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東国の古代史解明に大きく寄与している国宝・金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳/埼玉古墳群

最終更新日:2017年7月31日

 

稲荷山古墳概要

 

ふりがな いなりやまこふん
別名 曽根塚・田山
住所 埼玉県行田市埼玉4834(さきたま史跡の博物館所在地)

交通 JR行田駅から市内循環バス「観光拠点循環コース」、埼玉古墳公園前下車、徒歩すぐ

・左回り(乗車時間約15分) 9:05発 12:50発 15:15発
・右回り(乗車時間約40分) 7:50発 10:40発 14:05発
※時刻表は2016年2月11日時点です。変更されれる場合がありますので探訪する場合は事前にご確認ください
※市内循環バス以外にもバスがありますので、埼玉県立さきたま史跡の博物館のWebサイトでご確認ください

史跡指定
正式名称:埼玉古墳群
指定日:昭和13年(1938)8月8日
現況 さきたま古墳公園
築造時期 5世紀後半(現地説明板)
500年前後(『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』)
関連施設 埼玉県立さきたま史跡の博物館

 

墳丘

 

形状 前方後円墳 前方後方墳 円墳 方墳 八角墳 上円下方墳
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約120m(現地説明板)
墳丘高 前方部10.7m(推定)・後円部11.7m
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし 不明

 

埋葬主体

 

※典拠は『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』

 

第一主体部(礫槨)

 

掘削 竪穴式 横穴式
石室/槨 箱式石棺 木棺直葬 竪穴式石槨 粘土槨 礫槨(舟形に掘りこんだ上に川原石を貼り付け)
石室/槨規模 内法長約5.7m、最大幅1.2m
割竹形木棺 舟形木棺 舟形石棺 長持形石棺 家形石棺 不明
棺規模 不明
人骨 なし
遺物 金錯銘鉄剣・環状乳画文帯神獣鏡など多量
構築時期 古墳築造から20〜30年後
見学 可能 不可能

 

第二主体部(粘土槨)

 

掘削 竪穴式 横穴式
石室/槨 箱式石棺 木棺直葬 竪穴式石槨 粘土槨 礫槨
石室/槨規模 2段の掘り込み
上段:全長約6.5m、最大幅1.9m
下段:長さ約5m、最大幅1.1m
割竹形木棺 舟形木棺 舟形石棺 長持形石棺 家形石棺 不明(形状不明の木棺)
棺規模 不明
人骨 なし
遺物 刀身残欠ほか
構築時期 不明
見学 可能 不可能

 

周溝

 

※典拠は『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
内堀幅20m、中堤幅14m、外堀幅12m
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物 円筒埴輪・円筒埴輪片・形象埴輪(巫女・武人など)・鬼高T式土師器ほか
周溝を含めた最大長 南北205m・東西170m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年3月14日(土)
天候 曇り時々晴れ
探訪ルート 忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳
同道者 なし

 

ここからあの金錯銘鉄剣が出たのか・・・

 

 丸墓山古墳のあまりもの巨大さに驚愕し、その墳頂から周囲の古墳や忍城を眺めながら短時間の妄想に沈溺したあとは、埼玉古墳群のなかでもとくに話題に取り上げられる回数の多い稲荷山古墳を楽しみましょう。

 

 埼玉古墳群の特徴は、各古墳の距離が非常に近いことです。

 

 周溝が接するんじゃないかくらいの距離で密集しているんです。

 

 別に土地の値段が高かったとかそういうことはないのですが、これには何かサキタマの王たちの事情があったのでしょうか。

 

 稲荷山古墳。

 

稲荷山古墳

写真1 稲荷山古墳

 

 さきほど登った丸墓山古墳が名残惜しい・・・

 

丸墓山古墳

写真2 丸墓山古墳

 

 古墳を撮影する際、好きなアングルがいくつかあるのですが、特にこのアングルは堪りません。

 

くびれ部分が堪らない

写真3 くびれ部分が堪らない

 

 前方部の奥に後円部が見えますが、そのくびれ部分が良いのです。

 

 前方後円墳のこのセクシーな形を考えた人は本当に天才だと思います。

 

 なお、前方後円墳のデザインは、当時の女性が着たワンピースのような服から考案したと考えている人もいます。

 

 さて、実はこの後方部は昭和12年(1937)に土取りで消滅してしまい、それからだいぶ経った2004年に復元したものなのです。

 

 お城の場合もそうなんですが、異様に復元を嫌がる人がいます。

 

 今日の最初に見た忍城の御三階櫓なんかもそうですが、復元だと分かっている上で見学する分には問題ないかと思います(ただし、御三階櫓の場合は場所も往時と違いますが)。

 

 さらには古墳の場合は墳丘の整備を嫌う人もいて、草や木々の生えた素のままの古墳が好きな人もいますね。

 

 私はその辺は結構ミーハーで、この稲荷山古墳のようにきれいに整備されているのも結構好きです。

 

 だって、カッコいいじゃん!

