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武蔵国内で最大の前方後円墳・二子山古墳/埼玉古墳群

最終更新日:2017年7月30日

 

二子山古墳概要

 

ふりがな ふたごやまこふん
別名
住所 埼玉県行田市埼玉4834(さきたま史跡の博物館所在地)

交通 JR行田駅から市内循環バス「観光拠点循環コース」、埼玉古墳公園前下車、徒歩すぐ

・左回り(乗車時間約15分) 9:05発 12:50発 15:15発
・右回り(乗車時間約40分) 7:50発 10:40発 14:05発
※時刻表は2016年2月11日時点です。変更されれる場合がありますので探訪する場合は事前にご確認ください
※市内循環バス以外にもバスがありますので、埼玉県立さきたま史跡の博物館のWebサイトでご確認ください

史跡指定
正式名称:埼玉古墳群
指定日:昭和13年(1938)8月8日
現況 さきたま古墳公園
築造時期 6世紀初め頃(現地説明板)
6世紀前半(『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』)
(『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』)
関連施設 埼玉県立さきたま史跡の博物館

 

墳丘

 

※典拠は『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 全長約138m(現地説明板)
墳丘高 前方部14.9m
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし 不明

 

埋葬主体

 

※典拠は『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』

 

第一主体部(礫槨)

 

掘り方 竪穴式 横穴式
石室・槨
規模
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 箱式石棺 不明
人骨 なし
副葬品
見学 可能 不可能

 

周溝

 

※典拠は『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形(不正長方形) 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
内堀幅20m、中堤幅14m、外堀幅12m
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物
周溝を含めた最大長 約250m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年3月14日(土)
天候 曇り時々晴れ
探訪ルート 忍諏訪神社・東照宮 → 行田市郷土博物館 → 忍城 → 高源寺 → 妙音寺 → 大日塚古墳 → 丸墓山古墳 → 稲荷山古墳 → 将軍山古墳 → 将軍山古墳展示館 → 二子山古墳 → 愛宕山古墳 → 瓦塚古墳 → さきたま史跡の博物館 → 奥の山古墳 → 鉄砲山古墳 → 前玉神社および浅間塚古墳
同道者 なし

 

 

 将軍山古墳の内部に造られた展示館を出てきました。

 

 あの大きな前方後円墳を目指しますよ。

 

二子山古墳遠景

写真1 二子山古墳遠景

 

 二子山古墳はさきたま古墳群の中で最も大きな古墳で、墳丘長は138mを誇ります。

 

二子山古墳遠景

写真2 二子山古墳遠景

 

 東日本で一番大きな古墳は、群馬県太田市にある墳丘長210mの太田天神山古墳ですが、天神山古墳は5世紀半ばの築造で、5世紀の頃は全国的に見ても巨大古墳の築造ラッシュです。

 

 でも、6世紀になると畿内では前方後円墳が築造されなくなるので、その時代では全国的に見ても巨大な部類に入り、武蔵国内では古墳時代全部を通じて一番大きな古墳です。

 

 前方後円墳のことをよく「二子山」とか「二子塚」などと呼びますが、古墳時代の初めの前方後円墳は、前方部が後円部と比べてかなり低いので、あまり「二子」感はありません。

 

 ところが、後半に行くにつれてこの二子山古墳のように「二子」感がアップしてくるのです。

 

二子山古墳を後円部から見る

写真3 二子山古墳を後円部から見る

 

 北側から古墳への近接を試みますが、この道は後世に造られたものです。

 

北側から古墳への近接を試みる

写真4 北側から古墳への近接を試みる

 

 後世に造られた道から張り出し部分の横を眺めます。

 

後世に造られた道から張り出し部分の横を眺める

写真5 後世に造られた道から張り出し部分の横を眺める

 

 真横から見ると、前方部と後方部の高さがほとんど変わらないのが良く分かりますね。

 

真横から見る

写真6 真横から見る

 

 そして説明板。

 

写真7 秋元橋

 

 二子山古墳の後円部の先には将軍山古墳が見えます。

 

写真8 秋元橋

 

 さきたま古墳群の前方後円墳はすべてほぼ同じ方向(後円部が北東方向)を向いています。

 

 でも正確に方向を確認すると3つの系統があることが分かり、二子山古墳は稲荷山古墳とドンピシャです。

 

 稲荷山古墳はさきたま古墳群で初めに造られた古墳で、二子山古墳はその次なので、正確に方位を揃える意図があった上で築造されているわけです。

 

 では、次は愛宕山古墳を見ましょう。

 

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将軍山古墳展示館

二子山古墳

愛宕山古墳

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『行田市郷土博物館 見学のしおり』 行田市郷土博物館
  • 『古代を考える 東国と大和王権』 原島礼二・金井塚良一/編 1994年
  • 『ワカタケル大王とその時代 埼玉稲荷山古墳』 小川良祐・狩野久・吉村武彦/著 2003年
  • 『埼玉の古墳 北埼玉・南埼玉・北葛飾』 塩野博/著 2004年
  • 『シリーズ「遺跡を学ぶ」016 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る 埼玉古墳群』 高橋一夫/著 2005年
  • 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』 広瀬和雄・池上悟/著 2007年
  • 『シリーズ「遺跡を学ぶ」073 東日本最大級の埴輪工房 生出塚埴輪窯』 高田大輔/著 2010年
  • 『古墳からみた 倭国の形成と展開』 白石太一郎/著 2013年
  • 『ガイドブック さきたま』 埼玉県立さきたま史跡の博物館/編 2015年

 

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