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中世和賀氏の本拠地・飛勢城

最終更新日:2018年2月2日

 

飛勢城概要

 

ふりがな とばせじょう
別名 二子城
住所 岩手県北上市二子町

史跡指定
現況 北上市立公園・北上北中学校
規模/比高 約×約m/比高m
目で見られる遺構
復元
存続時期
城主・城代・関係者 和賀義忠
城攻めの記録
大手方向
仮想敵方向  
関連施設
その他

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 1998年8月某日
天候 晴れ

 

 

 1996年の夏に初めて岩手県北上市に行ったのですが、それ以降行くたびにチョコチョコと東北地方の歴史を調べていました。

 

 そうしたところ、北上市には中世の頃、和賀氏という領主が居たことを知り、全国的な知名度のなさも手伝って興味を抱くようになったのです。

 

 そしてついに1998年の夏に探訪しました。

 

 しかし、この頃はまだ中世の城郭についてよく分かっておらず、ふーん、という感じで歩いただけで、写真も撮っていません。

 

 なので飛勢城の第1回目のルポルタージュは書くことができないのです。

 

 結果的に、きちんと歩きまわったのは2000年5月4日の3回目の探訪および2001年8月11日の4回目の探訪の時となります。 

 

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鍋倉城

飛勢城

胆沢城

 

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第2回 探訪記録

 

探訪年月日 1999年5月3日(月)
天候 曇り
探訪ルート 飛勢城 → 花巻城

 

気分が乗らずに引き返す

 

 この日はMTBを駆って飛勢城へ向かったものの、現地に着いたらどういうわけか探訪する気が失せてしまい、大手門の標柱の写真を撮って帰宅しました。

 

 

 雨も降りそうだったし・・・

 

 いろいろ言い訳が出てきそうですね。

 

 この日から2年後の2001年8月11日には、きちんとまわりました。 

 

 帰宅後は車で花巻まで買い物に行ったので、そのついでに花巻城をチラッと見てきました。

 

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【5月2日】
北上市立博物館

飛勢城

花巻城

 

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第3回 探訪記録

 

探訪年月日 2000年5月4日(木)
天候
探訪ルート 横田城 → 阿曽沼公歴代碑 → 鍋倉城 → 成島毘沙門堂 → 飛勢城

 

 

 成島毘沙門堂を参拝し、帰途、ついでということで飛勢城に寄ってもらいました。

 

 通算で3回目の訪問になります。

 

 「飛勢城(とばせじょう)」という名は地元で呼ばれている名で、「飛勢の森」と呼んだりもしますが、多くの歴史書には「二子城」という名で登場します。

 

 二子城と呼ばれる理由は、詰の城山と物見の城山(後述)が、遠方から仲良く二つ並んで見えるところからそう名づけられたらしいです。

 

東南方約2kmより眺めた飛勢城

写真1 東南方約2kmより眺めた飛勢城(探訪前日の5月3日に撮影)

 

 飛勢城は北上市内最大の城で、その城域は東西700m・南北1000m以上にも及び、すこぶる広大です。

 

 その中に堀で隔てられた多くの郭が存在しています。

 

 和賀氏の時代(鎌倉時代から戦国時代)は、現在八幡神社と展望台がある山、すなわち地元で「八幡山」、「東の森」と呼ばれているところが詰の城で、その東側の低くなっているところが平時の居館があった場所であり、その中の古舘と呼ばれているところが城主の館があった場所と考えられています。

 

 また、詰の城から現在道路になっている谷を隔てた西側の山、地元で「秋葉山」、「西の森」などと呼ばれているところは、物見台があった場所といわれています。

 

 『南部諸城の研究』では、物見の山を本丸、詰の城を二の丸としているが、二つの山のみを城域としてみた場合はそういう見方もできるかもしれません。

 

 また、同書には「秋葉山」の西側に腰郭があり、さらに西に向かうにつれて防衛施設の跡が見受けられると書いてありますが、残念ながらその方面は現在工業団地となってしまって遺構は完全に破壊されています。

