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小鳥崎館

最終更新日:2017年9月24日

 

小鳥崎館概要

 

ふりがな ことりざきだて
別名
住所 岩手県北上市二子町小鳥崎

史跡指定 なし
現況 山林
規模/比高 約×約m/比高m
目で見られる遺構 郭・空堀
復元
存続時期
城主・城代・関係者 都鳥平馬
城攻めの記録
大手方向
仮想敵方向  
関連施設
その他

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2000年5月3日(水)
天候 曇り時々小雨
探訪ルート 小鳥崎館 → 横町遺跡および横町廃寺跡 → 白山神社 → 黒岩城

 

勇気を振り絞ることができずに退散

 

 昼過ぎ、MTBを駆って北上市内の館跡めぐりに出発!

 

 小雨が降ったり止んだりの中を地図を頼りにまずは小鳥崎館跡を見てみようとペダルを踏みます。

 

 ところが、走り出してすぐに道に迷いました。

 

 どういうわけか、地方に来るとよく道を間違えます。

 

 しかも都市部のように電信柱に住所表記とかがあまりされていなく、目標物も少ないのですぐに場所を把握できません。

 

 ※註:この当時はまだ地方でほっつき歩くスキルが身についていませんでした。

 

 結局、15分くらいで到着する予定が倍くらいかかって目標の弁財天の鳥居を発見しました。

 

小鳥崎の弁財天

写真1 小鳥崎の弁財天

 

 この裏手の山の中が館跡のはずです。

 

 とりあえず上に登って見よう。

 

 鳥居をくぐって石段を登ります。

 

 崩れかけて苔むした石段は、雨のせいで非常に滑ります。

 

 かなりなへっぴり腰で石段を登りつめました。

 

 そこには小さな社殿が立っており、境内から北側に入った雑木林が館跡と考えられます。

 

多分この奥が館跡

写真2 多分この奥が館跡

 

 ところが足場がぬかるんでいて、ちょっと林の中に入っていく勇気はございません。

 

 ※註:この日はスニーカーだったと思いますが、以降はトレッキングシューズを履くようになったので多少のぬかるみは大丈夫になりました。

 

 結局、遺構を確認できずじまいだ・・・

 

 小鳥崎館は、『日本城郭大系』によると方形の東西2郭からなり、面積は約4000平方メートルだといいます。

 

 今度はさっき登った滑る石段を降りていかなければなりません。

 

 登るより降る方が怖いんですよね。

 

 手すりなんかないし。

 

小鳥崎館跡を東側から見る

写真3 小鳥崎館跡を東側から見る

 

 とりあえず雨は止んでくれたので、次は黒岩城に行ってみようかな。

 

 ※註:小鳥崎館には2001年8月と2003年11月に再訪し、八戸のたぬさんと一緒に行った2003年の時は見事な遺構を見て感動しました。

 

 都鳥氏について

 

 和賀四天王のひとつ、都鳥(とどり)氏の祖は、『胆沢町史』によると平維盛(清盛の孫)の家臣の都鳥次郎で、都鳥次郎は平家の没落により奥州へ逃れて刈田郡に隠れたといいます。

 

 それが事実かどうかはわかりませんが、後世、和賀四天王といわれる程の重臣になることから、和賀氏とは早い段階で(例えば刈田郡で)縁を持った可能性はあるでしょう。

 

 時代が一気に下り、戦国時代末期になると何人かの都鳥氏の人物が登場します。

 

 『胆沢町史』の引用する黒岩の小原家蔵文書には、

  • 御城持衆 1500石 都鳥平馬玄蕃丞
  • 平士 500石 都鳥堂七
  • 平士 513石 小鳥崎登

 が見えるといいます。

 

 家紋は梅に小鳥で、平馬の居城は小鳥崎にあったといいます。

 

 また、及川真清著『和賀氏小史』(『胆沢町史』、『和賀一族の興亡』が引用)には、

 

  • 都鳥平馬
  • 都鳥相模守
  • 都鳥兵部丞
  • 都鳥藤内
  • 都鳥堂七
  • 小鳥崎登
  • 小鳥崎修理

 などの名があるといいます(なお、『胆沢町史』と『和賀一族の興亡』はどちらも『和賀小史』を引用したと書いてありますが、出てくる名前が完全に合致しません。私は原本を見ていないので、何ともいえない状況です)。

 

 上記の人物は実在したかもわからず、実在したとしても重複している可能性もあるといいます。

 

 和賀稗貫一揆の際も、特に都鳥氏や小鳥崎氏の武勇伝などは伝わっておらず、慶長5年(1600)の花巻城襲撃の際に、都鳥相模守が和賀忠親に従って戦ったと、名前のみ見えます。

 

 都鳥氏の居館としては、小鳥崎館以外にも、鬼柳の都鳥館(北上市鬼柳町都鳥の鬼柳小学校附近)が伝わっています。

 

 『胆沢町史』によると、都鳥氏は和賀郡だけでなく胆沢郡都鳥村(胆沢町南都田)にも領地を持っていました。

 

 天正年間は都鳥和泉守嘉忠(本姓菅原)がおり、小田原不参陣のために領地を没収され帰農したといいます。

 

 地理的に見て、中世末期に胆沢郡を和賀氏が治めたと考えるのは難しいので、胆沢の都鳥氏は柏山氏(などの葛西系の豪族)の家臣だったのでしょう。

 

 胆沢の都鳥氏と和賀の都鳥氏が親戚であるならば、仕える主が違っていても、絶えず連絡を取り合っていたと考えられます。

 

 以上のように、都鳥氏は和賀氏の重臣であるのにも拘らず、詳しいことはわかっていません。

 

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現在地

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【2000年4月22日】
天神山城

小鳥崎館

横町遺跡および横町廃寺跡

 

【参考資料】

  • 現地説明板
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