律令国家の武蔵国における統治拠点・武蔵国府跡

最終更新日:2016年9月8日

 

武蔵国府跡概要
ふりがな むさしこくふあと
住所 東京都府中市宮町

創建 不詳
史跡・文化財指定
史跡名:武蔵国府跡
指定年月日:平成21年(2009)7月23日
追加年月日:平成23年(2011)2月22日

 

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第1回 探訪記録

 

探訪データ
探訪年月日 2012年3月7日(火)
天候 曇り
探訪ルート 【2月28日】 馬場大門のケヤキ並木 → 多磨寺跡 → 大國魂神社
【3月7日】 武蔵国府八幡宮 → 武蔵国府跡 → ふるさと府中歴史館 → 称名寺
【3月30日】 高安寺 → 国鉄下河原線廃線跡 → 坪の宮 → 三千人塚 → 分倍河原古戦場跡 → 高倉塚古墳 → 天王塚古墳 → 首塚 → 高倉20号墳 → 延文之板碑出土之地 → 御嶽塚 → 武蔵府中熊野神社古墳 → 武蔵府中熊野神社古墳展示館

 

国衙領域内の重要掘立柱建物跡を柱で復元

 

 古代の多磨の有力者について興味は尽きないですが、国府八幡宮で古代へのロマンに浸った後は、西に向かいましょう。

 

 府中競馬正門前駅の前を過ぎると、「京所道(きょうずみち)」がありました。

 

 前回の探訪では西端から東の方向を見ましたが、今日は東端から西の国府方向を見ます。

 

京所道

写真1 京所道

 

 京所道を西に向かいます。

 

 ところで、前回の探訪の前にWebで武蔵国府を調べていたら、なにやら史跡整備された公園(?)のような場所があることが分かりました。

 

 しかし、前回の探訪ではその場所が分からず、探訪後もう一度Webで調べたところ、府中市のホームページに場所が書いてあり、その場所は、大國魂(おおくにたま)神社の東側の道路に沿ったところでした。

 

 今日はそこに行ってみることにします。

 

 するとありました。

 

 Webで見た風景が。

 

国指定史跡 武蔵国府跡

写真2 国指定史跡 武蔵国府跡

 

  「国指定史跡 武蔵国府跡」です。

 

 645年の大化改新で蘇我政権を打倒した新政府は、新たに律令国家という律令(法律)で国家を治めるコンセプトを打ち出し、その一環で全国を五畿七道をいう大きな地域に分割し、「七道」という名の通り7つの幹線道路、今でいう高速道路のようなものを全国に張り巡らさせました。

 

 そして列島を60余の「国」に分割します。

 

 それらの国は「令制国(りょうせいこく)」と呼ばれ、全国の国境が確定したのは天武天皇が壬申の乱で勝利してから10年少し経った天武12〜15年(683〜685)とされています。

 

 国を作ったということは、当然ながら国の政治を摂る場所が必要なわけですが、それも簡単にできたわけではないようで、全国的にだいたい8世紀に入ってから国府の整備が整って行ったようです。

 

 当時武蔵は七道のうち、東山道の所属だったのですが、東山道のメインルートは信濃国(長野県)から上野国(群馬県)に入ると、下野国(栃木県)を通り東北地方へ向かっています。

 

 そのルート上に武蔵国はないので、上野から支線が武蔵へ向かって延びていました。

 

 しかも、通常国府はその国内でもできるだけ都に近い方に置かれることが多いのですが、武蔵国の場合は遠い多摩郡に国府が作られました。

 

 それが現在の府中市内のこの場所です。

 

 なぜ都に近い方が良いかというと、都から来た伝令は国府に入った後、今度は国内の道を使って国の下位にあたる郡の役所(郡家)に向けて拡散されていきます。

 

 ですので、国府が都に近い方が、国内に命令を伝達したり情報を伝えたりするのがスピーディーに行われるのです。

 

 なのになぜ武蔵国の場合は遠い場所に敢えて作られたのでしょうか?

 

 それはおそらく、国府を建設する時期の武蔵国内の豪族のうち、多摩地域の豪族が朝廷に親和的だったからだと私は思っています。

 

 武蔵国内ではむしろ北部の方が先進地域で人口も多かったようですが、その地域の豪族はあまり中央と仲が良くなかったのではないでしょうか。

 

 どっちみち、武蔵国は徐々に東海道(海沿いルート)からの連絡の便が良くなっていき、宝亀2年(771)には東海道に所属替えがなされ、そうなると多摩の場所は非常に都合のよい場所になります。

 

 さて、国府の中でも国の幹部職員である国司たちが政務をみた国衙(こくが)という領域が、この史跡公園がある場所ですので、広大な武蔵国内の最強のコアゾーンがまさしくこの場所なのです。

 

 そこをちょっとした史跡公園のようにしているわけですね。

 

国指定史跡 武蔵国府跡

写真3 国指定史跡 武蔵国府跡

 

 朱色の柱がたくさん建っていますが、この場所では格式の高い2棟の掘立柱建物跡が検出されており、その柱跡の上に模擬的に柱を立てているわけです。

 

 ちなみに、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)というのは、地面に穴を掘ってその上に柱を立てる方式で、他には寺の金堂や塔などで用いられるように礎石を置いてからその上に柱を立てる方式もあります。

 

 なお、武蔵国衙の大きさは、東西が200m以上、南北が300m以上あると考えられており、現在の大國魂神社の境内がその西側を占めます。

 

説明板の図

写真4 説明板の図

 

 国府が機能していた時代に大國魂神社が国衙の中にあるなんてことはあり得ない話なので、そう考えると大國魂神社が現在の敷地を占めるようになったのは、古くても国府の荒廃後と考えられます。

 

 おっと、敷地の中にはミニ展示室もありますね。

 

ミニ展示室

写真5 ミニ展示室

 

 ちなみに、この場所に府中駅から来る場合、駅から見て大國魂神社の敷地の左側の道路ですので、是非訪れてみてください。

 

 次は、国府に関する展示も豊富だと聞いているふるさと府中歴史館を見学してみましょう。

 

【参考資料】

  • 『新編武蔵風土記稿』「巻之九十二 多摩郡之四 府中領 六所社領」 昌平坂学問所/編 1830年
    ↑クリックすると国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページへリンクします
  • 『東京都神社名鑑 下巻』 東京都神社庁/編 1986年
  • 「国府・国分寺関係の神社」 太田亮/著 (『新修 国分寺の研究 第六巻 総括』所収 角田文衞/編 1996年)
  • 「国府八幡宮の中世瓦」 深澤靖幸/著 (『府中市郷土の森博物館紀要 第24号』所収 府中市郷土の森博物館/編 2011年)

 

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