 

 飛勢城は周辺よりほぼ独立した山で、北から東にかけては北上の大河が流れ、南は広大な谷地沼がひろがり、まさしく天然の要害であって、この地に城を築くならば最適の場所です。

 

 現在「大手門跡」の標柱が立っている場所には、その名の通り、かつて大手門があったとされ、その大手門は解体され花巻に運ばれて、何人かの手に渡ったあと、現在は花巻城三の丸跡にある鳥谷崎神社の社務所の門として残っています。

 

 大手門跡から右に行くと城内への通常の入口、即ち平時の居館跡や家臣の屋敷跡がある場所だすが、かつては谷地だった「八幡山」と「秋葉山」の間を現在は道路が通っていて、そこを通っていくと、現在展望台のある「八幡山」に登りやすいです。

 

八幡山登り口

写真2 八幡山登り口

 

 主郭へ向かう途中、左側に空堀の跡が見受けられます。

 

空堀跡

写真3 空堀跡

 

 現在は埋まってしまっていますが、奥州の山城の場合、このような曲輪の裾の帯曲輪のような場所に空堀の跡を認めることができることがあります。

 

 飛勢城は、広範囲に渡って空堀跡が存在するらしいので、それらは今後の調査項目としたいです。

 

 さらに登っていくと二子八幡神社があります。

 

二子八幡神社

写真4 二子八幡神社

 

 和賀郡内の八所八幡のうち、二子八幡神社はその中心的神社です。

 

 この日は登りませんでしたが、表参道(和賀氏の居館側)の石段は198段あります。

 

 こちらに説明板が。

 

説明板

写真5 説明板

 

 さらににもう一段登ると山の頂上部(主郭)に到達します。

 

主郭

写真6 主郭

 

 ここの展望台からの眺めは素晴らしい!

 

展望台から北方を望む

写真7 展望台から北方を望む

 

 今日は生憎の雨模様ですが、晴れていればとても素晴らしい絵になったことでしょう。

 

 しかし、改めて写真を見ると雨に煙った景色もなかなか良いと思います。

 

 この風景は、昼間だけでなく宵の情景もいいらしいです。

 

 それを『飛勢城物語』から引用させていただくと・・・

 

 「春夏秋冬、月まどかな宵に此処に立てば、満天下月明の中に清く輝いて、北上の川面の銀波は夢をおどらせ、身は俗界を離れて別世界に遊ぶ心地となり、しばし下山を忘れてとう然とした境地にさそいこまれる」

 

 ということになります。

 

 そんな、大げさな!なぞと思う無かれ。

 

 ただし現在は周りの木々が高く茂って、全方向パノラマっていう訳にはいきません。

 

 この飛勢城は、和賀氏が豊臣秀吉の小田原参陣の命に従わなかったため天正18年(1590)7月末(もしくは8月初め)に改易(所領没収)され、和賀氏の本城としての使命を終えました。

 

 その後、豊臣の代官が置かれましたが、10月になり和賀義忠は隣の稗貫郡(花巻市)の旧領主・稗貫広忠とともに一揆を起こし城を奪回、しかし翌年奥州再仕置軍に攻め落とされてしまいました。

 

 慶長5年(1600)には、義忠の遺児忠親ら和賀・稗貫一党は再び一揆を起こし、一時的に飛勢城を奪いましたが南部氏の逆襲に会い、より籠城に有利な岩崎城に籠ります。

 

 岩崎城は翌年落城、伊達領に逃走した当主忠親以下は、その後伊達政宗の命で切腹し、和賀氏は滅亡してしまいました。

 

 飛勢城は現在市立公園として整備され、地元民の憩いの場として、また近所のお子さんたちのサバイバルゲームの戦場として親しまれています(BB弾が多数落ちていたことによる推測)。

 

 

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成島毘沙門堂

飛勢城

 

【参考資料】

 

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