◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

「杉山城問題」を引き起こした、学会でも注目を浴びる中世城郭・杉山城

最終更新日:2015年5月17日

 

 2014年も残すところあと4日となった12月28日の早朝、まだ星が瞬く空の下、今日も城めぐりに出発です。

 

 なぜこんな年の瀬に切羽詰まったかのように出かけるのかというと、現在、埼玉県立嵐山史跡の博物館で、「企画展 道灌の時代 戦国時代は関東から始まった」が開催されており、開期自体は来年までなのですが、なんと目玉である太田道灌の軍配(大将が持つもので、相撲の行司が持っているやつ)が、本物の展示が今日(今年の最終開館日)までで、来年からレプリカの展示になってしまうのです。

 

 なので、是非とも今日までには行かなければならないという状況なので、朝早くから出掛けるわけです。

 

 しかし、どうせ行くのなら近所の城跡も見ようと思い、まずは武蔵嵐山駅の北西にある杉山城跡を目指します。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2014年12月28日(日)
天候 晴れ
探訪ルート 杉山城跡 → 嵐山史跡の博物館 → 菅谷館跡 → 穴八幡古墳 → 中城跡

 

杉山城跡概要
ふりがな すぎやまじょう
別名  
住所 埼玉県比企郡嵐山町杉山

史跡指定 国指定史跡(平成20年<2008>指定) 史跡名:比企城館跡群(近隣の菅谷館跡・小倉城跡・松山城跡とともに指定)
現況 遺構はボランティアにより保全され良好な状態
規模/比高 東西約200m×南北約300m/約30m
目で見られる遺構 郭・空堀・竪堀・堀切・土塁・櫓台・井戸
復元 なし
存続時期 15世紀後半から16世紀初頭か
城主・城代・関係者 不明(山内上杉氏の築城か)
城攻めの記録 記録・伝承ともにないが、「本郭」では火災の形跡あり

 

ボランティアの地道な活動により美観を保っている城跡

 

 西国分寺で武蔵野線に乗り換え、北朝霞で東武東上線に乗り換えです。

 

 東武東上線に乗るのも久し振りだなあ。

 

 武蔵嵐山駅の1個手前の駅名は「つきのわ」と言って、昔盛岡で飲んだ紫波のお酒を思い出します。

 

 7時45分に武蔵嵐山駅に到着。

 

 私が24歳まで住んでいた千葉県松戸市の家は、最寄駅は新京成の元山駅だったのですが、ちょっと遠いところに東武野田線の六実駅がありました。

 

 当時の野田線はまだ単線で、車体の色は白と青だったので(今は知りませんが)、個人的には東武線の色は白と青じゃないと気持ちが悪いです。

 

東武東上線

写真1 東武東上線

 

 この色はどうも見慣れませんが、黄色じゃない西武線も走る昨今、世の移ろいを感じながら、これはこれで良いのかなとも思ったりもします。

 

 無駄に長大に思える10両編成の電車を横に見ながら、ホームの階段を上がってトイレに行こうとすると、トイレはホームにあるということでした。

 

 なので、階段を下って後戻りします。

 

 トイレの個室に入ると、目の前に張り紙がしてありました。

 

嵐山駅のトイレの張り紙

写真2 嵐山駅のトイレの張り紙

 

 良く見ると、後筆で何か書いてあります。

 

後筆

写真3 後筆

 

 禅僧であれば何と答えるでしょうか?

 

 また、文書主義である律令国家の役人であればどうでしょうか?

 

 そもそも、便器というのは排便の用に供するものであるので、それを鑑みると、やはり水を流すためにレバーを倒す私の選択は間違っていないはずです。

 

 さて、杉山城跡へは東口から行きます。

 

武蔵嵐山駅東口

写真4 武蔵嵐山駅東口

 

 お、駅前には素晴らしい幟が!

