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古代多磨郡の有力者が建立した郡寺・多磨寺跡

最終更新日:2016年9月8日

 

多磨寺跡概要
ふりがな たまでら
住所 東京都府中市宮町2丁目から八幡町2丁目にかけての範囲か

史跡指定 なし
現況 市街地
創建年代 白鳳時代(7世紀後半から8世紀初頭)
宗派 不明
目で見られる遺構・遺物 塔心礎と伝わる石(私は未見)・瓦(ふるさと府中歴史館に展示)
関連施設 ふるさと府中歴史館

 

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第1回 探訪記録

 

探訪データ

 

探訪年月日 2012年2月28日(火)
天候 曇り
探訪ルート 【2月28日】 馬場大門のケヤキ並木 → 多磨寺跡 → 大國魂神社
【3月7日】 武蔵国府八幡宮 → 武蔵国府跡 → ふるさと府中歴史館 → 称名寺
【3月30日】 高安寺 → 国鉄下河原線廃線跡 → 坪の宮 → 三千人塚 → 分倍河原古戦場跡 → 高倉塚古墳 → 天王塚古墳 → 首塚 → 高倉20号墳 → 延文之板碑出土之地 → 御嶽塚 → 武蔵府中熊野神社古墳 → 武蔵府中熊野神社古墳展示館

 

古代多摩郡の有力者の影を追う

 

 馬場大門欅並木で、図らずも八幡太郎に遭遇した後は、八幡太郎が活躍した時代にはすでに勢力が衰えていた郡司の祖先が建立した、多磨寺を探りに行きます。

 

 ケヤキ並木を南へ行くと、ケヤキ並木が終わった先に大國魂神社の鳥居が見えました。

 

大國魂神社北側鳥居

写真1 大國魂神社北側鳥居

 

 でもまずは少し東側の宮町2丁目に行ってみましょう。

 

 この近辺で写真を撮れる適当な場所がないか探していると、宮町中央公園がありました。

 

宮町中央公園

写真2 宮町中央公園

 

 なぜ、宮町2丁目の写真が撮りたかったかというと、現在はこの辺りは完全な住宅街になっていますが、古代、「多磨寺(たまでら)」というお寺があった可能性が高く、その創建時期は白鳳時代(7世紀後半から8世紀初頭)といわれ、武蔵国府より古いのです。

 

 この近所の墓地に多磨寺の塔の心礎として使われたと考えられる石があるそうなのですが、おかしい、見つかりません。

 

 また今度、よく調べてから来ようと思います。

 

 府中市郷土の森博物館紀要の第19号に収録された「国府のなかの寺と堂 −武蔵国府跡の発掘調査事例から-」(深澤靖幸著)によると、近年の発掘調査の結果、この近辺からは東西19m、南北15mの範囲で掘込地業(50cmほど掘った後に土をかぶせ衝き固める)された上に上部を削平された基壇建物の基礎が検出されており、金堂の跡ではないかと考えられています。

 

 近隣で「多寺」や「□磨寺」(口は欠けていて不明ですが、「多」の字の一部が見えます)と銘された瓦が出土していることから、その建物は多磨寺という名称であったことが確実で、郡名を冠していることから、多摩郡の郡寺であったとされています。

 

 多磨寺は国府に付随する寺であるという考えもありますが、多磨寺を改修した時に使用した瓦と同時期の国庁の瓦は組成が明瞭に異なり、多磨寺からは国内の各郡からの協力のもとに焼かれた郡名瓦も出土していないことから、深澤氏は建立主体を武蔵国ではなく、多摩郡の郡司(大領)氏族であると考えています。

 

 現在のこの場所にマチが形成されたのは、7世紀末から8世紀初頭で、それと同じ頃、多摩寺は当地の有力者によって創建されたのです。

 

 国分寺の創建よりも前ですね。

 

