◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

天王塚古墳および八雲神社

最終更新日:2015年10月18日

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2012年3月30日(金)
天候 曇り
探訪ルート 高安寺 → 国鉄下河原線廃線跡 → 坪の宮 → 三千人塚 → 分倍河原古戦場跡 → 高倉塚古墳 → 天王塚古墳および八雲神社 → 浅間神社(美好町3-42) → 首塚 → 高倉20号墳 → 延文之板碑出土之地 → 御嶽塚 → 武蔵府中熊野神社古墳 → 武蔵府中熊野神社古墳展示館
同道者 なし

 

 

 実は高倉古墳群の二つ目の古墳は、八雲神社の社殿のうしろにあることをあらかじめ知っています。

 

 なので、発見は簡単でしょう。

 

 

 

 八雲神社の祭神は、牛頭天皇(ごずてんのう)と素盞鳴尊(スサノオ)で合祀されているということですが、牛頭天皇とスサノオは同一人物であるという説が専らです。

 

 

 700年前ころには、すでに神社はあったといわれています。

 

 

 さて、お目当ての古墳ですが、あらかじめ調べていた通り、社殿の後ろにありました。

 

 

 これが高倉古墳群の二つ目の古墳です。

 

 残るは二つ、さあ、探しましょう。

 

【参考資料】

  • 現地説明板

 

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現在地

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高倉塚古墳

天王塚古墳および八雲神社

浅間神社(美好町3-42)

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