックするとPDFが読めます
スポンサードリンク



 

ご意見・ご感想は、稲用章

inayouアットマークa.email.ne.jp

までお願いします。

 




関連ページ

前橋八幡山古墳
前橋八幡山古墳は東日本で最古級かつ前方後方墳では最大級の古墳です。
東海地方からやってきてこの地に君臨した王の子孫が被葬者像として浮かびます。
前橋天神山古墳
亀塚山古墳
天川二子山古墳
天川二子山古墳は広瀬古墳群に築造された古墳のうち100m級の古墳としては一番最後に築造された前方後円墳です。
被葬者としてはこの地の有力者・朝倉君が想定されます。
飯玉神社古墳
金冠塚古墳
阿弥陀山古墳
前二子古墳
中二子古墳
後二子古墳
小二子古墳
M-1号古墳/大室古墳群
M-4号古墳/大室古墳群
梅の木遺跡
王山古墳
総社古墳群に現存する古墳のうち最も古い古墳が王山古墳です。
6世紀代に築造されたと考えられている王山古墳は他の一般的な前方後円墳より段の数が倍あり、特殊な印象を受けます。
総社二子山古墳
古墳王国群馬県内では、中央で大型前方後円墳の築造が終わった後も、引き続き大型前方後円墳の築造が続きました。
その理由はまだ分かっていませんが、ここ総社二子山古墳もそういった古墳の一つです。
総社愛宕山古墳
総社古墳群の被葬者一族は7世紀に入るとその実力および中央との近親度から、上野国内でトップの地位に登りつめます。
つまり、律令国家が推し進めた国策に乗っかり、上野国府の誘致に成功するのです。
宝塔山古墳および光巌寺
蛇穴山古墳
蛇穴山古墳の築造をもって、ここ総社の地における古墳の築造は止みます。
仏教は東国でも普及し、これ以降、この地の権力者は氏寺に葬られることになるのです。
遠見山古墳
山王廃寺
上野国府および蒼海城
上野国分寺
上野国分尼寺
国分寺館(ガイダンス施設)
国府八幡<前橋八幡>
妙見社
総社神社
総社城
石倉城
前橋城
旧関根家住宅