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市内にあるお寺の梵鐘の音を聴き比べられる朝霞市博物館

最終更新日:2015年10月12日

 

前回の記事はこちら

 

 岡城跡を見たら、次は東圓寺と朝霞市博物館を探訪してみましょう。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2015年1月17日(土)
天候 曇り時々晴れ
探訪ルート 柊塚古墳 → 岡城 → 朝霞市博物館 → 滝の城

 

朝霞市博物館概要
ふりがな あさかしはくぶつかん
住所 埼玉県朝霞市岡2-7-22

公式サイト http://www.city.asaka.lg.jp/soshiki/42/museum.html

 

岡城の歴史の謎を解く鍵を握っている!?

 

 城山公園から5分も歩かずに、「東圓寺前」交差点があり、そこが参道入口となり、北西方向に参道が伸びています。

 

東圓寺参道入口

写真1 東圓寺参道入口

 

 100mほど歩くと、三門が見えました。

 

三門

写真2 三門

 

 三門をくぐると、緑の多い境内でした。

 

緑の多い境内

写真3 緑の多い境内

 

 松光山東圓寺は真言宗智山派のお寺で、境内には来歴について書かれた説明板はありませんが、『新編武蔵風土記稿』「巻之百三十三 新座郡之五 野方領 岡村 東圓寺」によると、江戸末期の時点で、豊島郡石神井の三寶寺の末山でした。

 

 昔は薬王山と号しましたが、江戸末期の時点ではそれを院号とし、松光山薬王院と称しています。

 

 岡城のページでも述べましたが、同書が引く寺伝によれば、もともと現在地より東側の不動坂の西に、12間四面の薬師堂とその別当寺が5宇あったのが廃れてしまい、寛弘年間(985〜1011)に法印永慶が中興し、薬師仏を本尊としてきましたが、またもや廃れてしまっていたところ、太田道灌が岡城を築城したときに、薬師仏を城内の持仏堂へ移してしまいました。

 

 ところが、道灌は夢のお告げによって、薬師仏をお寺に戻したと言います。

 

 『武蔵野歴史地理』によると、東圓寺が現在地に移転したのは慶長18年(1613)です。

 

鐘楼

写真4 鐘楼

 

 東圓寺は台地の崖部にあり、西側の眺望が開けています。

 

西側の眺望

写真5 西側の眺望

 

 本堂の屋根は、北朝霞駅からこちらへ向かう時に、黒目川の対岸からも見えていました。

 

鐘の音マニア垂涎の機械装置

 

 東圓寺の西の墓地側からは外に出られなかったので、もう一度三門に戻り、5分ほど歩いて朝霞市博物館へやってきました。

 

朝霞市博物館 

写真6 朝霞市博物館

 

 朝霞市博物館は入館無料で、もちろん考古遺物の展示もあります。

 

 館内は撮影NGなので写真はありませんが、本日の最初に訪れた柊塚古墳から出土した家形埴輪(トイレのデザインになっていた)が目玉でしょう。

 

 関東の古墳の出土物としてはかなり珍しいものだと思いますが、専門家の方、いかがでしょうか?

 

 あとは、私がとくに気に入ったのは、市内のいくつかのお寺の鐘の音が聴ける装置です。

 

 ヘッドホンではなく、普通にスピーカーに出てくるので、音が館内に響いてしまうのですが、お寺によって鐘の音が全然違うことに驚きました。

 

 今までは鐘の音なんてどれも同じだろうと漠然と思っていましたが、まったくの思い込みだったのですね。

 

 「ゆく年くる年」をもっと注意深く見るべきでした。

 

 しかしこうも個性があると、おそらく「鐘の音マニア」も国内にはいるのではないかと想像できます。

 

 全国の鐘を撞いて回るのが趣味の人とか・・・

 

 これ、絶対いるでしょう。

 

 それでは、鐘の音に魅了されたところで、本日最後の探訪地である所沢市の滝の城跡へ向かいましょう。

 

 

つづきの記事はこちら

 

【参考資料】

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岡城
埼玉県南部で遺構を見ることができる貴重な城跡。
しかし、歴史についてはほとんど分かっておらず、道灌伝説があることから、岩付太田氏との関連が考えられます。