◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

埼玉県内最大級の方墳・穴八幡古墳

最終更新日:2015年5月15日

 

 前回の記事はこちら

 

 菅谷館跡を探訪中に出会った方から、中城跡が良さそうだと言う情報を得た私は、以前一度訪れたことがある大蔵館跡を再訪する予定を変更して、急きょ中城跡へ急行することにしました。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2014年12月28日(日)
天候 晴れ
探訪ルート 杉山城跡 → 嵐山史跡の博物館 → 菅谷館跡 → 穴八幡古墳 → 中城跡

 

穴八幡古墳概要
ふりがな あなはちまんこふん
住所 埼玉県比企郡小川町増尾字岩穴63-1ほか

史跡指定 埼玉県指定史跡
現況 史跡として整備されている
形状 方墳
規模/墳丘高 32m四方/約5.6m
石室 横穴式石室 全長8.2m (玄室2.2m・前室1.94m・羨道1.94m) 最大幅1.76m
周溝 二重
目で見られる遺構 墳丘・二重の周溝の一部・石室内部(外から覗ける)
築造時期 7世紀後半

 

予想だにしなかった県内最大級の方墳との邂逅

 

 武蔵嵐山駅まで戻ってきて電光掲示板を見ると、運よくすぐに電車があります。

 

 お、ラッキー。

 

 こっちの方はあまり本数がなくて、しかも日暮れまでそんなに時間がないので、すぐに電車があって良かったです。

 

 少し待って、入線してきた東上線に乗り込んで、隣駅の小川町駅まで移動しますが、駅間が結構あって、10分近く乗って小川町駅に到着しました。

 

 例のごとく、乗ってきた電車を激写。

 

東武東上線

写真2 東武東上線

 

 改札を出ます。

 

小川町駅

写真3 小川町駅

 

 なんか、小川町って結構賑やかな感じですね。

 

 駅前から延びるメインストリートの両脇には商店が立ち並んでいます。

 

 お!本屋さん発見!

 

 中に入ると、地元の本のコーナーがあります。

 

 私は地方に行って本屋さんを見つけると必ず立ち寄り、地元でしか手に入らない本を買います。

 

 でも最近は、Amazonでも流通していることもあるので、それほど貴重な本には巡り会えなくなりました。

 

 ただ、Amazonで買えることは分かっていても、やはり地域の本屋さんの売り上げに貢献したいので、梅沢太久夫氏の『改訂版 武蔵松山城主 上田氏』と『松山城合戦』、そして『戦国の境目』を購入しました。

 

 うわ、リュックが一段と重くなった・・・

 

 本屋さんを出ると、やはり激写。

 

いづみブック

写真4 いづみブック

 

 では、改めて中城跡を目指しましょう。

 

 嵐山史跡の博物館で購入した『改訂 歩いて廻る「比企の中世・再発見」』に記載されている地図を頼りに歩いて行くと、城跡っぽい山が見えてきました。

 

城跡っぽい山

写真5 城跡っぽい山

 

 あれかな?

 

 山を目指していくと、標柱を発見しました。

 

標柱

写真6 標柱

 

 え?穴八幡古墳?

 

 標柱が立つくらいだから、メジャーな古墳なのか?

 

 残念ながら、古墳に関しては城跡ほど私の脳内にデータベースが構築されておらず、聞いたことが無い古墳です。

 

 しかし、手元の『改訂 歩いて廻る「比企の中世・再発見」』を見てみると、確かに地図上にマークしてありました。

 

 でもその地図は大ざっぱなので詳細な位置は分かりません。 

 

 いや、でもせっかくなので行ってみましょう。

 

 坂を上がり、遠くの山並みを眺めながら進みます。

 

遠くの山並み

写真7 遠くの山並み

 

 本屋さんを出てから15分ほど歩くと、鳥居があって、長い参道がまっすぐと向こうの方まで続いています。

 

八幡神社参道

写真8 八幡神社参道

 

 ほう、八幡神社か。

 

 よくあるケースで、八幡神社の境内にあるので穴八幡神社かな?