 

 でも、オーガニックな感じの古墳ももちろん好きですよ。

 

 『ワカタケル大王とその時代 埼玉稲荷山古墳』によると、土取りの工事が始まる前には宝探しで多くの人が訪れて、おでん屋まで出店する騒ぎだったそうです。

 

 前方部の土取りの際には、中から石組が出てきて錆びた刀や固まった鏃が出てきたそうで、前方部にも埋葬主体があった可能性があります。

 

 南側には二子山古墳が見えます。

 

二子山古墳

写真4 二子山古墳

 

 稲荷山古墳のそばにも説明板がありました。

 

説明板

写真5 説明板

 

 これにも書かれている通り、稲荷山古墳の最大の目玉は出土された国宝・金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)なのですが、これについてはまた後で話します。

 

 図の通り、周溝は二重に巡っており、これは埼玉古墳群の他の前方後円墳すべてに共通です。

 

 ただし、周溝の形状は古墳によって若干違いがあり、稲荷山古墳の場合は長方形で、西側にお城の枡形のような造出部分があります。

 

 内側の周溝は残っていますが、外側は一部に形跡があるもののほぼ消滅しています。

 

内側の周溝

写真6 内側の周溝

 

 『ワカタケル大王とその時代 埼玉稲荷山古墳』によると、「風土記の丘」事業により古墳群の整備が始まった1967年当時は、古墳と言えば周溝に水を湛えたイメージが一般的であり、そういった先入観に加え、その後の調査が不十分だったことも相まって、1976年には水が湛えられるように周溝を掘削してしまいました。

 

 しかしその後、水は溜まっていなかったことが分かったので、現在では写真の通り水を抜いてあります。

 

 前方部からは階段があって墳頂に登れるようになっていますよ。

 

前方部を麓から見る

写真7 前方部を麓から見る

 

 やっぱり丸墓山古墳が気になる。

 

丸墓山古墳

写真8 丸墓山古墳

 

 さて、後方部墳頂に登りましょう。

 

後方部墳頂

写真9 後方部墳頂

 

 墳頂から西側を見下すと造出部分が見えます。

 

造出部分

写真10 造出部分

 

 これも埼玉古墳群の特徴の一つで、稲荷山古墳以外にも、二子山古墳・将軍山古墳・瓦塚古墳・鉄砲山古墳にも造出が認められます。

 

 ただその位置はなぜか古墳によって微妙に違って、稲荷山古墳はくびれ部分のやや後円部側から半島状に飛び出ていますが、例えば二子山古墳の場合はどちらかというと後方部寄りから飛び出ています。

 

 写真10で周溝の対岸に半円状に草地が見えますが、現在は地表面からは分からないものの往時は葬送儀礼の場となった中堤の張り出し部分があり、人物埴輪を始めとする多くの埴輪が立てられており、発掘調査で見つかったそれらの埴輪は、さきたま史跡の博物館で観ることができます。

 

 しつこく丸墓山古墳。

 

後方部墳頂から丸墓山古墳を見る

写真11 後方部墳頂から丸墓山古墳を見る

 

 前方部から後円部を見ます。

 

前方部から後円部を見る

写真12 前方部から後円部を見る

 

 原則として前方後円墳は前方部よりも後円部の方が標高が高いです。

 

 初期の頃の古墳の中にはほとんど高さが変わらない物がありますが、それでもやはり後円部の方が高いのです。

 

 一応、現代の学者は四角い方を「前」、丸い方を「後」として考えており、それが正しいとしたら奥の方が標高が高いのは視覚的にも納得できます。

 

 後円部から南東方向には将軍山古墳が見えます。

 

後円部から将軍山古墳を見る

写真13 後円部から将軍山古墳を見る

 

 おっと、埋葬主体が見学できるようになっていますね!

 

礫槨

写真14 礫槨

 

 棺(ひつぎ)を安置する場所を埋葬主体といったり埋葬施設と言ったりするのですが、私は用語の語感を楽しむのが好きで、「まいそうしゅたい」という発音の方が好きなので、埋葬主体と呼んでいます。

 

 稲荷山古墳の後円部からは埋葬主体が2基見つかっており、両者とも竪穴で、上のは舟形に掘った上に川原石を並べてその上に棺を置いていました。

 

礫槨説明板

写真15 礫槨説明板

 

 ここからあの金錯銘鉄剣が出たんですよ!

