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足かけ5年の命だった松山陣屋

最終更新日:2016年3月14日

 

 昨年(2015年)の5月24日、「NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会」の「城郭学習会」で杉山城と松山城を見学しました。

 

 その際、現地でシロキチさんとA井さんが待ち構えており、その折に中田先生が彼女たちに松山城のある地域についての調査を命令、じゃなく依頼したのですが、シロキチさんには調査をするときは私も協力する旨を伝えていました。

 

 そしてそれから10ヶ月も経過してしまいましたが、ようやく今回、せっかくなので「東国を歩く会」の番外編企画として「探す日」というのを設定し、仲間を募って比企まで調査に出張ってきたわけです。

 

松山陣屋諸元

 

概要

 

ふりがな まつやまじんや
住所 埼玉県東松山市松葉町1-1-58(市役所所在地)

交通 東武東上線東松山駅下車、徒歩約10分
史跡指定 東松山市指定史跡
指定日:昭和36年(1961)3月8日
現況 東松山市役所
存続時期 慶応3年(1867)〜明治4年(1871)
関連施設  

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2016年3月13日(日)
天候 曇り
探訪ルート 松山陣屋 → 妙賢寺 → 松山城 → 羽黒神社古墳 → 青鳥城 → 小倉城
同道者 生源寺さん、A村さん、むらこしさん

 

藩の城も良いけど陣屋も良いよ

 

 7時半に高尾駅に集まったのは私と生源寺さん、それに第1回「歩く日」に参加していただいたむらこしさん、さらに私とは静岡や山梨方面の城歩きをしたことのある国家権力のA村さんの4名です。

 

 今回は山城中心の探訪となり、なおかつただの山の中に入って行って、有るか無いか分からない城の遺構を調査しなければならないので、多分こういうコンテンツでは人が来ないだろうと思っていたところ、大学生のむらこしさんから参加表明をいただきました。

 

 そのため、A村さんだったらむらこしさんと年齢もそれほど離れておらず、感覚的に合うかなと思い、急きょA村さんにも声をかけてみたわけです。

 

 吉見百穴でシロキチさんとA井さんと待ち合わせになっているので、生源寺さんの赤い車に乗りこんでまずは吉見百穴を目指します。

 

 高尾山口ICから圏央道に入ると、渋滞もなく車はスルスルと進み、鶴ヶ島JCTからは関越道に入り、出発して1時間も掛からず、8時半には東松山ICに着いてしまいました。

 

 待ち合わせ時刻は9時なので、その前に少し寄ってみたい場所があります。

 

 東松山ICを出てそのまま直進し、「青鳥」交差点を右折すると、中世以来の旧道となります。

 

 その旧道をたどって最初に着いた場所は東松山市役所です。

 

東松山市役所

写真1 東松山市役所

 

 なぜ市役所なんかに来たのでしょうか。

 

 実はこの場所には江戸末期に陣屋があったということで、石碑と説明板があるそうなのでそれを探しに来たのです。

 

 庁舎の東側に回ると、ありました!

 

石碑と説明板

写真2 石碑と説明板

 

 徳川家康の二男で下総の結城氏を継いだ秀康には多くの子がいましたが、彼らは日本各地で大名になっており、五男直基は最晩年の慶安元年(1648)に姫路に転封となります。

 

 以降、直矩(なおのり)・基知(もとちか)・明矩・朝矩と続きますが、国替えが多く家は安定せず、朝矩の寛延2年(1749)に前橋15万石に封じられます。

 

 ところが、前橋城は利根川の度重なる氾濫により壊滅的打撃を被り、明和4年(1767)にはついに藩庁を川越に移すことになりました。

 

 その後は川越藩主として直恒・直温(なおのぶ)・斉典(なりつね)と続き、斉典のときに現在も川越城跡に残る本丸御殿を建築しています。

 

 ついで、典則(つねのり)・直侯(なおよし)・直克(なおかつ)と継承しましたが、以前の本拠地である前橋が生糸の生産および輸出で経済的に優位な場所になったこともあり、直克は前橋城の再建に取りかかり、ついに慶応3年(1867年)3月、実に100年ぶりに前橋城に藩庁を戻したのです。

 

 しかしそのとき、比企郡を中心に約6万2石もの飛び地が残ってしまい、その領地を治めるために置かれたのがここ松山陣屋というわけです。

 

陣屋の図

写真3 陣屋の図

 

 図の真中あたりに東西に道が走っていますが、それが当時の主要道であり、戦国期には松山城から青鳥城を通り菅谷城へと続くメインルートとなっていました。

 

 ちなみに上に出てきた人たちを系図にするとこのようになります。

 

徳川
家康 ―+― 秀忠(将軍家)
    |
    |  結城
    +― 秀康 ― 直基 ― 直矩 ― 基知 = 明矩 ― 朝矩 →

 

 → 直恒 ―+― 直温
       |
       +― 斉典 ― 典則 = 直侯 = 直克

 

 しかし、せっかくできた松山陣屋も明治4年(1871)には廃絶し、足掛け5年という短い命を終えてしまったのです。

 

 さて、他の3名は石碑と説明板を見て、「え、これだけ?」みたいな反応ですので、さっさと次に行きましょうか。

 

【参考資料】

  • 江戸時代の人物に関しては「ウィキペディア」
  • 現地説明板

 

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松山陣屋

妙賢寺

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