 

木曾義仲公生誕の地嵐山町

写真5 木曾義仲公生誕の地嵐山町

 

 リバースされていて済みません。

 

 そう、ここ嵐山は、木曾義仲の生誕地なのです。

 

 京都の人が見たら眉をひそめそうですが、嵐山町は木曾義仲をもっとフィーチャーしても良いと思います。

 

 実は武蔵嵐山駅に降り立つのは今日が初めてではなくて、2004年2月28日に、青森県八戸市在住の城仲間である「たぬ」さんと来ています。

 

 そのときは朝霞台駅で待ち合わせをして、一緒に東上線に乗って武蔵嵐山で下車、「嵐山駅入口」交差点にあった「嵐山亭」という食堂でランチを食べた後、菅谷館跡と埼玉県立歴史資料館(現在の嵐山史跡の博物館)を見学し、赤ちゃんの木曽義仲が住んでいたと言われる大蔵館跡を見てから駅に戻り、大宮まで行って駅近くの居酒屋で打ち上げをしました。

 

 その日は、たぬさんは早く新幹線に乗らなければならなかったので、確か20時くらいまでしか飲めなかったような記憶があります。

 

 あれからもう10年か・・・

 

 思えばこの10年いろいろあって、一時は寝たきりになったりして、本当につらかった。

 

 でもまたこうして普通に城めぐりができる身体に戻ったことに感謝する毎日です。

 

 健康は何物にも代えがたいよ。

 

 マジで。

 

 さて、武蔵嵐山駅から杉山城跡へは徒歩で40分くらいのようです。

 

 駅前にはタクシーが止まっているので、富裕層の方はそれに乗って城まで直行することも可能だと思いますが、城めぐりの本当の楽しさを味わおうと思ったら、いきなり城内に行ってはいけません。

 

 城から遠く離れた場所を起点とし、そこから城下にある寺社を訪れたり地形を観察したりしつつ、徐々に近づいてくる城のシルエットを眺めながら歩くのも城めぐりの楽しみの一つなのです。

 

 古道があればさらにグッドです。

 

 ですから、駅から徒歩1時間以内であれば、ぜひ歩いて行きましょう。

 

 15分くらい歩くと、北東の方に低い丘陵が見えてきました。

 

丘陵

写真6 丘陵

 

 あれが杉山城跡から続く丘陵の先端か。

 

 先端近くには嵐山町役場があり、役場の北西1kmくらいのところに杉山城跡があります。

 

 お、何かお堂がある。

 

観音堂

写真7 慰霊碑

 

 再建された観音堂のようですが、詳しくは分かりません。

 

 さらに5分くらい歩き、右手にある美容院の横から市野川へ向かう道へ入ると、遠くに城跡っぽい山が見えました。

 

杉山城跡

写真8 杉山城跡

 

 あれだな。

 

 あれに間違いない。

 

 でも、思ってたより低い山だな。

 

 登るのチョロそう。

 

 市野川の氾濫域を歩き、徐々に近づいてくる杉山城跡を眺めます。

 

杉山城跡

写真9 杉山城跡

 

 実は私は杉山城跡についてほとんど予備知識がありません。

 

 でもどういうわけか、最近読んだいくつかの本で「杉山城」の文字が目について、なんだか素晴らしい城跡のようなので、こうして来てみたわけです。

 

 城山の西側の麓を流れる市野川は現在ではこれくらいの川幅です。

 

市野川

写真10 市野川

 

 市野川を渡ると、積善寺の入り口があり、そこが同時に杉山城跡の入り口でもあるようです。

 

杉山城跡入口

写真11 杉山城跡入口

 

 ここまで武蔵嵐山駅から35分です。

 

 なんか西の方に特徴ある高山がありますが、名前は分かりません。

 

山

写真12 山

 

 積善寺の裏に城跡がチラリと見えています。

 

積善寺

写真13 積善寺

 

 こういうのを「城郭チラリズム」と称します。

 

 右手に玉ノ岡中学校の校舎を見ながら坂を登って行くと、いよいよ城内に進入です。

 

杉山城跡

写真14 杉山城跡

 

 何か、良さげな雰囲気。

 

 そして素晴らしいことに、城の入口には、こういう城跡に置いてある無料パンフレットにしてはかなり立派なものが置かれ、さらに登山用の杖まで置いてあります。

 

パンフレット置き場

写真15 パンフレット置き場

 

 杉山城跡の「おもてなし」の心意気を感じますね!