 

 もう一つの埋葬主体は粘土を敷いた上に棺を置いた粘土槨です。

 

粘土槨

写真16 粘土槨

 

 私は古墳の見どころは大きく二つあると思っていて、一つは墳丘、そしてもう一つは埋葬主体です。

 

 埋葬主体は大きく分けて上のような竪穴方式と古墳時代中期以降に出てくる横穴方式があります。

 

 こうやって竪穴式石室を観察できる古墳は珍しいのですが、横穴式石室だと石室自体がうまく保存してあって、中に入って見事な石積みを見ることができたりします。

 

 通常、古墳築造時に最初に埋葬された主体は墳頂の中央部にあるものなのですが、『ワカタケル大王とその時代 埼玉稲荷山古墳』によると、墳頂の調査をした際に、中央からは外れた上記の2基が見つかり、その時点で発掘調査が終わりました。

 

 遺跡は発掘調査をすると当然ながら破壊を伴うので、発掘も慎重にしないといけないのですが、その後破壊せずに地下の様子が分かるレーダーを使い調査したところ、中央部にも石室らしきものと思われる反応があり、またそれ以外にも2基はあることが分かり、後円部の埋葬主体は合計5基であると考えられています。

 

 造出を今度は後円部から見ます。

 

後円部から造出を見る

写真17 後円部から造出を見る

 

 造出がある古墳は全国的にも少数で、大型前方後円墳に付されるケースが多いので、イコール埼玉古墳群の被葬者たちは相当威勢があったと想像できます。

 

 んでまた、丸墓山古墳。

 

丸墓山古墳

写真18 丸墓山古墳

 

 こうやって古墳の墳丘に居ながら他の古墳に思いを寄せるのを、「古墳の二股」と言います。

 

 稲荷山古墳は既述した通り、それまで古墳がなかった地域に、5世紀後半になって突如築造された古墳です。

 

 稲荷山古墳以降、大型古墳の築造が続くことから、この地域を治めた「サキタマの王」が、安定的に広大な地域の支配を続けていたことが分かります。

 

 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』所収「北武蔵 埼玉古墳群」では、稲荷山古墳の突如とした構築から「治水王」の誕生を読みとっていますが、この広大な大地で治水に成功して農業生産が拡大すれば、相当な富を得ることができますので、該書が言うように治水の成功がサキタマの王の重要な発生原因の一つだと考えていいと思います。

 

 『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』によると、埼玉古墳群の西1kmに位置する高畑遺跡で発見された幅約3mの方形区画溝は、豪族の居館跡である可能性が高いということなので、もしかするとそこにサキタマの王の居館があったのかも知れません。

 

 また同書によれば、南に4kmの地点にある鴻巣市築道下(ちくみちした)遺跡は、埼玉古墳群の形成とほぼ同時に現れた集落で、古墳時代後期を中心に平安時代までの住居跡789軒、掘立柱建物跡238軒などが検出され、サキタマの王を支える集落の一つでした。

 

 さらに言えば、築道下遺跡と同じ鴻巣市内には、東国で最大の埴輪製造所である生出塚(おいねづか)埴輪窯跡があり、『シリーズ「遺跡を学ぶ」073 東日本最大級の埴輪工房 生出塚埴輪窯』によれば、当初は埼玉古墳群に対して埴輪を供給していましたが、時代が下ると最も遠くは上総方面(千葉県)まで埴輪を供給しており、この埴輪の流通はサキタマの王がコントロールしていたと考え、遠隔地と政治的に提携していた可能性も高いです。

 

 あ、ついに金錯銘鉄剣については語りませんでしたね。

 

 金錯銘鉄剣はさきたま史跡の博物館にあるそうなので、後で博物館を見学した時に語るとしましょう。

 

 次は将軍山古墳です。

 

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丸墓山古墳

稲荷山古墳

将軍山古墳

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『ワカタケル大王とその時代 埼玉稲荷山古墳』 小川良祐・狩野久・吉村武彦/著 2003年
  • 『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』 塩野博/著 2004年
  • 『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』 高橋一夫/著 2005年
  • 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』 広瀬和雄・池上悟/著 2007年
  • 『シリーズ「遺跡を学ぶ」073 東日本最大級の埴輪工房 生出塚埴輪窯』 高田大輔/著 2010年
  • 『ガイドブック さきたま』 埼玉県立さきたま史跡の博物館/編 2015年
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