 

 とりあえず行ってみよう。

 

八幡神社

写真9 八幡神社

 

 穴八幡神社の社地に到着。

 

 説明板によると、元弘3年(1333)に鎌倉幕府が滅亡した時、将軍・守邦親王は、慈光寺山麓の古寺に亡命し、土豪・猿尾(ましお)氏に迎えられ、現在地である梅香岡(うめがおか)に仮宮し、八幡神社を勧請したとの伝承があるそうです。

 

 拝殿。

 

拝殿

写真10 拝殿

 

 本殿は露出していません。

 

本殿

写真11 本殿

 

 いや、でも当初の予想に反して境内には古墳は見当たりません。

 

 付近を捜索してみましょう。

 

 おお!!

 

 あった!!

 

穴八幡古墳のシルエット

写真12 穴八幡古墳のシルエット

 

 遠くから墳丘の高まりを発見した時の心の高まりようは、古墳好きにしか理解できませんね。

 

 ここで説明板の図を掲載します。

 

穴八幡古墳現地説明板

写真13 穴八幡古墳現地説明板

 

 穴八幡古墳は32m四方を測り、方墳としては県内では最大規模の古墳だそうです。

 

 ほー、貴重な古墳にめぐりあってしまった・・・

 

 横穴式石室を持つ7世紀後半の古墳で、墳丘とともに二重の周溝の一部が残っているそうです。

 

 ではまずは周溝を見よう。

 

周溝

写真14 周溝

 

 おおーー!!

 

 二重部分も残っていて良いねえ。

 

周溝の二重部分

写真15 周溝の二重部分

 

 前方後円墳の場合は、前方部と後円部の間のくびれている部分にグッとくるのですが、これは方墳なので、エッヂの効いた角部分を堪能したい。

 

エッヂの効いた角部分

写真16 エッヂの効いた角部分

 

 では上に登りましょう。

 

墳頂からの眺め

写真17 墳頂からの眺め

 

 人間の墓の上に登って喜んでいるのもどうかと思いますが、良い眺めですね〜。

 

 ちなみに石室内も見ることができるのですが、写真を撮っても全然中が写っていませんでした。

 

石室開口部

写真18 石室開口部

 

 石室は南側に開口しており、玄室・前室・羨道からなる全長8.2mの大きなもので、緑泥片岩をパネル状に使っているそうです(よく見れなかった・・・)。

 

 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』によると、緑泥片岩をパネル状に使う横穴式石室は、比企地域および隣の男衾地域にはここ以外に一つもなく、行田市の小見真観寺古墳が当てはまります。 

 

 石室は在地性に乏しく、畿内の終末期古墳との共通性が強く窺えるとのことです。

 

 この地域の古代史に関しては私は全然知識がないので、今はまだ何も語れませんが、方墳は基本的には古墳時代初期の頃に多い形態です。

 

 それが古墳時代の再末期になってまた登場しているんですね。

 

 これにはいったいどのような意味があるのでしょうか。

 

 32m四方と言うと、「なーんだ、ちっこい古墳じゃん」と思う方もいるかもしれませんが、古墳時代後期の関東地方では最大規模の大きさです。

 

 この大きさがあると、かなりの有力者が眠っていたことが考えられます。

 

 いやー、戦国時代からいきなり古代へタイムスリップしましたが、古代もロマンがあって楽しいですよ。

 

 645年の大化改新以降、新政府はそれまで独立性の高い国造(くにのみやつこ)に任せていた地方を、評(こおり)という行政区画に再編し、地方への影響力を強めて行きました。

 

 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』でも述べられている通り、穴八幡古墳の被葬者は、当時の男衾評の評造(評の長官)かもしれません。

 

 さて、そんなわけで、時刻はもう15時半です。

 

 はやく中城跡に行かないと日が暮れてしまうよ!

 

 つづきの記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『新編武蔵風土記稿』「巻之百九十三 比企郡之八 増尾村」 昌平坂学問所/編 1830年
    ↑クリックすると国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページへリンクします
  • 『季刊考古学・別冊15 武蔵と相模の古墳』 広瀬和雄・池上悟/編 雄山閣 2007年
  • 『改訂 歩いて廻る「比企の中世・再発見」』 嵐山史跡の博物館/編 2014年

 

著者は穴八幡古墳の近傍では下記の古墳も訪れています。

 

保渡田古墳群(群馬県高崎市) ・・・ 現在制作中です!

さきたま古墳群(埼玉県行田市) ・・・ 現在制作中です!

諏訪山36号墳(埼玉県東松山市) ・・・ 埼玉県内で最古級の古墳を探る

柊塚古墳(埼玉県朝霞市) ・・・ 埼玉県南部に唯一残る前方後円墳

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