 

 地元の方々が城跡を大事にしているのが良く伝わってきますし、実際杉山城跡は、ボランティアの方々によって美観が維持されているそうです。

 

 玉ノ岡中学校の生徒もそれに参加しているとのことで、もちろんイヤイヤやっている子も多いと思いますが、多分大人になって振り返った時に、自分がやっていたことの尊さが理解できると思います。

 

鉄砲登場以前の戦国城郭のお手本のような城

 

 おや、上から誰か二人降りてきますよ。

 

 「おはようございます!」と挨拶を交わすと、その方々は「東海古城研究会」という会の方々で、今度2泊3日で関東の城めぐりをするので、その下見に来たそうです。

 

 大型バスに乗って来るそうなので、大型バスが停められることが見学地の条件だということで、滝山城跡ももし見学の時までに駐車場の建設が間に合えば、是非いらしてくださいとお伝えしました。

 

 お二方と少し立ち話をしたこの場所は、実はもう城域で、「出郭」と呼ばれています。

 

 まずは、現地の説明板の図をご覧ください。

 

説明板の図

写真16 説明板の図

 

 では、大手に突入します。

 

 大手から一段高い「外郭」に入るには、攻め手は右側面を敵に晒しながら、正面向かって左側の坂を一列になって登らなければなりません。

 

 現地の図の説明が分かりやすいです。

 

大手

写真17 大手

 

 運よく城門を打ち破って「外郭」に進入すると、次に攻め手は、「外郭」から空堀を挟んで対岸にある「南三の郭」を占領したいのですが、「南三の郭」に繋がる道がないのです。

 

 実は、「南三の郭」と「外郭」は、「馬出郭」を経由して結ばれており、普段は「外郭」と「馬出郭」は木橋で連絡されていたと想定され、攻め手が「外郭」を占拠した場合、その木橋は外されます。

 

 「外郭」から「馬出郭」を見ます。

 

木橋

写真18 木橋

 

 ここに木橋が架かっていたはずですが、それを外されてしまった攻め手はどうすれば良いでしょうか?

 

 空堀に一旦降りて、それから「南三の郭」の切岸に梯子を架けて取りつくか、堀底を通って「南二の郭」の堀底まで進んでも良いですが、「南三の郭」と「南二の郭」の東側壁面は屏風折りになっており、堀底に降りた攻め手を効果的に射ることができます。

 

屏風折り

写真19 屏風折り

 

 一番良い道は、「外郭」の北側にある土塁に登って、土塁上を進んで「南二の郭」の虎口へ向かうルートなのですが、攻め手は当然ながら「杉山城案内図」なんか持っていませんので、そのときの状況に応じて、いわゆる「KKD」(経験・勘・度胸)で進むしかありません。

 

 ちなみに、「KKD」という言葉はIT業界で使われており、時代の最先端のソフトウェアを作る際に、科学的な手法を使わずに作ることを揶揄するときに使ったりします。

 

 運よく、上記の土塁に登ることができて、土塁上を進んだ攻め手は、今度は「南二の郭」北側に開いている虎口に攻め込むことになります。

 

 ここからは「本郭」東側の帯郭に向けて木橋が架かっていたと考えられていますが、攻め手がここまで来た場合は、当然ながら木橋は外されているので、攻め手は「南二の郭」への進入を試みます。

 

図

写真20 図

 

 私も「南二の郭」に入ります。

 

南二の郭

写真21 南二の郭

 

 「南二の郭」から東側を望みます。

 

南二の郭から東側

写真22 南二の郭から東側

 

 堀の向こうは「外郭」で、写真中央付近、真中の木の左横の少しくぼんだところが大手からの登り口です。

 

 一旦、「南三の郭」に降りてみましょう。

 

 後ろを振り返って、「南三の郭」と「南二の郭」間の虎口を見ます。

 

