◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

兜神社

最終更新日:2016年12月21日

 

兜神社諸元

 

概要

 

ふりがな よろいじんじゃ
別名
住所 東京都中央区日本橋兜町1-8

創建 江戸時代末期
創建者 不詳
史跡・文化財指定
祭神
  • 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
合祀
  • 大国主命(おおくにぬしのみこと)
  • 事代主命(ことしろぬしのみこと)
公式サイト

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2011年8月29日(月)
天候 晴れ
探訪ルート 将門塚 → 江戸城常盤橋門 → 常盤稲荷神社 → 椙森神社 → 鎧橋 → 兜神社 → 鐵砲洲稲荷神社
同道者 なし

 

 鎧橋の次は、兜神社(かぶとじんじゃ)を目指します。

 

 「鎧」につづいて「兜」というわけですね。

 

見るべきものを見れず

 

 東京証券取引所と日本橋川の間の道を進むと、すぐに右手に神社の敷地が見えてきました。

 

兜神社

写真1 兜神社

 

 兜神社です。

 

兜神社社殿

写真2 兜神社社殿

 

 兜神社の説明板は文字が消えかかっていて読めなくなっていますが、兜神社には親切なことに、『「兜神社」の由来』(兜神社世話人会著)という手作りのパンフレットが置かれています。

 

 ところが、そのパンフレットを「家に帰ってから読もう」と横着してしまったために、私はとんでもない失敗をしてしまいました。

 

 というのは、神社自体は記録上では江戸時代の末期の創建なんですが、兜神社には「兜石」という石があって、前九年の役(1051〜62)の際、源義家(八幡太郎)が岩に兜を掛けて戦勝を祈願したと伝わっているということがパンフレットに記されていたのですが、現場でそれを読まなかったために、兜石に気付かなかったのです。

 

 残念なことをしました。

 

 やはり、現場で読むことができる資料はその場で熟読すべきですね。

 

 初歩的ミスです。

 

 さて、上記のパンフレットによると、江戸時代の弘化2年(1845)の「楓川鎧の渡古跡考」の地図には、牧野邸の東北隅の「鎧の渡」付近に鎧稲荷(平将門を祀ったのが起源といわれる)と兜塚が描かれているそうです。

 

 その兜塚ですが、八幡太郎が奥州から凱旋した際、東夷鎮定のため兜を楓川のほとりに埋め、一塊の塚となしたという説と、藤原秀郷が将門の首を討って、兜に添えてここまで来て、兜を埋めて塚として兜山と呼んだという説があります。

 

 将門の首は最終的には、本日の最初に訪れた、将門塚に葬られたようであり、藤原秀郷に関しては、やはり本日訪れた椙森神社が関連していました。

 

 また、八幡太郎義家の父頼義に関する伝承は、先ほど訪れた鎧橋にありました。

 

 この兜神社は鎧橋と近接しており、将門の伝承や竜神の話などが残っていることから、この近辺は古代より「霊地」であったと考えられます。

 

 そこに現代は東京証券取引所があり、日本の経済を動かしているというわけです。

 

 東京都中央区というと古代・中世という古い歴史に関する伝承はあまり無いイメージがありましたが、探訪してみると結構古い伝承が残っていますね(ただし、今日訪れた場所では将門塚と江戸城常盤橋門は千代田区です)。

 

 中央区の歴史をもっと知りたくなりました。

 

 そういうわけで、次は本日最後の探訪になる鐵砲洲稲荷神社に向かいましょう。

 

【参考資料】

  • 『兜神社」の由来』 兜神社世話人会/著

 

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