◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

印鑰神社

最終更新日:2017年11月10日

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2017年6月17日(土)
天候 晴れ
探訪ルート 【6月17日】
肥前国庁跡 → 肥前国庁跡資料館 → 印鑰神社 → 肥前国分尼寺跡 → 成富兵庫頭茂安碑 → 肥前国分寺跡 → 古代西海道および鍵尼遺跡 → 吉野ヶ里遺跡

【6月18日】
同道者 なし

 

 

 初めての佐賀県歴史探訪での一発目は肥前国庁跡を訪ねました。

 

 最初の予定では国庁跡を見たら本来の下見の目的地である吉野ヶ里遺跡へ向かおうと思っていたのですが、国庁跡資料館で付近の散策マップをいただいてしまい、なおかつ係の人からそれについて教えていただいてしまったので、もうこれは行ってみないと気が済みません。

 

 お薦めスポットをすべて訪ねることは無理としても、いくつか探訪してから吉野ヶ里遺跡へ向かいます。

 

 まずは車で印鑰(いんにゃく)神社へ向かい、ここからは歩いて付近を探索してみましょう。

 

 

 「印鑰」なんて言われても聴いたこともない言葉だと思う方も多いでしょう。

 

 まずは説明板をご覧ください。

 

 

 先ほど訪れた肥前国庁跡は肥前国府の中心部なわけですが、律令国家はいわゆる「文書主義」といって、何でもかんでも文章を起草して政治的な事務手続きを遂行して行くため、今で言う県庁のような国府ももちろん同じようにしました。

 

 お役所勤めの方や会社で事務方をやっている方は、「なんでこう、いちいち文章化してやるのかねえ」と、面倒くさいと思うことがあるかもしれませんが、それは1300年くらい前からの日本の伝統であり、なおかつその源流は中国の古代国家なわけです。

 

 なので、面倒くさいと思ったときは、「三国志の時代みたいだな!」と、古代中国の歴史ロマンに思いを馳せてみると少しはやる気が起きるかもしれません。

 

 ただ、あまり思いを馳せ続けていると、仕事にならずに上司からゲンコツを食らうかもしれませんのでご注意ください。

 

 あ、話が逸れましたが、国府の役人が文章を起草した際、責任者の印鑑が必要になるわけですが、最重要書類には国司の印鑑が必要となります。

 

 やがて律令国家体制が崩壊して行き、国府が稼働しなくなったあとにその印鑑とそれ納めていた蔵の鑰(鍵)を御神体としたのが印鑰神社と呼ばれるものです。

 

 平将門が940年に常陸国府を襲った際は、まっさきに印鑰を奪いましたが、印鑰があればその国の政治は思うがままに動かせるわけですね(余談ですがこのとき将門に生け捕りにされてしまった常陸介藤原維幾は系譜上は私のご先祖様です)。

 

 印鑰神社は肥前だけでなく、他の地域にもありますよ。

 

 社殿に向かって左側の木は立派ですね。

 

 

 樹齢300年のクスノキです。

 

 

 右側の木もまた同じような樹齢の木でしょうか。

 

 

 拝殿。

 

 

 側面から本殿の覆屋を見ます。

 

 

 境内の様子。

 

 

 それではここからしばらくこの界隈をウロウロしてみようと思います。

 

 手元のマップを見ながらまずは国分尼寺跡へ行ってみましょう。

 

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肥前国庁跡資料館

印鑰神社

肥前国分尼寺跡

 

【参考資料】

  • 現地説明板

 

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