南二の郭虎口

写真23 南二の郭虎口

 

 食い違いになっていますが、現在はかなり埋もれてしまっていますね。

 

 「南三の郭」から「馬出郭」を見ます。

 

南三の郭から見る

写真24 南三の郭から見る

 

 空堀の左側の平場が「外郭」、右側の平場が「馬出郭」です。

 

 最初の方で言った、木橋が架かっていたと想定される場所ですね。

 

 ここからは城域西側を取り巻いている帯郭を歩いてみます。

 

西側帯郭

写真25 西側帯郭

 

 今日は中田正光先生の『秩父路の古城址』を持ちながら歩いていますが、その本の杉山城の項は、中田先生の友人の池田誠さんという方が執筆しています。

 

 池田さんは、いみじくも「模型にも似た小城郭」という表現をしていますが、こうやって実際に見てみると、それは的を射た表現であることが分かります。

 

 滝山城跡を見慣れているせいか、杉山城跡はコンパクトなお城に見えてしまい、良い意味で「プラモデル」みたいな感じがします。

 

 プラモデルとかいうと怒られちゃうかもしれませんが、このコンパクトさの中に、鉄砲が登場する以前の弓と鑓の時代の戦国城郭としては、最高度の技巧が凝らされているのが凄いです。

 

 なので、中世城郭の勉強をしたいと思ったら、ぜひ杉山城跡へ来て、実際にその時代のお城とはどんなものだったのか学ぶと良いと思います。

 

コンパクトと言いつつも・・・

 

 図の上では、西側の斜面には合計6本の竪堀が落ちています。

 

竪堀

写真26 竪堀

 

 井戸の跡がありました!

 

井戸

写真27 井戸

 

 説明板によると、現在発見されている井戸跡はここ1箇所のみで、今でも水が染み出ており、春先にはサンショウウオの産卵場所になっているそうです。

 

 なんで岩で蓋がされているのかというと、おそらく廃城のときに敵方が再使用できないようにやったと考えられているそうです。

 

 さらに北へ向かうと、「本郭」の北側虎口のあたりは、若干山の斜面が緩やかになっており、その付近には等高線に沿って土塁が築かれ、内側は堀になっています。

 

西側斜面の土塁

写真28 西側斜面の土塁

 

 若干緩やかになっていると言っても、やはりそれなりの角度がありますが、ここは「主郭」の北側虎口に直通してしまう斜面なので、厳重に防御したのでしょう。

 

 「北二の郭」から食い違いの虎口を通って「北三の郭」に入ると、西側の眺望が開けているところがあり、麓からも見えたあの山がここからも見えました。

 

あの山

写真29 あの山

 

 なんていう名前の山だろうか・・・

 

 「北三の郭」のさらに先にある平場の向こうは、なだらかな山道になっており、もう遺構はないです。

 

 「北三の郭」から北西側を望むと、台形をした高見城跡が見えました。

 

高見城跡

写真30 高見城跡

 

 だいたい直線で5kmくらいの距離です。

 

 歩いて行けないこともないと思いますが、そのさらに倍くらい歩くと、鉢形城跡へ行けてしまう勢いです。

 

 この城めぐりから帰り、年が明けた最初の「滝山城の会」の集まりで会った方は、杉山城跡から高見城跡まで歩いて行ったそうです。

 

 そしてそのあと小川町駅まで行き、近辺の城跡を見て、結局その日は12時間くらい歩いたそうです。

 

 凄すぎる!

 

 それではいよいよ、「本郭」へ行ってみましょう。

 

 「北二の郭」からはわざと空堀に降りて、堀底歩きを楽しみます。

 

堀底

写真31 堀底

 

 城歩きは、土塁の上を歩くのも楽しいですが、堀底を歩くのも楽しいですよね!