 国庁に掘立柱建物群が建造されるのは8世紀前葉で、なおかつ屋根が瓦ぶきになるのは8世紀中ごろなので、国庁の屋根に瓦ぶきが施されるよりも半世紀くらい前には、すでに在地の有力者である郡司が瓦ぶきの建物を建てていたわけです。

 

 そう考えると、その郡司は相当富裕であったはずで、時代的には武蔵府中熊野神社古墳(7世紀中葉)の被葬者との関連も想像できて面白いです。

 

 ちなみに多磨寺は、民衆教化のための寺ではなく、あくまでもこの地を支配した郡司層のための寺で、あわせて国家鎮護のためのお寺でもありました。

 

 ふるさと府中歴史館では、「□磨寺」銘瓦を見ることができますよ。

 

 そんな古代へのロマンに浸りながら住宅街をウロウロしていると、白い猫が道路の端を向こうからやってきました。

 

 カメラに収めようと思ったのですが、一瞬遅く、すぐに通り過ぎていってしまいました。

 

 外にいる猫を撮るのって結構難しいんですよね。

 

 しくじったなと思いながら次にたどり着いたのは日吉神社です。

 

日吉神社

写真3 日吉神社

 

 位置的には、日吉神社は多摩川の河岸段丘のヘリの部分にあたり、南側は一段低くなっており、南に約1.5km行くと多摩川になります。

 

 日吉神社の横の坂道は、なぜか「天神坂」といいます。

 

天神坂

写真4 天神坂

 

 天神様(菅原道真)の伝承でもあるのでしょうか。

 

 それとも、この日吉神社は元々は菅原道真を祭る天神社で、いつの頃からか日吉神社になったのでしょうか。

 

 この日吉神社は、都内の神社のカタログのような『東京都神社名鑑』にも載っていないので、詳しいことは分かりません。

 

 『新編武蔵風土記稿』「巻之九十二 多摩郡之四 府中領 新宿」によると、新宿の巽(東南)に「天地」という小名があり、「天神」が転訛したものと考えられるそうで、普門寺の本堂脇には天満宮が鎮座していると記されています。

 

 ところで、私はギャンブルは一切しないのですが(宝くじすら買わない)、通りの向こうには大きな建物、東京競馬場があって立派な建造物だったので記念に撮ります。

 

東京競馬場

写真5 東京競馬場

 

 府中市はこれで結構潤っているんですよね。

 

 路地をニョロニョロと歩いていると、鳥居が見えました。

 

 大國魂神社の東側の入り口です。

 

大國魂神社東側鳥居

写真6 國魂神社東側鳥居

 

 道端の説明板によると、この鳥居に向かう東西方向の道は、京所道(きょうずみち)といって、江戸時代の慶安年間(1648〜52)に甲州街道が開通する前の初期の甲州への道(つまり古甲州道)だということです。

 

京所道

写真7 京所道

 

 でも、考えてみれば、古甲州道はここ府中を基点として西側の甲斐の府中へ続く道の呼称なので、この東側へ延びる道を古甲州道と呼ぶのは不思議です。

 

 なので、古甲州道と呼ぶのは憚られるとしても、国府の湊として使用された品川へ向かう道と考えればよいと思います。

 

 ちなみに慶安年間以降の甲州街道は、さきほど通ってきた大國魂神社の北側鳥居の前の道(都道229号線)で、さらに戦後の昭和31年(1956)になって現在の国道20号線が開通し、そちらを今は甲州街道と呼んでいます。 

 

 次は、大國魂神社で武蔵国の古代史にもう少し肉迫してみようと思います。

 

【参考資料】

  • 『府中市郷土の森博物館ブックレット6 古代武蔵国府』 深澤靖幸/編著 2005年
  • 「国府のなかの寺と堂 −武蔵国府跡の発掘調査事例から−」 深澤靖幸/著 (『府中市郷土の森博物館紀要 第19号』所収 府中市郷土の森博物館/編 2006年)

 

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