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地元で前方後円墳とささやかれる高倉塚古墳/高倉古墳群

最終更新日:2017年12月31日

 

高倉塚古墳概要

 

ふりがな たかくらづかこふん
住所 東京都府中市分梅町1-11

交通 京王線分倍河原駅下車、徒歩約5分
史跡指定
現況 古墳
築造時期 6世紀前半
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後円墳 前方後方墳 帆立貝式古墳 円墳? 方墳 上円下方墳 双方中円墳 八角墳
築成 1段 2段 3段 4段 5段 不明
造出 あり なし 不明
規模 直径約20m
墳丘高 約2.5m
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし 不明

 

埋葬主体

 

不明

 

周溝

 

あり

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2012年3月30日(金)
天候 曇り
探訪ルート 高安寺 → 国鉄下河原線廃線跡 → 坪の宮 → 三千人塚 → 分倍河原古戦場跡 → 高倉塚古墳 → 天王塚古墳および八雲神社 → 浅間神社(美好町3-42) → 首塚 → 高倉20号墳 → 延文之板碑出土之地 → 御嶽塚 → 武蔵府中熊野神社古墳 → 武蔵府中熊野神社古墳展示館

 

住宅街に残る墳丘

 

 分倍河原古戦場の石碑を見た後は、分梅通りを北上します。

 

 交番のある交差点を越えてさらに北へ行くと、道路の角に目指す「高倉塚古墳」への標識が立っていました。

 

 そこを右へ行き、住宅街を進むと、ありました!高倉塚古墳です!

 

 

 

 この府中市史跡・高倉塚古墳は、東西450メートル、南北300メートルの範囲内の「高倉古墳群」に属しており、高倉古墳群では30基の古墳が発見されています(現地説明板には25基とありますが、備え付けのパンフレットには30基とあります)。

 

 

 高倉塚古墳の大きさは直径約20メートル、高さは約2.5メートルあります。

 

 この古墳からではないですが、高倉古墳群の他の古墳からは、大刀、鉄鏃などの武具や水晶の切子玉、金銅製の耳飾りなどの装飾品が出土されています。

 

 府中市内の古墳は、多摩川河岸の府中崖線の縁辺に点在しており、大きく高倉古墳群と白糸台古墳群に分けることができます。

 

 両古墳群の間には古墳が築造されなくなった後の律令時代に造られた武蔵国の中枢である国府跡が存在し、国府跡近くの本町遺跡では古墳時代前期の方形周溝墓が3基見つかっています。

 

 多摩川左岸(北岸)の段丘上には国立市の青柳古墳群から大田区の荏原台古墳群までほぼ間断なく古墳が築造されていますが、のちに国府が造られる場所周辺はもっとも大きな古墳空白地帯となっており、上述の方形周溝墓以降、古墳時代後期後半まで竪穴住居などの人の生活の痕跡もありません。

 

 これは、『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』で塚原二郎氏が指摘している通り、のちに国府となる当該地域には古墳時代前期の段階で「地元勢力を制する力」が働き、この一帯をを隔離したのでしょう。

 

 この「地元勢力を制する力」とは、ヤマト政権です。

 

 これ以上の考察は今後深めていこうと思いますが、武蔵の国府が武蔵国内の最大勢力であった埼玉古墳群(行田市)近辺に造られずに、府中市内に造られた理由を考える上で、この事実は非常に面白い素材になります。

 

 説明板によると、高倉古墳群で現存している古墳は高倉塚古墳を含めて4基あるらしいです。

 

 

 

 場所もおおよその位置が書かれているので、これは全部見つけてみるしかないな。

 

 かつて城跡探しで培った、遺跡探査能力をフル稼働だ!

 

 『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』によると、高倉塚古墳を測量調査したところ、墳丘が西側に尾根上に張り出していることが分かりました。

 

 地元では前方後円墳だったといわれており、もしかするとのその形状の名残かも知れません。

 

 もし前方後円墳だとすると、多摩川沿いの最上流の前方後円墳となり、高倉古墳群自体の政治的な位置づけも変わってきて面白いです。

 

 また、今は復元整備されておりありませんが、かつては墳丘に中型の河原石が散乱していました。

 

 

【参考資料】

  • 『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』 多摩地区所在古墳確認調査団/編 1995年
  • パンフレット
  • 現地説明板

 

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現在地

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分倍河原古戦場跡

高倉塚古墳

天王塚古墳および八雲神社

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