◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

東大構内にあった謎の城・本郷城

最終更新日:2016年12月21日

 

本郷城概要

 

ふりがな ほんごうじょう
別名  
住所 東京都文京区本郷7丁目

史跡指定 なし
現況 東京大学
規模(東西×南北) 不明
比高 不明
目で見られる遺構 なし
復元 なし
存続時期 不明
城主・城代・関係者 不明
城攻めの記録 なし
大手方向 不明
仮想敵方向 不明
関連施設
その他

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2011年9月29日(木)
天候 晴れ
探訪ルート 三崎稲荷神社 → 太田姫稲荷神社 → 真徳稲荷神社 → 柳森神社 → 神田明神 → 妻恋神社 → 湯島天神 → 本郷城 → 境稲荷神社 → 五條天神社 → 摺鉢山古墳 → 下谷神社
同道者 なし

 

 

 湯島天神の北側の鳥居を抜けて、春日通りを西に進みます。

 

 少し歩いて本富士警察署前の交差点を右折し、北進するといつの間にか東大の敷地に入っていました。

 

 実は私は、駒場の方の東大には毎日通っていました。

 

 あ、いや、構内を通り過ぎて会社に通っていたことがあるだけです。

 

 27歳くらいの頃でしたか、東大構内でサークルの勧誘をされたことがあります。

 

 ちなみに私の従姉が東大を出ていますが、私はバリバリの高卒ですよ!

 

 そんな思い出深い東大ですが(?)、本郷の東大は初めての探訪となります。

 

 なんで、東大なんかに来たかというと、何とここも中世の城跡だったという説があるからです。

 

 『日本城郭大系』によると、本郷城の名前は『日本城郭全集』が付けたものだといいます。

 

 残念ながらまだ『日本城郭全集』の方は未見ですが、『日本城郭大系』によると、江戸時代は加賀前田家の上屋敷で、屋敷内の掘り起こし作業中に石垣が発見され、それらは3万個の丸石からなり、270メートル余も続いていたといいます。

 

 270メートルも石垣状のものが続いていたというのは尋常なことではありません。

 

 加賀前田家の上屋敷時代に石垣構築の話は伝わっていないので、そうなるとやはり中世に存在した何らかの建築物の遺構としか考えられません。

 

 プラプラ歩いていると、西側の出入口である有名な赤門に来ました。

 

 一旦外に出て、写真を撮ります。

 

東大赤門

写真1 東大赤門

 

 再度構内に入って、今度は三四郎池を目指します。

 

 東大の中にある池を見てみたかったのです。

 

 池の周辺は木々が生えていて昔の武蔵野の風情があり、地面は池に向かって落ち窪んでおり、十数メートルの高低差があるように感じます。

 

三四郎池

写真2 三四郎池

 

 人もおらず、ちょっと不気味な雰囲気です。

 

 池を見て満足した後は、東側から構外に抜けることにします。

 

 本郷城跡は、『日本城郭大系』では『小田原衆所領役帳』に太田康資の所領だと書いてあるといいますが、『小田原衆所領役帳』を見てみると、「小机衆 三郎殿 百九十貫文 江戸 本郷」と書いてあります。

 

 この「三郎殿」が誰かというと、昭和44年刊行の近藤出版社の『小田原衆所領役帳』では北条氏秀のことで、氏秀は北条氏康の子で後に上杉謙信の養子になり景虎と名乗る氏秀のことだと註をしていますが、その後の研究で景虎と氏秀は別人であることが分かっており、三郎殿は景虎のことであって、氏秀のことではないらしいです。

 

 なお、間違われた氏秀も江戸にゆかりがあります。

 

 黒田基樹氏は『北条早雲とその一族』で、氏秀は北条綱成の次男であるとし、仮名を孫次郎、初めの名を康元といい、江戸北条氏と称され、最前線ではなく後方任務に就いていたとします。

 

 氏秀は天正11年(1583)6月2日に死去しています。

 

 その一方で、『台東区史 通史編T』では氏秀は虎松丸なる人物であるという説を記しています。

 

 東大のある場所は、比高10メートルほどの丘となっており、城を築くのには良さそうな地形です。

 

 重ねて述べますが、270メートルもの石垣状のものがあったということは、確かに何かの遺跡であることは間違いないですが、石垣が本当に城のものであれば東京では非常に珍しいものとなり、その存続時期は戦国時代末期ということになります。

 

 今のところ、古代から中世にかけて、『小田原衆所領役帳』以外の何かの史料に江戸の本郷の地名が出てきたという記憶はありません。

 

 本郷城は、まったくもって謎の城です。

 

 でも地方に行くと、集落の傍や裏山にはっきりと城の遺構が残っているのにも関わらず、地元には伝承がまったくないというケースが良くあります。

 

 ましてや本郷城跡がある場所は東京都心であるので、周辺に戦国時代から続く家なんかもまず無いと思われるので、謎の城であっても不思議なことではないです。

 

 さて、広い構内から抜け出たあとは、境稲荷神社を探すことにします。

 

【参考資料】

  • 『日本城郭大系 5 埼玉・東京』
  • 『台東区史 通史編T』

 

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