◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

奥州藤原氏の祖・藤原経清も勤務していた?亘理郡家<三十三間堂官衙遺跡>

最終更新日:2016年5月15日

 

亘理郡家<三十三間堂官衙遺跡>概要

 

ふりがな わたりぐうけ<さんじゅうさんげんどうかんがいせき>
通称
住所 宮城県亘理郡亘理町逢隈下郡字椿山

存続時期 9〜10世紀前半
史跡・文化財指定 国指定史跡
史跡名:三十三間堂官衙遺跡
指定年月日:平成4年(1992)1月21日

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2016年5月12日(木)
天候 晴れ
探訪ルート 【5月12日】 亘理郡家<三十三間堂官衙遺跡> → 雷神山古墳および小塚古墳(植松城) → 山居古墳 → 観音塚古墳 → 宮山古墳 → 薬師堂古墳 → 諏訪神社 → 陸奥国府および郡山廃寺<郡山遺跡> → 北目城 → 遠見塚古墳 → 若林城 → 保春院 → 法領塚古墳 → 陸奥国分尼寺 → 陸奥国分寺
【5月13日】 鹽竈神社博物館 → 志波彦神社 → 鹽竈神社 → 荒脛巾神社 → 陸奥総社宮 → 多賀城(大畑地区) → 六月坂多賀神社 → 多賀城(六月坂地区) → 多賀城神社 → 貴船神社 → 伏石 → 多賀城政庁 → 多賀城(作貫地区) → 多賀城碑 → 館前遺跡 → 今野家住宅 → 高崎多賀神社 → 多賀城廃寺 → 東北歴史博物館
同道者 なし

 

いざ奥州へ!

 

 実に久しぶりの奥州探訪。

 

 そもそも歴史の研究を本格的にやりだしたのは、今から20年ほど前に奥州に行ってからです。

 

 それ以降、多い年は年に4回は行っていましたが、最後に奥州の地に足を踏み入れたのは2007年6月で、その時は仕事の出張で福島県に行きました。

 

 ですので、実に9年ぶりということになります。

 

 そして今回向かう仙台は、2005年8月9日に行ったのが最後です。

 

 そのときも新宿から仙台まで高速バスで行ったのですが、当時は体調が悪かったこともあって酷く疲れて、「高速バスは二度と乗らない」と思いました。

 

 しかし今回仙台に行くに当たっては、経済的理由および時間の効率化のため、背に腹は代えられぬということで移動手段に高速バスをチョイスしたのです。

 

 しかも夜行ですよ。

 

 まあでも、今は健康体に戻ったので多分大丈夫でしょう。

 

 ということで、21時半に家を出ると、新しく新宿駅南口にオープンした「バスタ新宿」へ向かいました。

 

 バスターミナルなので「バスタ」ということだと思いますが、おそらく「スタバ」と勘違いする人もいることは想像に難くありません。

 

 ネーミングした人はその辺のシャレの意味も込めているのかなあと思います。

 

 中央線を新宿駅で降りると、バスタへはホームの一番南側端っこから繋がっているようでした。

 

 エスカレーターを乗りついで4階に行くとバスタに到着です。

 

バスタ新宿エントランス

写真1 バスタ新宿エントランス

 

 夜遅いのに凄い人です。

 

 しかも若者ばかり。

 

 早く着きすぎたので、少しウロついてみます。

 

写真2 バスタ新宿

 

 仙台行きのバスって結構出てるんですね。

 

乗車案内

写真3 乗車案内

 

 定刻になったバスが出撃して行きます。

 

出撃!

写真4 出撃!

 

 バスってカッコいいですよね。

 

 私も運転してみたい。

 

 しばらく神武号を取り出して作業をしていると、乗車時刻が近づいてきました。

 

 お、来た来た。

 

バスが来た

写真5 バスが来た

 

 23時20分発。

 

 いよいよ仙台へ向けて出発です。

 

 運よく車内は空いていて、みなさん2人掛けに1人という配置だったので楽ちんですね。

 

 走り出して20分くらい経って、車内が消灯となりました。

 

 だがしかし!

