◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

長野なのに会津?會津比売神社

最終更新日:2016年4月16日

 

會津比売神社概要

 

ふりがな あいづひめじんじゃ
別名
住所 長野県長野市松代町岩野

創建 貞観8年(866)以前か
史跡・文化財指定
祭神
  • 会津比売命(あいづひめのみこと)
境内神社
  • 保食神社
公式サイト なし

 

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第1回 探訪記録

探訪年月日 2016年4月12日(火)
天候 晴れ
同道者 クラブツーリズム御一行
探訪ルート 會津比売神社および謙信鞍掛の松 → 妻女山および招魂社 → 典厨寺 → 松代城(海津城) → 八幡原史跡公園 → 長野市立博物館 → 胴合橋

 

はじめてのクラブツーリズム

 

 今日はクラブツーリズム主催の「8大合戦戦国絵巻 戦国最大のライバル対決 武田信玄VS上杉謙信 川中島合戦」に参加します。

 

 出発時刻は8時ですが、初めての参加なので念のため6時5分には家を出て、7時前には新宿駅に着きました。

 

 職場へ出勤する人びとに交じって西口の地下を歩きます。

 

西新宿の出勤風景

写真1 西新宿の出勤風景

 

 都会の人たちは歩くのが速いですね。

 

 集合場所は住友ビルの地下1階にあるクラツーの出発ロビーです。

 

 都庁と住友ビル。

 

都庁と住友ビル

写真2 都庁と住友ビル

 

 いえーい、大都会!

 

 私は東京都民になって20年くらいですが、実は一度も都庁の中に入ったことがないのです。

 

 都庁はいざ東京都が他県と合戦になった場合は本城となる場所ですが、周辺の地形は平坦で要害性がありません。

 

 ただ、周囲には高層ビルが林立していますので、それら一つひとつを砦として活用することにより防御力を高めることができます。

 

 なぞと「危機管理」について考えながら歩きつつ、住友ビルの地下1階へ向かいます。

 

 そこにあるクラツーの出発ロビーは思っていたよりも広い。

 

 同時に複数のツアーが催行されているので受付も複数ありますね。

 

 出発時刻の8時になり、ツアーコンダクターの先導の元、バス乗り場へ移動します。

 

 お、意外と大きなバスですね。

 

フタバ観光さんのバス

写真3 フタバ観光さんのバス

 

 バスに乗り込み着席すると、前の座席との間隔が広くてすごく楽チンです。

 

 これがレシーバーか。

 

レシーバー

写真4 レシーバー

 

 イヤホンが付いていて、現場ではこれで講師(あるいはナビゲーター)の声を聴くわけですね。

 

 今日は「川中島合戦ツアー」ということなので、現場は信州です。

 

 信州は子供のころに林間学校とか何とかで2〜3回行ったことがあるだけで、歴史めぐりで行くのは今日が初めてとなります。

 

 川中島合戦自体は戦国時代好きであれば誰しも名前くらいは知っていると思いますが、私も子供のころに戦国時代に興味を持って知ってから、かれこれ30年くらい経って初めて探訪できるわけです。

 

 元々ゲーム「信長の野望」で歴史好きの端緒が開けた私は、昨年「NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会」の「城郭学習会」で初めて信長の安土城へ行き感動したのですが、武田好きの私としては今回の旅もそれに匹敵するくらい楽しみな探訪なわけで、すごくワクワクしています。

 

 さて、車はひたすら高速道路を走り、9時50分に上里サービスエリアで休憩です。

 

上里サービスエリア

写真5 上里サービスエリア

 

 私はプライヴェートで長距離運転をすることはないので、上里ってどこ?と思って調べたところ、埼玉県児玉郡の上里なんですね。

 

 そうであればまだこの辺は私の普段の探訪範囲の中です。

 

 でも、さすが高速道路で来るとすごく近い感じがします。

 

 カッコいいバス。

 

実はほ新車

写真6 実はほ新車

 

 あとで聞いた話では、このバスは納車からまだ半年の新しいバスだということでした。

 

 ちなみに昨今はバスの事故が多くて問題になっているせいか、今日も運転士さんはちゃんと2名体制で、しかも出発前には運転士さんの挨拶もありました。

 

 また、シートベルトの着用はいざというときに自分の身を守るため、皆さんきちんと締めましょうね。

 

 休憩の後、再出発すると、最近の私にはおなじみの風景になりつつある上州の赤城山が見えました。

 

赤城山

写真7 赤城山

 

 車窓にはやがて異様な山容の山々が見え出します。

 

 この中でも有名なのは妙義山でしょうが、周辺の山々も奇怪な形をしていますね。

 

異様な山容

写真8 異様な山容

 

 私は子供の頃も今でも車窓を眺めるのが好きです。

 

 見たことが無い風景を見るのって楽しいですよね。

 

異様な山容

写真9 異様な山容

 

 あれは浅間山かな?

 

浅間山

写真10 浅間山

 

 山城以外の山登りはしませんが、山を遠くから眺めるのは好きです。

 

浅間山

写真11 浅間山

 

 10時35分にはついに信州に侵入、佐久の平野をたどり、大河ドラマで大フィーバーしている上田市(実は父方の祖母の出身地)を通り、11時14分に更科ICで下に降りました。

 

 最初の探訪地である會津比売神社へ向かう途中、妻女山に陣取った上杉謙信が武田軍が攻撃を仕掛けてくる予兆を知り、川中島の平野部に陣を移す際に渡った「雨宮の渡し」を通ります。

 

 ここはただ単に通過のみなので、一瞬小さな公園のようなものが見え、辛うじて交差点の写真を押さえるのが精一杯です。

 

「雨宮の渡し」交差点

写真12 「雨宮の渡し」交差点

 

 そして會津比売神社の近くで、配られたお弁当を手に持ちバスを降りました。

 

 

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謙信関係の史跡だが個人的には当地の神に興味津々

 

 上信越道へ向かって右側方向(西側)に會津比売神社があるようですね。

 

會津比売神社近く

写真13 會津比売神社近く

 

 参加者の一名がトイレをずっと我慢していたようで、まっさきにトイレがある境内へ小走りで向かいます。

 

非常事態!

