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高坂館および高済寺古墳/諏訪山古墳群

最終更新日:2016年1月30日

 

 前回の記事はこちら

 

 思わぬところで廃線跡に出会いましたが、シンポジウムに間に合わせるために先を急ぎましょう。

 

高坂館諸元

 

ふりがな たかさかやかた
別名 高坂刑部館(『日本城郭大系 5 埼玉・東京』)
住所 埼玉県東松山市高坂834(高済寺)

交通 東武東上線高坂駅下車、徒歩約10分
史跡指定 埼玉県指定旧跡 加賀爪氏塁代の墓
指定日:昭和38年(1953)8月27日
現況 高濟寺
規模/比高 東西約170m×南北約230m/約10m(『日本城郭大系 5 埼玉・東京』)
目で見られる遺構 土塁・空堀
復元 なし
存続時期
城主・城代・関係者 高坂刑部
城攻めの記録 「正法寺文書」に永禄5年(1562)に北条氏康が松山城を攻めた時に「高坂に陣を取り」とある(『城郭資料集成 中世北武蔵の城』)
大手方向
仮想敵方向 東および北
関連施設

 

高済寺古墳諸元

 

概要

 

ふりがな こうさいじこふん
住所 同上
交通 同上
史跡指定 なし
現況 高濟寺
築造時期
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段 不明
造出 あり なし
規模 不明
墳丘高 後方部約m/前方部約m
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置 不明
掘り方 竪穴式 横穴式 不明
石室・槨 不明
規模 不明
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明
人骨 不明
副葬品 不明
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
中島 あり なし 不明
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物  
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2015年2月1日(日)
天候 晴れ
探訪ルート 富士浅間神社古墳(諏訪山36号墳) → 諏訪山29号墳 → 東武鉄道高坂構外側廃線 → 高坂館および高済寺古墳 → 稲荷塚古墳
同道者 なし

 

戦国期の土豪も古墳を再利用

 

 住宅街の中をテクテク歩いていると、前方にお寺の本堂の屋根が見え、その前面に土塁が横たわっているのが見えました。

 

高濟寺と土塁

写真1 高濟寺と土塁

 

 おー、思ってたより立派な土塁!

 

立派な土塁

写真2 立派な土塁

 

 土塁の外側には空堀も残っていますね。

 

空堀

写真3 空堀

 

 高濟寺の山門。

 

高濟寺の山門

写真4 高濟寺の山門

 

 高濟寺の全面を東西に走る道の東側を見ると、先が一段低くなっていますね。

 

東側が一段低い

写真5 東側が一段低い

 

 高濟寺の場所は微高地になっていて、東側には小さな流れがあります。

 

 境内に入ると、左手に城山稲荷があります。

 

城山稲荷

写真6 城山稲荷

 

 城山という名前がついているということは、この館跡を城山と呼んでいるのでしょうか?

 

 本堂。

 

本堂

写真7 本堂

 

 なお、高濟寺には説明板は無く、予備知識がなく来た私は来歴等がまったく分かりません。

 

 『新編武蔵風土記稿』「巻之百九十 比企郡之五 高坂村」によると、曹洞宗高濟寺は大渓山と号し、野本村無量壽寺の末で、開山の大渓和尚は文禄2年(1593)9月29日に寂しているので、戦国末の開山であることが分かります。

 

 高濟寺は中世の頃にこの辺りを治めていた高坂氏の館跡と伝承され、しかも古代には先ほどから見ている諏訪山古墳群の範囲内で、ここにも高済寺古墳という古墳があるのです。

 

 そしてその古墳は中世に土塁として使われていたわけです。

 

 これがそうですね。

 

高済寺古墳

写真8 高済寺古墳

 

 そしてここでいつものごとく、「余湖くんのホームページ」から余湖図を引用させていただきます。

 

余湖図

図1 余湖図

 

 余湖図の左上の部分に高済寺古墳があるわけですが、古墳の墳頂は、江戸期にここに陣屋を構えた加賀爪氏塁代の墓地となっており、立派な宝篋印塔も建っています。

 

加賀爪氏塁代の墓

写真9 加賀爪氏塁代の墓

 

 古墳の先(北側)にも土塁が繋がっており、折りがついていて横矢が効いています。

 

土塁

写真10 土塁

 

 南側の土塁を見ます。

 

土塁

写真11 土塁

 

 上から眺める空堀も素敵。

 

空堀

写真12 空堀

 

 『日本城郭大系 5 埼玉・東京』によると、城主と伝わる高坂刑部大輔は、秩父平氏一族で江戸氏の流れを汲む古くからの在地豪族で、戦国期には後北条氏に仕えたといいます。

 

 遺構は上述のように高濟寺の西側にある土塁と空堀しか残っていませんが、南側の現在住宅地になっている辺りが発掘調査されており、それによると屏風折りに構築された堀跡が見つかっています。

 

 『埼玉の古城址』では、『城郭大系』の図にある南側の空堀のさらに南側にもう一本空堀があるとしており、現在見られる高坂館の遺構は近世に加賀爪氏が構築したものではないかとしていますが、『城郭資料集成 中世北武蔵の城』では現存する遺構は戦国期の物で、正法寺文書に永禄5年(1562)に北条氏康が松山城を攻めた時に「高坂に陣を取り」とあることから、この段階に整備されたものとしています。

 

 現存する土塁と空堀を見るだけでも充分に見る価値がありますよ。

 

 それでは、時間が無いので高坂駅へ向かいましょう。

 

 うーん、なんかこれも古墳っぽい・・・

 

古墳

写真13 古墳

 

 高坂駅東口に着きました。

 

高坂駅東口

写真14 高坂駅東口

 

 朝飯にセブンで買った「THE チーズバーガー」を食べます。

 

THE チーズバーガー

写真15 THE チーズバーガー

 

 では、電車に乗って武蔵嵐山駅へ向かいましょう。

 

 次回の記事はこちら

 

【参考資料】

 

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