 

 私の並びの反対側の窓際のサラリーマン風の若者がスマホをやっているため、その灯りによって車内が異様に明るくなっています。

 

 まったく常識ないなあ・・・

 

 でも私はあまり眠るときの灯りは気にならない方なので「ま、いいか」としました。

 

 実は私は夜行バスに乗るのは初めてなのですが、意外と眠れないですね。

 

 数年前に睡眠障害を患っていたころを思い出しました。

 

 眠りが浅く、一応は何時間かは眠っているものの眠った気があんまりしないのです。

 

 途中、休憩のためにSAに寄りますが、夜中は別にトイレに行きたいと思いません。

 

 でも4時くらいに最後の3回目の休憩があり、ちょっと試しに外に出てみました。

 

 国見サービスエリアみたいです。

 

国見サービスエリア

写真6 国見サービスエリア

 

 福島県伊達郡国見町にある小ちゃいSAで、少し北に走れば宮城県に入るようです。

 

 高速バスのほかトラックも停まっており、長距離トラックの運転手はこういう場所で車中泊して仕事をしてるんですね。

 

休憩中の車たち

写真7 休憩中の車たち

 

 バスは再び発車し、ウトウトしていると定刻通り5時15分に仙台駅西口に到着しました。

 

 さあ、急いで仙台駅へ向かいましょう。

 

 あれ、11年前に来た時はこんなカッコいいビルあったかな?

 

仙台の街

写真8 仙台の街

 

 おー、久しぶりの仙台駅!

 

仙台駅

写真9 仙台駅

 

 常磐線ホームに急ぎましょう。

 

震災の影響はまだ残っている

 

 乗り込んだのは5時30分発の常磐線始発電車です。

 

常磐線 E721系

写真10 常磐線 E721系

 

 ギリ間にあった・・・

 

 温かい缶コーヒーを購入。

 

 ほとんど誰も乗っていない車中で朝ご飯です。

 

朝ご飯

写真11 朝ご飯

 

 夕べ出発するときにコンビニで食料を買っておきました。

 

 おそらく仙台駅で買っている暇はないと思っていたのであらかじめ買っておいたわけです。

 

 あ、何かこの看板を見ると奥州に来た実感が湧く。

 

昔よく見ていた看板

写真12 昔よく見ていた看板

 

 若いころは当時の奥さんの実家である岩手県北上市に「青春18きっぷ」を使って各駅停車で帰ったことが何度かあったのですが、上野から常磐線で仙台まで行ったこともありました。

 

 なので仙台近辺の常磐線に乗るのは初めてではないのですが、あれから20年くらいは経っているので当時の記憶はまったくありません。

 

 名取駅を過ぎると、車窓右手の崖の上に「史跡雷神山古墳」の看板が見えました。

 

「史跡雷神山古墳」の看板

写真13 「史跡雷神山古墳」の看板

 

 後で来るよ・・・

 

 この辺りはまだ平野部なので、田園風景が拡がっています。

 

田園風景

写真14 田園風景

 

 岩沼駅に到着です。

 

岩沼駅

写真15 岩沼駅

 

 岩沼駅の先では常磐線と東北本線は袂を分かちます。

 

 そしてすぐに見えてきたのは阿武隈川!

 

阿武隈川

写真16 阿武隈川

 

 うわ、海みたい。

 

 昨日の雨で増水しているようです。

 

 どういうわけか、私は昔から阿武隈川に非常にロマンを感じています。

 

 「アブクマ」という発音も魅力的です。

 

 アブクマ・ブバエモン!

