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国内でほとんど見つかっていない馬冑が出土した将軍山古墳/埼玉古墳群

現在構築中です!

 

最終更新日:2016年2月14日

 

 前回の記事はこちら

 

将軍山古墳諸元

 

概要

 

ふりがな しょうぐんやまこふん
別名 将軍塚
住所 埼玉県行田市埼玉4834(さきたま史跡の博物館所在地)

交通 JR行田駅から市内循環バス「観光拠点循環コース」、埼玉古墳公園前下車、徒歩すぐ

・左回り(乗車時間約15分) 9:05発 12:50発 15:15発
・右回り(乗車時間約40分) 7:50発 10:40発 14:05発
※時刻表は2016年2月11日時点です。変更されれる場合がありますので探訪する場合は事前にご確認ください
※市内循環バス以外にもバスがありますので、埼玉県立さきたま史跡の博物館のWebサイトでご確認ください

史跡指定 国指定史跡
正式名称:埼玉古墳群
指定日:昭和13年(1938)8月8日
現況 さきたま古墳公園
築造時期 6世紀後半(現地説明板、『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』)
(『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』)
関連施設 埼玉県立さきたま史跡の博物館

 

墳丘

 

※典拠は『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約90m(現地説明板)
墳丘高 前方部約10.1m(『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』)
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

※典拠は『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』

 

第一主体部

 

掘削 竪穴式 横穴式
石室/槨 右片袖型石室
石室/槨規模 玄室の長さ3.2m、幅2.0m、羨道幅1m
割竹形木棺 舟形木棺 舟形石棺 長持形石棺 家形石棺 不明
人骨 なし
遺物 環頭大刀、金銅製棘葉形杏葉、馬冑、蛇行状鉄器×2ほか多数
見学 可能 不可能

 

第二主体部

 

掘削 竪穴式 横穴式
石室/槨 箱式石棺 木棺直葬 竪穴式石槨 粘土槨 礫槨
規模 東西2.3m、南北1.5m、深さ0.9m
割竹形木棺 舟形木棺 形状不明の木棺 家形石棺 長持形石棺 箱式石棺 不明
人骨 なし
副葬品 ガラス玉×168
見学 可能 不可能

 

周溝

 

※典拠は『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物
周溝を含めた最大長 180m(『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』)

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年3月14日(土)
天候 曇り時々晴れ
探訪ルート 忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳
同道者 なし

 

 

 

 

 将軍山古墳を西から見ます。

 

将軍山古墳を西から見る

写真1 将軍山古墳を西から見る

 

 説明板発見。

 

説明板

写真2 説明板

 

 説明板に書かれている通り、将軍山古墳は6世紀後半に築造され、埼玉古墳群の中では初めて横穴式石室が採用された古墳です。

 

 この頃の関東にはすでに最新モードである仏教の影響が見られ、説明板の左下に載っている銅鋺は仏具と言われているものです。

 

 二重の周溝の真中にある中堤からは外側に向けて土橋のようなものが伸びています。

 

土橋

写真3 土橋

 

 外側の周溝。

 

外側の周溝

写真4 外側の周溝

 

 造出部分。

 

造出部分

写真5 造出部分

 

 2段築成の縁の部分には円筒埴輪が並べられて、往時の雰囲気を出していますね。

 

 前方部から後円部を見ます。

 

前方部から後円部を見る

写真6 前方部から後円部を見る

 

 昭和の初め頃には墳頂に民家が3軒建っていたそうです。

 

 こちらにも説明板があります。

 

説明板

写真7 説明板

 

 南側には二子山古墳が後円部をこちらに向けて佇んでいます。

 

二子山古墳

写真8 二子山古墳

 

 西を見ると丸墓山古墳が。

 

丸墓山古墳

写真9 丸墓山古墳

 

 将軍山古墳の内部には何と展示館があるので、東側に回って入口へ行ってみましょう。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『行田市郷土博物館 見学のしおり』 行田市郷土博物館
  • 『古代を考える 東国と大和王権』 原島礼二・金井塚良一/編 1994年
  • 『ワカタケル大王とその時代 埼玉稲荷山古墳』 小川良祐・狩野久・吉村武彦/著 2003年
  • 『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』 塩野博/著 2004年
  • 『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』 高橋一夫/著 2005年
  • 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』 広瀬和雄・池上悟/著 2007年
  • 『シリーズ「遺跡を学ぶ」073 東日本最大級の埴輪工房 生出塚埴輪窯』 高田大輔/著 2010年
  • 『古墳からみた 倭国の形成と展開』 白石太一郎/著 2013年
  • 『ガイドブック さきたま』 埼玉県立さきたま史跡の博物館/編 2015年

 

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