◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

将軍山古墳展示館

最終更新日:2017年7月30日

 

将軍山古墳展示館概要

 

ふりがな しょうぐんやまこふんてんじかん
別名
住所 埼玉県行田市埼玉4834(さきたま史跡の博物館所在地)

交通 JR行田駅から市内循環バス「観光拠点循環コース」、埼玉古墳公園前下車、徒歩すぐ

・左回り(乗車時間約15分) 9:05発 12:50発 15:15発
・右回り(乗車時間約40分) 7:50発 10:40発 14:05発
※時刻表は2016年2月11日時点です。変更されれる場合がありますので探訪する場合は事前にご確認ください
※市内循環バス以外にもバスがありますので、埼玉県立さきたま史跡の博物館のWebサイトでご確認ください

関連施設 埼玉県立さきたま史跡の博物館

 

スポンサードリンク


第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年3月14日(土)
天候 曇り時々晴れ
探訪ルート 忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳
同道者 なし

 

 

 小さなお子さんを連れたお父さんが先に入って行きます。

 

将軍山古墳展示館入口

写真1 将軍山古墳展示館入口

 

 中はそれほど広くないようです。

 

 お、騎馬武者!

 

騎馬の戦士

写真2 騎馬の戦士

 

 でも古墳時代なので「武者」とは言わないかもしれませんね。

 

 古墳時代の鎧はご覧の通り、まだ「三国志」チックな鎧です。

 

 ここで注目したいのは、戦士の背後にある旗を差すニョロニョロっとした棒です。

 

 これは蛇行状鉄器と呼ばれているもので、出土した当初は何に使うものか分かりませんでした。

 

 ところが酒巻14号墳から出土した馬の埴輪にそっくりなものが付いていたのです。

 

 そのため、使用方法が分かったというわけですね。

 

 横穴式石室内部の復元もあります。 

 

横穴式石室内部の復元

写真3 横穴式石室内部の復元

 

 将軍山古墳の第一主体部に葬られた被葬者は、このような感じで安置されていたのです。

 

 鎧や馬の鞍などが副葬されているので男子ということが想定できます。

 

 おや、馬冑はありませんね。

 

このあと、さきたま史跡の博物館に行ったら展示されていました。

 

 さきたま古墳群にはまだまだ古墳がありますので続きを見てみましょう!

 

<< 戻る

現在地

進む >>

将軍山古墳展示館

 

【参考資料】

  • 現地説明板

 

 

スポンサードリンク



 

ご意見・ご感想は、稲用章

inayouアットマークa.email.ne.jp

までお願いします。

 




関連ページ

稲荷山古墳
埼玉の地に突如現れた大型前方後円墳。
稲荷山古墳の登場は、武蔵国内の最大勢力が5世紀後半に多摩川下流から埼玉の地へ移ったことを示しています。
二子山古墳
丸墓山古墳
円墳としては国内最大の古墳で、墳頂の高さは古墳群で最も高く、使用した土の量は古墳群最大の二子山古墳をしのぎます。
なぜ前方後円墳ではなく巨大な円墳なのか、サキタマとヤマトとの微妙な政治関係に歴史ロマンを感じます。
瓦塚古墳
奥の山古墳
将軍山古墳
鉄砲山古墳
愛宕山古墳
大日塚古墳
前玉神社および浅間塚古墳
真名板高山古墳
小見真観寺古墳
鴻巣市文化センター(クレアこうのす)内には生出塚
八幡山古墳
防人藤原部等母麿遺跡
真観寺
真名板薬師堂
忍諏訪神社・東照宮
忍城
忍城は戦国初期に成田氏によって築城された城で、湖の中に浮かぶ島のような縄張になっています。
天正18年の豊臣政権による小田原攻めの際にも最後まで落城を免れた難攻不落の城です。
高源寺
妙音寺
さきたま史跡の博物館
行田市郷土博物館