 

 「古墳ギャルのコフィー」が好きな方であれば思わず叫んでしまうことでしょう。

 

 ちなみに、「ブバエモン」は東京都府中市の分倍河原(分倍河原古戦場がある)から取ったのだと思います。

 

 ここで今回の「奥州強行旅行」の行動範囲図を示します。

 

図1 行動範囲図

 

 まずは仙台駅までやってきて、そこから常磐線で南下し、図の下の方にある阿武隈川を渡ったのです。

 

 ところで、阿武隈川は歴史的に見ても非常に重要な川です。

 

 『先代旧事本紀』という平安時代に書かれた本に、全国の国造(くにのみやつこ)の一覧が掲載されています。

 

 元々は地域の「王」のような存在だった権力者が、東国の場合は6世紀の後半くらいに、国造という地方官に任命されます。

 

 ただ、地方官と言ってもまだまだ中央の力は絶対的ではなく、半ば独立した存在で、言ってみれば地方自治体の長(公務員)でありながら地元最有力企業の社長のような存在です。

 

 先代旧事本紀を読むと、「思国造」というのが登場し、これがどこにいたのかというと、「思」は「し」と音することから「志太郡」(後の志田郡で今の大崎市周辺)だったという説があります。

 

 ただ、思国造を除いた他の国造で最北にあるのは伊具国造ですので、そこから大崎地方は相当な飛び地となってしまうため私は違うのではないかと思います。

 

 平川南氏は、「思」は亘理の「亘」であると考えており、そうすると国家の最北端には思と伊具の二つの国造が並びたち、さらにその北側の中央国家の支配が及ばない土地との境が阿武隈川となるのです。

 

 まさに国家領域の内と外を画する川・・・

 

 このようなことから、前述した通り私は阿武隈川に非常にロマンを感じるわけです。

 

 なお、亘理郡の古墳時代は古墳などの遺跡を見る限りでは、強力な権力者が存在したようには思えないので、もしそのような地に国造が置かれたとなると、その理由に関しては深く考察する必要があります。

 

 6時3分、逢隈(おおくま)駅に着きました。

 

 この辺の常磐線は単線なのですれ違い待ちです。

 

すれ違い

写真17 すれ違い

 

 先に下りの719系が出発してきました。

 

719系

写真18 719系

 

 今乗ってきた上りのE721系も出発して行きます。

 

E721系

写真19 E721系

 

 逢隈駅は無人駅でした。

 

逢隈駅

写真20 逢隈駅

 

 太平洋の沿岸を走る常磐線は、2011年3月11日の津波によって壊滅的な打撃を受け、あれから5年以上経ってもまだ全線が開通していないのです。

 

 仙台から出た常磐線は、逢隈駅の2つ先の浜吉田駅までしか復旧していません。

 

 その先は相馬駅までバスによる代替輸送となっています。

 

 他の地域に住んでいる人は震災のことをすぐに忘れてしまうかも知れませんが、地元の人が今なお生活に不便をきたしていることを心に留めおく必要はあるでしょう。

 

整然と並ぶ礎石に喜ぶ

 

 線路の反対側には三十三間堂官衙遺跡の看板が見えますね。

 

三十三間堂官衙遺跡の看板

写真21 三十三間堂官衙遺跡の看板

 

 ようやくここで顔を洗って歯を磨き、リフレッシュできました。

 

 天気は快晴、風もあまりなく、すでに気温が高くなっているので上着を脱いでTシャツ一枚になります。

 

 逢隈駅のロータリー。

 

逢隈駅前ロータリー

写真22 逢隈駅前ロータリー

 

 それでは、三十三間堂官衙遺跡へ向かいましょう。

 

 遺跡は駅のすぐ西側にあるのですが、そっち側に駅の出口が無いため、南側に少し迂回して踏切を渡ります。

 

 あ、また下り電車が来た。

 

701系&719系

写真23 701系&719系

 

 前の2両と後ろの2両で違うのが連結されていますね。

 

 こういう形式の違う車両を繋げて編成を組んでいるのは鉄道好きには堪らないのです。

 

 踏切を渡ると、また大きな看板がありました。

 

看板

写真24 看板

 

 三十三間堂官衙遺跡はなにしろ国史跡ですから、アピールはしたいですよね。

 

 坂道を登ります。

 

坂道

写真25 坂道

 

 遺跡を指し示す標識。

 

遺跡はこっちだよ!

