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東松山の町づくりの中心となったのか?日蓮宗寺院妙賢寺

最終更新日:2016年3月14日

 

 松山陣屋から百穴方面に向かう途中に気になるお寺があります。

 

 まだ時間は大丈夫なので寄ってみましょう。

 

妙賢寺諸元

 

概要

 

ふりがな みょうけんじ
住所 埼玉県東松山市松本町1-11-56

交通 東武東上線東松山駅下車、徒歩約20分
史跡指定 上田朝直寄進の十界曼荼羅(東松山市指定文化財)
指定日:
宗派 日蓮宗
山号 法長山
本尊
創建 永仁2年(1294)/寺伝?
貞治元年(1362)以前/『新編武蔵風土記稿』
開山・開基 開山:長光院日祐(貞治元年<1362>正月14日示寂)

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2016年3月13日(日)
天候 曇り
探訪ルート 松山陣屋 → 妙賢寺 → 松山城 → 羽黒神社古墳 → 青鳥城 → 小倉城
同道者 生源寺さん、A村さん、むらこしさん

 

詳しい来歴が知りたい!

 

 松山陣屋を出て旧道へ戻ります。

 

 この辺はそのルーツを中世前半まで遡ることができる古い町なのですが、現在の沿道も古い時代の雰囲気を残しています。

 

 東へ向かって走っていくと、道が鉤の手になってい場所にぶつかります。

 

この先の道は鉤の手になっている

写真1 この先の道は鉤の手になっている

 

 江戸期も、またそれ以前であっても、城下町の道にはわざと屈曲を設けて、万が一敵が進軍してきた場合の騎虎の勢いを減ずるようにしています。

 

 現在の市民には不便に感じると思いますが、もしあなたの街にそのような場所があるのであれば、歴史遺産として慈しんであげてください。

 

 右手に浄福寺というお寺があり、その先の左手に妙賢寺があります。

 

法長山妙賢寺

写真2 法長山妙賢寺

 

 実はこのお寺の存在を知ったのは昨日なので、下調べはほとんどできていないのですが、Webで寺の歴史について調べてみてもほとんど情報が無いのです。

 

本堂

写真3 本堂

 

 ただ、たまたま『歴史地理学紀要 27』所収「埼玉県東松山市における都心移動の空間認知に関する歴史地理学的研究」という論文を見つけ、それを読んでから来ました。

 

 該論にによれば、妙賢寺の創建は永仁2年(1294)で、当初は妙光寺と称し真言宗の寺院でしたが、間もなく日蓮宗に改宗し、大正2年(1913)に妙賢寺に改称したとのことです。

 

 『新編武蔵風土記稿』によれば、妙光寺は貞治元年(1362)に示寂した日祐という僧が開山したとなっており、上述の永仁2年からはもう少し後の時代になります。

 

 いずれにせよ、鎌倉末期から南北朝時代の頃の創建ではあると思いますので、この辺りでは充分に古寺といえ、上記論文では、東松山の町は妙賢寺を中心にして形作られたとし、この辺りには元宿という地名が付いていることから、宿場としての機能は鎌倉時代に端を発すると推測しています。

 

法長山

写真4 法長山

 

 境内には宝篋印塔が2基残っており、Webで見かけた不確かな情報では上田一族の墓ということですが、説明板もなく、今のところこれ以上のことは分かりません。

 

宝篋印塔

写真5 宝篋印塔

 

 なお、妙賢寺には松山城主上田朝直(案独斎)が天文19年(1550)に寄進した「十界曼荼羅」があり、東松山市の市指定文化財となっています。

 

 ちなみに、この辺りは元々「松山」という地名ですが、何で「松山市」にならずに「東」が付いてしまったのかというと、すでに愛媛県に松山市が存在していたため、市の名前はダブりが許されないので「東」を冠したわけです。

 

 同じような例として、東京都には東村山市や武蔵村山市、それに東久留米市がありますね。

 

 でも、町名や村名の場合は郡が違えば同じ名前でもOKになっています。

 

【参考資料】

  • 『新編武蔵風土記稿』「巻之百九十五 比企郡之十 松山町」 昌平坂学問所/編 1830年
    ↑クリックすると国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページへリンクします
  • 『歴史地理学紀要 27』所収「埼玉県東松山市における都心移動の空間認知に関する歴史地理学的研究」 脇田武光/著 歴史地理学会/編 1985年
  • 現地説明板

 

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