 

 「本郭」に上がると、社のようなものがありました。

 

社

写真32 社

 

 両脇の木がご神木のようになっていますが、鳥居はないです。

 

 「本郭」は標高95.3mで、麓との比高差は約30m、でも実は「北二の郭」の標高は96.8mあり、微妙に「北二の郭」より低いのです。

 

 そして、「本郭」の周りは土塁で囲まれています。

 

土塁

写真33 土塁

 

 説明板によると、平成14年から16年にかけて行われた発掘調査の結果、「本郭」では火災の形跡が見つかっているとのことです。

 

 ここで再度、全体図を示します。

 

説明板の図

写真34 説明板の図

 

 上の図の「現在位置」は違いますのでご注意を。

 

 「本郭」から「東二の郭」とその先の「東三の郭」を望みます。

 

東側

写真35 東側

 

 郭の形が綺麗に分かって、これもボランティアの方々のお陰ですね。

 

 「東三の郭」まで降りてくると、こちらの方面は防備が貧弱であったことが分かります。

 

東三の郭

写真36 東三の郭

 

 ここから先は、自然地形で民家の敷地になっており、立ち入りはできません。

 

 「東三の郭」から「本郭」を見上げてみます。

 

東三の郭から本郭を見上げる

写真37 東三の郭から本郭を見上げる

 

 再び「主郭」へ戻り、西側を眺めます。

 

西側

写真38 西側

 

 眼下には往時、鎌倉街道が通っていました。

 

 お、北側の遠くには雪山が連なっていますね。

 

日光男体山

写真39 日光男体山

 

 手元のパンフレットによると、中央の山は日光男体山です。

 

 さてここで、今日初めての休憩。

 

 景色を見ながら、おにぎりを一つ食べます。

 

 城跡で食べるおにぎりって美味しいんですよねえ。

 

 腕時計を見ると、時刻はまだ10時。

 

 でも一応全部見たということで、最後に城の入口方面を見下しつつ、下山しましょう。

 

本郭から城の入口

写真40 本郭から城の入口

 

 まあ、コンパクトと言いつつも、東西約200m、南北約300mはあり、今まで見てきたように、郭の数も結構あるので、それなりの規模の城と言ってよいと思います。

 

 おや、向こうから誰か男性が一人上がってきます。

 

 挨拶を交わして、ちょっとお話しをしてみると、千葉から城めぐりに来た方でした。

 

 優しげな方で、冒頭に出てきた八戸の友人に似た感じの方でした。

 

 後日、この方からはフェイスブックで友達申請がありましたよ!

 

 そしてその後ろには地元の中学生らしき3人組がやって来ましたが、私とその方が話しているのを下から眺めると、何かコソコソと話して、オドオドした感じで戻って行きました。

 

 何を企んでいたのか?

 

 いかにも挙動不審な中学生たちです。

 

 男女のペアであれば、人気のないところで、まあ色々と考えられますが、男子3人組なので、きっと私の想像の及ばない「何か」を企てていたに違いありません。

 

 ていうか、その企てにおじさんも参加させてよ!

 

 下まで降りて、城域を出て道路を歩いていると、ちょうど杉山城跡と高見城跡を一緒に写すことができました。

 

杉山城跡と高見城跡

写真41 杉山城跡と高見城跡

 

 じゃあ次は、嵐山史跡の博物館と菅谷館跡に行ってみましょうか!

 

 つづきの記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 現地備えつけパンフレット
  • 『日本城郭大系5 埼玉・東京』 柳田敏司ほか/著 新人物往来社 1979年
  • 『秩父路の古城址』 中田正光/著 有峰書店新社 2001年(新装版。初版は1982年)
  • 『城郭資料集成 中世北武蔵の城』 梅沢太久夫/著 岩田書院 2003年)
  • 「杉山城跡」 村上伸二/著 (『戦国の城』所収 藤木久志/監修 2005年)
  • 「杉山城問題によせて」 松岡進/著 (『戦国の城』所収 藤木久志/監修 2005年)
  • 「発掘調査成果からみた杉山城跡」 村上伸二/著 (『3館連携シンポジウム 後北条氏の城 −合戦と支配− 資料集』所収 博物館周辺文化財の複合的活用事業実行委員会/編 2008年)
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