写真26 遺跡はこっちだよ!

 

 お、説明板が見えてきました。

 

 この土塁のようなものは・・・?

 

土塁のようなもの

写真27 土塁のようなもの

 

 説明板を見ます。

 

説明板

写真28 説明板

 

 なるほど、北地区の実務官衙域と南地区の倉庫院に分かれているのですね。

 

説明板の図

写真29 説明板の図
私はこの図の左側から坂を登ってた

 

 じゃあまずは北から!

 

 なんか雰囲気のいい林道です。

 

雰囲気のいい林道

写真30 雰囲気のいい林道

 

 視界が開けました。

 

北地区

写真31 北地区

 

 おー、ここに官衙があったんですね。

 

 遠くには太平洋がキラキラしています。

 

遠くに太平洋が見える

写真32 遠くに太平洋が見える

 

 でもこの海を見ると悲しい、というか恐怖心さえ感じます。

 

 2011年の津波では私が今見ている沿岸地域も被害を受けたからです。

 

 ですからあまり海の方は見たくないなあ・・・

 

 思考を官衙に戻しましょう。

 

 説明板。

 

説明板

写真33 説明板
クリックして拡大させれば字が読めると思います

 

 北地区はこのような建物配置になっていました。

 

北地区の図

写真34 北地区の図

 

 11世紀前半代の郡衙には、主な施設が4つありました。

 

  • 郡庁 ・・・ 政務が行われる場所
  • 正倉 ・・・ 徴収した税(米など)を納めておく場所
  • 館 ・・・ 役人の宿泊所
  • 厨 ・・・ 食事を作る場所

 

 そして、それ以前の史料を見ると郡衙が整備されだした8世紀の時点では、「郡院」、「倉庫院」、「厨院」という複数の「院」で構成されていたことが分かっており、上の「館」以外はそれぞれの「院」に対応していることが分かります。

 

 「館」というのはその字の通りで、8世紀の時点でも存在したと考えてよいので、郡衙にある施設は始まりの8世紀から消滅する11世紀頃までの全存続期間を通して、基本的に上の4つの施設が存在したと考えてよいでしょう。

 

 上の図には「郡庁院」とあるので、郡衙を構成する主な施設のうち、もっとも重要な施設がここにあったわけです。

 

 ところで、上の図を見ると「郡庁院」の南門は「八脚門」となっていますが、図を良く見ると柱を示す点が12個ありますね。

 

 一方、四脚門はその名前の通り柱が4本です。

 

 実は八脚門の場合、中央の4本は門の棟を支えており、その中の中央の2本の柱に扉が付くのです(「本柱」と呼ぶ)。

 

 そして、それ以外の前後各4本の柱は、棟からのびた屋根の柱となり、それを「控え柱」と呼びます。

 

 ですので、控え柱の数を取って八脚門と呼んでるんですね。

 

 説明板には航空写真が載っており、これを見るとこの遺跡の立地も良く分かります。

 

航空写真

写真35 航空写真

 

 左上の大河が阿武隈川で、そこを橋で渡って一直線に右側に走っているのが常磐線です。

 

 さきほど電車で来るときに阿武隈川を渡りましたが、遺跡は阿武隈川に向かって延びた丘陵の先端部分にありますね。

 

 やはりいくら役所と言っても、有事の際の防御性は考慮する必要もあり、そういう観点から地形を考察する必要もあります。

 

 『続日本紀』によると、養老2年(718)5月2日には全国的に行政区画の再編が行われ、その一環として陸奥国でも岩城・標葉・行方・宇太・曰理の諸郡と常陸国の菊多郡をもって岩城国が設置され、この「曰理郡」が亘理郡の初見となります(なお、白河・石背・会津・安積・信夫の5郡をもって石背国も置かれています)。

