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邪馬台国の女王卑弥呼の墓か!?箸墓古墳

最終更新日:2016年10月23日

 

箸墓古墳概要
ふりがな はしはかこふん
住所 奈良県桜井市箸中

 

墳丘

 

形状 前方後円墳 前方後方墳  円墳 方墳 八角墳 上円下方墳
築成 前方部 1段 2段 3段 4段 5段
後円部 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約280m
墳丘高 後方部約m/前方部約m
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

不明

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
中島 あり なし
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪データ

探訪年月日 2016年10月15日(土)
天候 晴れ
探訪ルート

【1日目】
唐古・鍵考古学ミュージアム → 桜井市立埋蔵文化財センター → 箸墓古墳 → 勝山古墳 → 矢塚古墳 → 纒向石塚古墳 → 大神神社
【2日目】
藤原宮跡 → 藤原京朱雀大路跡 → 橿原考古研究所附属博物館 → 藤原京資料室 → 飛鳥資料館 → 飛鳥京苑池遺跡 → 飛鳥宮跡

 

 桜井市立埋蔵文化財センターの見学を終えたので、次は箸墓古墳に行こうと思いますが、その前にここに来るときに気になった大神神社の鳥居をちょっと見に行ってみます。

 

 うわっ、ヤッパでかい!

 

大神神社一の鳥居

写真1 大神神社一の鳥居

 

 後ろの山がかの有名な三輪山ですね。

 

大神神社一の鳥居と三輪山

写真2 大神神社一の鳥居と三輪山

 

 今日は時間が無さそうなので、ひとまず箸墓古墳を見に行きましょう。

 

 結局この日の日暮れ間際に参拝したのですが、鳥居の横にあった説明板によると、この鳥居の高さは32メートルもあるそうです。

 

 カーナビに「箸墓古墳」とセットしようとしても出てきません。

 

 ま、いっか。

 

 適当に行きましょう。

 

 国道169号線を北上すると右前方に巨大古墳らしき山が見えてきました。

 

 あの山に違いないな。

 

 箸中南交差点を右折して、車を止められそうな場所を探しますがあまり良い場所が無いですね。

 

 よし、ひとまずここから撮影。

 

箸墓古墳を北東方向から見る

写真3 箸墓古墳を北東方向から見る

 

 逆光になってて撮りづらいなあ。

 

 移動して今度は南西側から撮影。

 

箸墓古墳を南西方向から見る

写真4 箸墓古墳を南西方向から見る

 

 しかしちょっと遠かったか・・・

 

 それにしても、これがかの箸墓古墳なんですねえ。

 

 感慨がこみ上げてきます。

 

 最近ではもっぱら卑弥呼の墓と言われることが多くなった気がしますが、これも推測が独り歩きしている感があるものの、歴史ロマンと言うものは人それぞれの胸の中で躍動するものなので、それはそれで良いかなと思います。

 

 私は未だに邪馬台国が北九州にあったという線で調べている最中なのでまだ箸墓古墳が卑弥呼の墓であったという説には賛同できず、むしろ卑弥呼とは関係のない初期天皇家の王墓であろうと思っています。

 

 しかしゆっくり車を止めて長居できる場所でないのが残念ですね。

 

 ひとまず今日のところは次に行ってみましょう。

 

 箸墓古墳は、纒向(まきむく)古墳群を構成する古墳の一つです。

 

 そして纒向古墳群は、柳本古墳群、大和古墳群とともに「おおやまと古墳集団」という名称でくくられています。

 

 さらに箸墓古墳は、遺跡としては纒向遺跡の範囲に入っていますので、ここで纒向遺跡について簡単にお話します。

 

 この日の午前中は唐古・鍵遺跡ミュージアムに行ってきましたが、面積で言うと纒向遺跡は唐古・鍵遺跡の10倍はあります。

 

 唐古・鍵遺跡は2世紀後半段階では奈良盆地を代表する大集落だったのですが、今まで集落などが何もなかったこの場所に2世紀末になり突如として纒向遺跡の大集落が発生し、それが一度目の画期となり、二度目の画期としては3世紀後半から4世紀初頭までとなり、この二度目の画期のときに集落は最大規模になります。

 

 纒向遺跡からは2009年に大型の建物跡が見つかり話題となりました。

 

 桜井市埋蔵文化財センターのページで模型を紹介していますが、もしかすると卑弥呼の居館か?と思う人が多いようです。

 

 その建物に卑弥呼が住んでいたかどうかは分かりませんが、面白いのは纒向遺跡からはほとんど農具が出てこないことで、農業に従事する人の少ない極めて都市的な集落であったことが想像できます。

 

 また、列島各地の土器も運び込まれているので各地の物が集まるセンター的役割もあったようです。

 

 上述した通り、私はまだ邪馬台国北九州説を捨てきれないのですが、邪馬台国の卑弥呼の時代と同じ時に、この地に突如として都市的な景観を持った巨大集落が現われていることから、状況的には邪馬台国がここだったという説もなかなか良い線を行っているのではないかと思います。

 

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【参考資料】

  • 『纒向へ行こう! −初期ヤマト政権発祥の地を歩く−』 桜井市埋蔵文化財センター/編

 

 

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