写真14 非常事態!

 

 さきほどの上里サービスエリアからまだ1時間半ですが、こういったツアーはご年配の方の参加が多いので、トイレの問題は今後自分が行程を組む場合もよくよく気にしないといけないと感じました。

 

 うーん、長閑な良い風景ですね。

 

長閑な良い風景

写真15 長閑な良い風景

 

 會津比売神社の社殿が一段高い場所に見えます。

 

會津比売神社の社殿を見上げる

写真16 會津比売神社の社殿を見上げる

 

 社殿から北方1km弱のところに現在の千曲川の流れがあるので、この辺りは氾濫源かもしれず、社殿が往時からあの場所であるのなら、流れを見下す場所に建っていたということですね。

 

 ところで、會津比売神社という名前についてですが、私も皆さんと同じく「何で信州にあるのに会津なの?」と思ったのですが、ナビゲーターの信野先生によると、この近くにこの後訪れる予定の海津城という川中島合戦で有名な城がありますし、「かいづ」と「あいづ」は元々は同じだという説があるそうです。

 

 昔の人は音さえあっていればあまり漢字表記にはこだわらないので、「かいづ」のことを「会津」と書いていたこともあったのかもしれませんよ。

 

 境内に上がり、西を見ます。

 

境内から鳥居を見る

写真17 境内から鳥居を見る

 

 参道は西へ伸びていますが、やや北に振れており、その先には岩野の集落が展開していて、おそらく村の発生時から氏神であったのでしょう。

 

 「上杉謙信公槍先の清水」と刻された石碑があります。

 

上杉謙信槍先の泉

写真18 上杉謙信槍先の泉

 

 また、「謙信鞍懸の松」と呼ばれる松もあります。

 

謙信鞍懸の松

写真19 謙信鞍懸の松

 

 會津比売神社境内。

 

會津比売神社境内

写真20 會津比売神社境内

 

 會津比売神社の祭神は、その名のとおり会津比売です。

 

 会津の姫、つまり女神ですね。

 

會津比売神社社殿

写真21 會津比売神社社殿

 

 祭神の会津比売は諏訪大神の後裔で、信濃国造である建五百建命(たけいおたつのみこと)の妃とされています。

 

 「信濃」という表記は奈良時代にそれまでの地名を「嘉い字」2文字で表記するようにしたときからで、それ以前は「科野」と表記していたようです。

 

 『先代旧事本紀 巻第十 国造本紀』によれば、科野国造は、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の孫です。

 

 『日本書紀』では、初代神武天皇の没後、ヤイミミの庶兄である手研耳命(たぎしみみのみこと)が皇位を狙い、ヤイミミとその同母弟の神渟名川耳命(かむぬなかわみみのみこと)を害そうと画策した際、ヤイミミらは先手を打って、タギシミミを襲いました。

 

 ところが、いざという時になってヤイミミは勇気が出ず、弟のヌナカワミミがタギシミミを殺し、それを恥じたヤイミミは皇位を継がないことを決め、ヌナカワミミが皇位を継いだのです(第2代綏靖天皇)。

 

 つまり、科野国造という、科野地域の首長となったタケイオタツは、本来であれば皇位を継ぐはずであったヤイミミの孫であり、その奥さんがこの地域の有力者の娘だと思われるアイヅヒメなわけですね。

 

 もちろん上記の話は「神話」に属するような話でありますが、私は『日本書紀』の記述には史実や、史実を巧妙に隠して別な表現にした重要な事柄が記されていると思っているので、この話から「歴史」を読み取ろうとすることも無駄だとは思いません。

 

 なお、會津比売神社の史実としては、『日本三代実録』の貞観8年(886)6月甲戌朔の条に、「無位会津比売神。草奈井比売神並従四位下一。」とあり、この時會津比売神社は無位から一気に従四位下という、人間でいえば「中級貴族」に当たる神階を加えられており、この「会津比売神」が当地の會津比売神社であると考えられます。

 

 社殿の額。

 

「国史現在」の額

写真22 「国史現在」の額

 

 社殿に、「国史現在」と記されていますね。

 

 古社の中では、国家から見て格式が高い「延喜式」記載の神社がよく持て囃されますが、「国史現在社」というのは、「延喜式」には記載が無くても、いわゆる「六国史」(『日本書紀』以下の六書)に記載がある場合にそう表現されます。

 

 境内には保食命と書かれた神社があります。

 

保食命

写真23 保食命

 

 保食命(うけもちのみこと)は、簡単に言えば我々人間が食べる穀物その他を創造した神様です。

 

保食神社

写真24 保食神社

 

 稲荷神社と混同されることがありますが、現状のところそれを明確に説明できる器量を私は持ち合わせていません。

 

 あれ、ここは川中島にやってきた上杉謙信関連の史跡のはずですね。

 

 でも実は今のところ私はそれについてはあまり知らないのです。

 

 Web上には様々なことが書かれていますが、残念ながら私の手元に資料が無くて、根拠のない話を羅列するわけには行きません。

 

 さて、次は上杉謙信が本陣を構えたと伝わる妻女山へ向かいます。

 

【参考資料】

  • 『日本書紀(上) 全現代語訳』 宇治谷孟 1988年
  • 『先代旧事本紀 訓注』 大野七三/校訂編集 2001年

 

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