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小さな墳丘に3基もの埋葬主体を持つ円墳・大日塚古墳/佐間古墳群

最終更新日:2016年2月9日

 

 前回の記事はこちら

 

 早くさきたま古墳群に行きたいですが、伏兵が至るところに潜んでおりなかなか進めません。

 

 そしてまた、新たな伏兵が・・・

 

大日塚古墳諸元

 

概要

 

ふりがな だいにちづかこふん
別名 うるし塚、山伏塚(『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』)
住所 埼玉県行田市佐間3-8-9

交通  
史跡指定 行田市指定史跡
指定日:平成11年(1999)3月25日
現況 行田市埋蔵文化財センター
築造時期 6世紀前半ごろ(現地説明板)
当初5世紀末、6世紀前半代に改変(『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』)
関連施設 行田市埋蔵文化財センター

 

墳丘

 

形状 前方後円墳 前方後方墳 円墳 方墳 八角墳 上円下方墳
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 径約18m(現地説明板)
墳丘高 約m
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

第一主体部(箱式石棺)

 

掘削 竪穴式 横穴式
石室/槨 箱式石棺 木棺直葬 竪穴式石槨 粘土槨 礫槨
石室/槨規模 内法長約1.8m、東幅0.55m、中央幅約0.5m、西幅0.38m
人骨 なし
遺物 なし
見学 可能 不可能

 

第二主体部(第一粘土槨)

 

掘削 竪穴式 横穴式
石室/槨 箱式石棺 木棺直葬 竪穴式石槨 粘土槨 礫槨
石室/槨規模 全長約2.8m、内法長約2.5m、中央幅約0.53m、高さ0.12m
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 箱式石棺 不明
人骨 歯および粉末状になった人骨
遺物 大刀×1、鉄鏃×6、鹿角装刀子×2
見学 可能 不可能

 

第三主体部(第二粘土槨)

 

掘削 竪穴式 横穴式
石室/槨 箱式石棺 木棺直葬 竪穴式石槨 粘土槨 礫槨
石室/槨規模 全長約3.35m、内法長2.55m、中央幅0.58m、高さ0.15m
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 箱式石棺 不明
人骨 なし
遺物 刀子×2、鉄製弓金具×2、鉄鏃×10以上
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物 円筒埴輪
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年3月14日(土)
天候 曇り時々晴れ
探訪ルート 忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳
同道者 なし

 

予想外の大型板碑に驚愕

 

 お、猫ちん!

 

猫ちん

写真1 猫ちん

 

 逃げられた!

 

逃げられた!

写真2 逃げられた!

 

 確か、この辺りに行田市埋蔵文化財センターがあるはず。

 

 お、あった!

 

行田市埋蔵文化財センター

写真3 行田市埋蔵文化財センター

 

 高源寺と妙音寺は予想外の伏兵でしたが、実はここはあらかじめ存在を知っていて、わざと伏兵の罠に引っ掛かってみたわけです。

 

 今日は土曜日なのでセンターが休みであるのは知っていましたが、お目当てはこの古墳です。

 

大日塚古墳

写真4 大日塚古墳

 

 説明板によると、径約18mの円墳で、こんな小さな古墳に3基もの埋葬主体があるのです。

 

 築造時期は6世紀前半頃とされますが、その時期はちょうどすぐ近くの埼玉古墳群が隆盛を極めていた頃になりますね。

 

 埼玉古墳群のなかの大型古墳の被葬者は、後の武蔵国に含まれる範囲を統べる「王」であったことは確実なので、ここ大日塚古墳の被葬者は王の下に属した地域の首長だと考えられます。

 

 以前はこの辺りにいくつかの古墳が存在して、佐間古墳群を形成していました。

 

 『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』によると、佐間古墳群で墳丘が残っているのはここ大日塚古墳と諏訪古墳の2基だけです。

 

 説明板には箱式石棺1基と粘土槨2基の合計3基の埋葬主体があると書かれていますが、該書によれば、最初にこの古墳が築造されたのは5世紀末で、そのときに箱式石室が埋められ、その後の6世紀前半代に粘土槨2基並列して埋められたといいます。

 

 粘土槨の2基は仲良く並んでいるので、夫婦かな?と想像したりしますが、そうすると同時に埋めたことが解せず、もしかしたら男性の首長が亡くなり、妻が殉死して同時期に埋葬されたのかな?と考えてしまうのです。

 

 うわっ、なんだこの巨大な板碑は!

 

巨大な板碑

写真5 巨大な板碑

 

 大日塚古墳の墳頂には、昔は嘉禎2年(1236)銘の大日を種子とした板碑が建っており、これはそのレプリカです。

 

 説明板には実物は資料館内に展示してあるということですが、今日は閉まっているから見れませんね。

 

 しかし今日の最初に郷土博物館で見た板碑もでかかったけど、これも凄い大きさだなあ・・・

 

 こんなのがかつては墳頂に建っていたなんて、想像すると何か板碑が陽を浴びて神々しく光る様子が目に浮かびます。

 

 さて、さきたま古墳群はすぐそこに迫っています。

 

 もう12時を回ってしまったので、1時間少しでどれだけ見れるでしょうか。

 

 急ぎます。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』 塩野博/著 2004年
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