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北条氏康、長尾景虎そして豊臣軍の攻撃にも耐えた難攻不落の城・忍城

最終更新日:2017年7月31

 

忍城概要

 

ふりがな おしじょう
別名 亀城
住所 埼玉県行田市本丸17-23(郷土博物館の住所)

史跡指定 埼玉県指定史跡
現況 本丸周辺が忍城址公園、それ以外は市街地
規模/比高 東西約1000m×南北約1000m/比高約m(『日本城郭大系 5』)
目で見られる遺構 土塁
復元 御三階櫓・伝進修館表門
存続時期 延徳2年(1490)に成田下総守親泰が築城(『日本城郭大系 5』)
城主・城代・関係者 城主:成田親泰・長泰・氏長
城代:成田泰秀
城攻めの記録 天文22年(1553) 【守】成田長泰 vs 【攻】北条氏康 → 氏康撤退
永禄2年(1559) 【守】成田長泰 vs 【攻】長尾景虎 → 長泰から講和申し出
天正18年(1590) 【守】成田泰秀 vs 【攻】石田三成・長束正家 → 小田原城が落城したことにより停戦・開城
大手方向
仮想敵方向  
関連施設 https://www.city.gyoda.lg.jp/kyoiku/iinkai/sisetu/hakubutukan.html(郷土博物館)
その他

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年3月14日(土)
天候 曇り時々晴れ
探訪ルート 忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳
同道者 なし

 

わずかな形跡に喜ぶ

 

 行田市郷土博物館自体が近世忍城の本丸跡にあります。

 

 ですので、博物館周辺に忍城の面影を探してみようと思いますが、ほとんど遺構は残っていないようです。

 

 それでももしかしたら、何か面白いものがあるかも知れない。

 

 確か、博物館の裏手には土塁があるとどこかで読んだような・・・

 

 これかな?

 

土塁

写真1 土塁

 

 さきほど博物館で購入した「忍城今昔地図」を見てみると、確かにこの場所に土塁が描かれています。

 

 よし、土塁見っけ。

 

 塁上に登ります。

 

土塁

写真2 土塁

 

 これが中世の忍城にまで遡るかは分かりませんが、まずは遺構を発見できて嬉しいです。

 

土塁

写真3 土塁

 

 おや、なんか石が並んでいますよ。

 

櫓に使用された石垣

写真4 櫓に使用された石垣

 

 近世忍城の櫓に使用された石垣だそうです。

 

 「石垣」状になっていないので「石」で良いのではないかと思いますが、まあ細かいことはどうでもいいでしょう。

 

 昔、東京の渋谷城を調べに金王八幡に行ったときに、「渋谷城の石」というのがポツンと一つ置いてありましたが、おそらくこちらはそういった怪しいものではないでしょう。

 

 『日本城郭大系 5』では、『吾妻鏡』に登場する忍三郎・同五郎らは忍城の南側にある行田市駒形に、行田兵衛尉は東側にある忍にそれぞれ居館を構えたと推測しており、本丸跡からは中世前期の板碑が26基出土したというので、中世前期の時点では本丸周辺に館は無く、墓域であったことが分かります。

 

 一方で、戦国期に忍城主として活躍する成田氏は、『吾妻鏡』には成田七郎助綱が見え、熊谷市上之に居館がありました。

 

 おや、また土塁のようなものが・・・

 

土塁

写真5 土塁

 

 おー、良いですねえ。

 

 登ってみましょう。

 

土塁

写真6 土塁

 

 これはさっきのよりも大きくて、しかも長く続いています。

 

土塁

写真7 土塁

 

 ほかにも探せばあるかもしれませんが、忍城の遺構探しはこの辺で終わりにして、さきたま古墳群に早くいかないと講演に間に合わなくなるかも。

 

 この門は?

 

伝進修館表門

写真8 伝進修館表門

 

 説明板によると、市内城西の旧芳川家の表門を移築・復元したもので、かつては忍藩の藩校「進修館」の表門だったと伝わっているそうです。

 

 当初は赤色に塗られていた可能性があり、建造は解体時に見つかった冠木柄表面の墨書銘から天保3年(1832)ということが分かっています。

 

 「ザ・近世城郭!」っていう感じ。

 

ザ・近世城郭!

写真9 ザ・近世城郭!

 

 忍城址を出て道路を南下すると、中学校の門の脇に「成田御門跡」と刻された石碑が建っています。

 

成田御門跡

写真10 成田御門跡

 

 「忍城今昔地図」によると、三の丸に入るために南に開いた二つの出入口のうちの一つです。

 

 内側は通路が鉤の手になっており、「枡形風」に見えますが、この図だけでは判断できません。

 

 水城公園にやってきました。

 

水城公園

写真11 水城公園

 

 公園に入ると、今度は「三階櫓跡」の石碑があります。

 

三階櫓跡

写真12 三階櫓跡

 

 おや、ここにも土塁のようなものがありますね。

 

三階櫓櫓台

写真13 三階櫓櫓台

 

 こちらは三階櫓の櫓台のようです。

 

三階櫓櫓台

写真14 三階櫓櫓台

 

 櫓台から公園を眺めます。

 

櫓台から公園を眺める

写真15 櫓台から公園を眺める

 

 おっと、気になっていた「ゼリーフライ」の店を発見!

 

ゼリーフライの店 駒形屋

写真16 ゼリーフライの店 駒形屋

 

 多分、皆そうだと思いますが、最初「ゼリーフライ」と聞いたときは、「え、ゼリーを揚げるの?」と思いました。

 

 でも実際は、衣の付いていないポテトコロッケのようなものなのです。

 

ゼリーフライ""

写真17 ゼリーフライ

 

 このように串に刺してあるので、手軽に食べられて栄養もあるというなかなかの優れものです。

 

 小腹が空いたときはナイスな食べ物ですね。

 

 まりこふんさんも、さきたま古墳群で店主にそそのかされて食べ過ぎたと歌っていますが、行田に来たら絶対に食べないといけないソウルフードですよ。

 

 

 念願のゼリーフライを食べてエネルギーが回復したので、さきたま古墳群に向けて急ぎましょう。

 

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忍城

高源寺

 

【参考資料】

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