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埼玉県内最古の前方後方墳・諏訪山29号墳/諏訪山古墳群

最終更新日:2016年1月30日

 

 前回の記事はこちら

 

 ほとんど事前調査をせずにやってきた諏訪山古墳群。

 

 富士浅間神社古墳は、その名の通り富士浅間神社を目指せばよかったのですぐに見つけられましたが、問題は諏訪山29号墳と同35号墳です。

 

諏訪山29号墳諸元

 

概要

 

ふりがな すわやまにじゅうきゅうごうふん
住所 埼玉県東松山市西本宿

交通 東武東上線高坂駅下車、徒歩約10分
史跡指定 なし
現況
築造時期 4世紀前葉末(『埼玉の古墳 比企・秩父』)
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段 不明
造出 あり なし
規模 全長約53m(『埼玉の古墳 比企・秩父』)
墳丘高 後方部約3.6m/前方部約1.6m(『埼玉の古墳 比企・秩父』)
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置 不明
掘り方 竪穴式 横穴式
石室・槨 不明
規模 不明
木棺直葬か 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明(『埼玉の古墳 比企・秩父』)
人骨 不明
副葬品 不明
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
後方部約6〜10m
中島 あり なし
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物 五領T式小型器台形土器、坩形土器、二重口縁壺形土器、小型高坏形土器など
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年2月1日(日)
天候 晴れ
探訪ルート 富士浅間神社古墳(諏訪山36号墳) → 諏訪山29号墳 → 東武鉄道高坂構外側廃線 → 高坂館および高済寺古墳 → 稲荷塚古墳
同道者 なし

 

久しぶりに玉砕

 

 諏訪山古墳群を訪れた本来の目的は、武蔵国内でも最古期の前方後方墳の29号墳と、同じく前方後円墳としては最古期の35号墳を見ることです。

 

 富士浅間神社の南側にはデイサービスセンターがあります。

 

 おそらくこの辺ではないかな・・・

 

 ウロウロしていると、雑木林の中にあきらかな土盛が。

 

 でも写真に撮ると・・・

 

雑木林の中の土盛

写真1 雑木林の中の土盛

 

 意味不明。

 

意味不明

写真2 意味不明

 

 確かにこの雑木林の中に古墳らしきものがあるのですが、それが29号墳なのか35号墳なのか良く分かりません。

 

 昨日の夜、出発直前に思い付いた探訪なので、下調べが十分にできていないことと、この後の予定が詰まっていることが相まって、今日は深く追及している時間はありません。

 

 久々に玉砕しました。

 

 もう時間がないので、次の目的地である高坂館跡を目指しましょう。

 

 ちなみに今回よくわからなかった29号墳と35号墳についてですが、『埼玉の古墳 比企・秩父』を元に簡単にスペックを示すと、

 

 29号墳 ・・・ 全長約53m 前方後方墳 4世紀前葉末
 35号墳 ・・・ 全長約68m 前方後円墳 4世紀後半末 県内の前方後円墳では最古級

 

 となっています。

 

 『東松山市史 資料編第1巻 原始古代・中世 遺跡・遺構・遺物編』では、35号墳の北側に古墳の印がマーキングされており、位置的にみると私が見たのは29号墳でした。

 

 『新編 埼玉県史 資料編2 原始・古代 弥生・古墳』が編された時点(1982年)では、浅間神社古墳と29号墳、35号墳ともに発掘調査がされておらず、該書には詳細な説明はありません。

 

 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』によれば、埼玉県内(北武蔵)では、古墳時代初期に比企地方に諏訪山29号墳を始めとした前方後方墳の構築が始まります。

 

 県内の他の地域ではまだ古墳の造営は始まらず、そのことから当時は県内で比企地方がもっともヤマトの文化を取り入れるのが早かった地域だということが分かります。

 

 ただし、後の武蔵国全体でみれば、南部の多摩川下流地域に大型前方後円墳の造営が早期に始まりその後も継続しますので、古墳時代前期は、多摩川下流地域がもっともヤマトとのつながりが強い権力地域であり、比企地方は前方後方墳が多いことから、それに次ぐ権力体であったことが分かります。

 

 同じ東松山市内にある全長115mを誇る野本将軍塚古墳は、いまだ構築時期については確定していませんが、野本将軍塚古墳の出現で比企地方の勢威は最高潮に達します。

 

 ところがその後、5世紀後半には県内で最も有名な、行田市のさきたま古墳群の造営がはじまり、また南武蔵でも大型前方後円墳の構築が終わり、武蔵国内での権力はさきたま勢力が握ることになります。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

  • 『新編武蔵風土記稿』「巻之百九十 比企郡之五 元宿村」 昌平坂学問所/編 1830年
    ↑クリックすると国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページへリンクします
  • 『東松山市史 資料編第1巻 原始古代・中世 遺跡・遺構・遺物編』 市史編さん課/編 1981年
  • 『新編 埼玉県史 資料編2 原始・古代 弥生・古墳』 埼玉県/編 1982年
  • 『さいたま古墳めぐり』 宮川進/著 さきたま出版会 1997年
  • 『埼玉の古墳 比企・秩父』 塩野博/著 さきたま出版会 2004年
  • 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』 広瀬和雄・池上悟/編 雄山閣 2007年
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