◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

江戸時代の街路樹の面影を残す佇まい・馬場大門のケヤキ並木

最終更新日:2016年9月8日

 

馬場大門のケヤキ並木概要
ふりがな ばばだいもんのけやきなみき
住所 東京都府中市 京王線府中駅西側

史跡指定
史跡名:馬場大門のケヤキ並木
指定年月日:大正13年(1924)12月9日

 

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第1回 探訪記録

 

探訪データ

 

探訪年月日 2012年2月28日(火)
天候 曇り
探訪ルート 【2月28日】 馬場大門のケヤキ並木 → 多磨寺跡 → 大國魂神社
【3月7日】 武蔵国府八幡宮 → 武蔵国府跡 → ふるさと府中歴史館 → 称名寺
【3月30日】 高安寺 → 国鉄下河原線廃線跡 → 坪の宮 → 三千人塚 → 分倍河原古戦場跡 → 高倉塚古墳 → 天王塚古墳 → 首塚 → 高倉20号墳 → 延文之板碑出土之地 → 御嶽塚 → 武蔵府中熊野神社古墳 → 武蔵府中熊野神社古墳展示館

 

はからずも八幡太郎義家に遭遇

 

 府中の図書館(通称「パラダイス」)にはよく行くのですが、府中の町の名前のルーツとなっている武蔵国の国府跡と、それに隣接している大國魂(おおくにたま)神社には行ったことがありません。

 

 そのため運動不足解消のための散歩も兼ねて、チョロッと訪ねてみましょう。

 

 京王線府中駅の南口の路地裏には、旨いつけ麺・ラーメンの店がいくつかあります。

 

府中駅南口

写真1 府中駅南口

 

 でも今日はお昼を家で食べてきたので立ち寄りません。

 

 その後の再開発によって、上の写真の路地はもうありません。

 

 私は府中駅の南口は上記の路地裏しか行ったことがないので、これから行くところは初めての場所になります。

 

 とりあえず、西に向かって通りに出てみましょう。

 

馬場大門欅並木

写真2 馬場大門欅並木

 

 通りに出て南下すると、遠くに銅像が見えました。

 

 近づいて名前を見ると八幡太郎でした!

 

八幡太郎義家

写真3 八幡太郎義家

 

 え?なぜこんなところに八幡太郎?

 

 銅像の説明板によると、源頼義と子の八幡太郎義家は、前九年の役(1051〜62)で奥六郡(岩手県中南部)の司・安倍氏を討った際に、大國魂神社に戦勝を祈願し、安倍氏を滅ぼした後、勝利の奉賽として神社にケヤキの苗木1000本を寄進し、それが現在のこの通りのケヤキ並木のルーツとなったそうです。

 

 それにしても頼義・義家が神社に戦勝祈願をした話は東京のいたるところにありますね。

 

 東京だけでなく、関東から東北にかけて相当数が分布している模様です(静岡より西の方は知りません)。

 

 なぜそれだけ伝承が広まったのか?

 

 なぜ各地の神社が縁起として取り入れたのか?

 

 今のところは謎ですが、これも探究してみたいテーマです。

 

 府中市郷土の森博物館紀要の第17号に掲載されている「武蔵国の源頼義・義家伝説 −源頼朝伝説との比較もかねて-」(佐藤智敬著)によれば、義家の説話は、『十訓抄』や『今昔物語』にも載っており、中世にはすでに伝説的な人物になっていました。

 

 また、義家の父頼義と大國魂神社(当時は六所宮と呼ばれた)との関わりについては、すでに14世紀後半に成立した『源威集』に記載されており、府中と頼義・義家父子との関わりについては意外と古くから言い伝えられてきたようです。

 

 頼義・義家が京を出陣して、奥州までどのように進軍したのかは、史料がないので分かりませんが、東海道を通ったのであれば、府中を通過した可能性は非常に高いです。

 

 ちょうど父子が通過した11世紀中葉は、大國魂神社が武蔵国の総社とされた時代だと考えられるので、父子が武蔵国で一番力のある神社を無視するとは考えられず、当然ながらただ通過するだけでなく、宿泊場所(陣所)としても利用したはずです。

 

 佐藤氏が言うように、上述の当地における頼義・義家伝承が史実だという証拠も、また逆に史実ではないという証拠もないですが、私は父子が「東海道を通ったのであれば」という条件付きで、史実の可能性が高いと思います。

 

 この件に関しては今後も調査してみますが、面白いのは佐藤氏も言っていますが、現代の市民が頼義ではなく義家を銅像としたところですね。

 

 やっぱり、義家の方が人気があるのも頷ける気がします。

 

 あ、ちなみにこの通りは、「馬場大門欅(けやき)並木」というそうです。

 

 義家の写真の一つ前の写真が現在の様子で、今は中央の車道とその左右の歩道であわせて3本の道があり、土手(ケヤキ並木)は2本です。

 

 でも、『武蔵名勝図会』の本文および挿絵によると、江戸時代の頃は道幅5間余(9m余)の大門路があり、その左右に馬場がありました。

 

 馬場の幅は東側が6間(10.8m)、西側が4間(7.2m)です。

 

 そして、各路は土手で遮られ、その上にケヤキが植えられており、ケヤキ並木は4列になるので、往時の左右外側の土手がなくなったというわけです。

 

 現在の道幅は約30mあるので、そう考えると全体の路幅は往時とほぼ同じということになりますね。

 

 また往時は現在の「けやき並木北」交差点の場所に鳥居がありました。

 

 ちなみにこのケヤキ並木は、「馬場大門のケヤキ並木」という正式名称で、大正13年(1924)12月9日に国の天然記念物に指定されました。

 

 同じ日に「小金井サクラ」も天然記念物に指定されています。

 

 都内には天然記念物は特別天然記念物を含めて15個しかないので、大変貴重なケヤキ並木ですよ。

 

 欅並木を南下し、大國魂神社に参拝する前に、まず多磨寺の形跡を探ってみましょう。

 

【参考資料】

  • 『新編武蔵風土記稿』「巻之九十二 多摩郡之四 府中領 本町」 昌平坂学問所/編 1830年
    ↑クリックすると「国立国会図書館デジタルコレクション」の当該ページへリンクします
  • 『武蔵名勝図会』 植田孟縉/著・片山迪夫/校訂 慶友社 1967年(原著は文政3年<1820>)
  • 「武蔵国の源頼義・義家伝説 −源頼朝伝説との比較もかねて−」 佐藤智敬/著 (『府中市郷土の森博物館紀要 第17号』所収 府中市郷土の森博物館/編 2004年)

 

現在地

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馬場大門のケヤキ並木

多磨寺跡

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