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横町遺跡および横町廃寺跡

最終更新日:2017年9月24日

 

横町遺跡および横町廃寺跡概要

 

ふりがな よこまちいせきおよびよこまちはいじあと
別名
住所 岩手県北上市立花

史跡指定 横町廃寺跡
北上市指定史跡
指定日:平成6年(1994)12月1日
現況 北上市立東陵中学校

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2000年5月3日(水)
天候 曇り時々小雨
探訪ルート 小鳥崎館 → 横町遺跡および横町廃寺跡 → 白山神社 → 黒岩城

 

古代寺院か・・・

 

 小鳥崎館をあとにした私は、北上川に架かる日高見橋を渡って対岸の黒岩方面へと向かいます。

 

 おや、説明板があるぞ。

 

 

 

 ここに昔の住居跡と古代寺院があったのか・・・

 

 

 現在は北上市立東陵中学校の敷地のようだな。

 

 天気も心配なので先を急ぎます。

 

 ※註:この頃は原始時代の遺跡や古代寺院には興味が湧かなかったため素通りしましたが、現在はそれらを探究することが楽しくて仕方がないです。

 

 律令国家の東北支配は、陸奥方面の場合は、724年の多賀城築城以降は、陸奥国府であった多賀城を中心に行われました。

 

 そのため、官道である東海道の終点は、一応は多賀城だったのですが、奈良時代の終わりごろの光仁天皇の頃から、それまで大崎平野どまりだった国家の領域をさらに拡張すべく、現在の岩手県域への侵攻を開始します。

 

 ところが、岩手県域に入り、衣川を越えた先の胆沢盆地にはアテルイという大変強い豪族がおり、なかなか胆沢を治めることができませんでした。

 

 それが9世紀の初めの坂上田村麻呂の働きにより、胆沢城が築城され、アテルイら胆沢の豪族たちはことごとく投降し、811年には和我・稗縫・斯波の3郡が建置されます。

 

 となると、多賀城からこの時点の最北端である斯波郡(現在の岩手県紫波町)まで伸びる道が整備されたと考えていいと思います。

 

 それが「東海道」(あづまかいどう)と呼ばれるもので、そのルートは北上川の東岸、つまり横町廃寺跡があるこの辺りを通っていたのです。

 

 朝廷の支配がこの地に及ぶのと同時に、仏教もこの地へ伝播してきました。

 

 上の説明板に書かれている通り、北上市内の北上川東岸には古代寺院が密集しており、横町廃寺のほかにも、白山廃寺(黒岩)・大竹廃寺(更木)・国見山廃寺(稲瀬)が知られています。

 

 横町廃寺は12世紀のお寺ということで比較的新しいですが、これらの寺院の中でパイオニアと言えば、やはり国見山廃寺でしょう。

 

 中央の記録によれば、天安元年(857)に陸奥の極楽寺というお寺が定額寺(国分寺に次ぐ地位の準官寺)に指定されており、その極楽寺は国見山廃寺であるという見方が濃厚です。

 

 定額寺の住職は、中央から4年の任期で派遣されてきたのですが、比叡山や高野山などの大寺で30年以上修業をした大変偉いお坊さんが務めました。

 

 現在の北上市周辺は、この9世紀半ばの極楽寺の建立によって、仏教の教化が進んだわけです。

 

 極楽寺は、伝承によると700を超える堂塔と36もの僧坊からなる巨大山岳寺院であったということです。

 

 私は20年くらい前に国見山には登ったことがあるのですが、当時は伊達領と南部領の境界の眺望を楽しむことはしたものの、古代寺院にはまったく興味が無かったので、それ以外の場所には行っていません。

 

 今度行く機会があれば、東海道沿いの古代史探訪をしてみたいと思っています。

 

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小鳥崎館

横町遺跡および横町廃寺跡

白山神社

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『東北の古代探訪 みちのくの文化源流考』 司東真雄/著 1980年
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