 

 『延喜式』には、亘理郡に官社(つまり延喜式内社)が4座記されていますが、安福河伯・鹿島緒名太・鹿島天足和気の3社はすべて三十三間堂官衙遺跡が乗る丘陵の縁辺にあります。

 

 さらに、奥州藤原氏の祖である藤原経清は、「わたりの権大夫」「亘権守」などと呼ばれていることから、亘理郡の役人であった可能性を考えて、「もしかしたらここにも来たのかな?」なんて考えるとまたロマンが広がりますが、経清の時代よりも100年くらい前にはこの郡衙は廃絶してしまったようです。

 

北地区

写真36 北地区

 

 それでは次に南地区へ行きます。

 

 おや?

 

南地区

写真37 南地区

 

 うぉーっ!礎石だーっ!

 

礎石

写真38 礎石

 

 数を数えると、4×4、16個全てある。

 

礎石

写真39 礎石

 

 もう一箇所。

 

礎石

写真40 礎石

 

 こちらも本来であれば4×4ですが、2本歯抜けがあります。

 

 図を見ると礎石建物が10棟見つかっていますね。

 

 なぜ柱を建てるのに礎石を敷くのかというと、もちろん重いものを載せる丈夫な建物を作るためです。

 

 ここにあった建物は正倉で、税として徴収してきた米などを保管するため相当な重さになります。

 

 なので頑丈な作りにしたわけです。

 

 例えば、古代寺院の建物の場合も、瓦という大変重いものを屋根に敷きつめるため、礎石で柱を支えるようにしています。

 

 礎石が無いと、重さで柱が徐々に埋まって行ってしまうそうです。

 

 ところでこのマウンドも気になる。

 

マウンド?

写真41 マウンド?

 

 この溝は?

 

溝

写真42 溝

 

 しかしどうやら、説明板のところにあった土盛(写真26)と、上のマウンドと溝は当時の遺構ではないようです。

 

 うーん、残念。

 

 じゃあ、説明板の図にあった、溝の跡でも見つけてやろう!

 

 この奥の藪の中に溝が走っていたはずですが・・・

 

この奥の藪の中に溝があったはず

写真43 この奥の藪の中に溝があったはず

 

 あそこの若干高くなっている場所が気になる。

 

溝の外側にある小さな区画か?

写真44 溝の外側にある小さな区画か?

 

 図の中で溝の外側に書かれている小さな区画があれかな?

 

 だとすると、その手前の少し凹んでいるところが溝の跡でしょうか。

 

 この辺に接続してるな・・・

 

溝の接続分?

写真45 溝の接続分?

 

 小さな区画の外側は人の通り道になっているようですね。

 

人の通り道?

写真46 人の通り道?

 

 まあ、今は時期が悪いです。

 

 冬場でかつ雪が積もっていないときに見ればさきほどの北地区を含め、もっと詳細が分かるはずですね。

 

 これは水たまりか?湧水か?

 

水たまりか?湧水か?

写真47 水たまりか?湧水か?

 

 水たまりにしてはやけに水が透明です。

 

 それではそろそろ電車が来るので駅に戻りましょう。

 

 椿山踏切から福島県方面を見ます。

 

椿山踏切から福島県方面を見る

写真48 椿山踏切から福島県方面を見る

 

 早く全面復旧して欲しいですね。

 

三十三間堂官衙遺跡遠景

写真49 三十三間堂官衙遺跡遠景

 

 郡衙の遺跡で礎石などが目に見える形で残っているものって全国的に見ても実はそれほど多くないので、三十三間堂官衙遺跡ももう少し分かりやすく説明板などを整備して欲しいです。

 

 さて逢隈駅からは7時17分の利府行きに乗車して、次は館越駅で降りて古墳を堪能しますよ!

 

【参考資料】

 

現在地

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亘理郡家
<三十三間堂官衙遺跡>

雷神山古墳
および小塚古墳
(植松城)

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