◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

御嶽塚

最終更新日:2015年5月15日

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2012年3月30日(金)
天候 曇り
探訪ルート 高安寺 → 国鉄下河原線廃線跡 → 坪の宮 → 三千人塚 → 分倍河原古戦場跡 → 高倉塚古墳 → 天王塚古墳および八雲神社 → 浅間神社(美好町3-42) → 首塚 → 高倉20号墳 → 延文之板碑出土之地 → 御嶽塚 → 武蔵府中熊野神社古墳 → 武蔵府中熊野神社古墳展示館
同道者 なし

 

 

 さて、西府駅の北口から南口にトンネルで移動します。

 

 西府駅の前に来たら前方に古墳が見えるじゃないですか!

 

 

 府中市史跡・御嶽塚です!

 

 それにしても、こんな駅前の一等地にあるとは!

 

 

 パンフレットによると、御嶽塚は、周溝をめぐらせた直径25メートルの円墳だったと考えられているそうです。

 

 

 頂部に立って周囲を見渡してみると、正円というよりかは楕円のような感じに思えます。

 

 頂部には、「御嶽大権現」と彫られた石祀があります。

 

 

 

 これには「小野宮願主内藤伊助 安政五午年十一月吉日」とも彫られており、小野宮とは、当時本宿村に属した小野神社周辺地域を指しているそうです。

 

 御嶽塚の周辺は「御嶽塚古墳群」を形成し、20基の古墳が発見されており、御嶽塚古墳群の築造時期は、古墳時代後期の6世紀から7世紀はじめです。

 

 さきほどは、5世紀の武蔵国に思いを馳せてみましたが、6世紀はどんな時代だったのでしょう。

 

 6世紀の関東というと、世に有名な「武蔵国造の乱」という事件がありました。

 

 『日本書紀』によると、安閑元年(534)、武蔵国造の笠原直使主(かさはらのあたいおみ)とその同族の小杵(おき)が国造の地位を争って長年決着せず、小杵は上野(群馬県)の上毛野君小熊(かみつけののきみおくま)に助力を求め、一方の使主は中央に直訴し、結果的に小杵は誅され、国造の地位は使主のものとなりました。

 

 そして使主は国造の地位を確定できたのと引き換えに、自分の領内に屯倉(みやけ。ヤマト朝廷の直轄地)を4ヶ所設置させられることになりました。

 

 この事件の当事者である笠原直使主の「笠原」は、埼玉県鴻巣市の笠原で、前述の埼玉稲荷山古墳を築造した勢力の子孫である可能性があります。

 

 この『日本書紀』の記述を読むと、使主と小杵の争いは、国造をめぐる長年のものということになっていて、それ以前から国造の制度があったように見えますが、既述した通り、最近の通説では国造の成立は6世紀から7世紀前半といわれているので、使主と小杵の紛争を契機として、武蔵国に国造が置かれたと考えてよいと思います。

 

 また、この事件の7年前の継体21年(527)には、九州で筑紫君磐井(つくしのきみいわい)の乱が発生しており、それと合わせて、国造制創始のきっかけといわれています。

 

 使主が献上したという4ヶ所の屯倉のうち、「多氷」の屯倉というのが、「多摩」であるという説があります。

 

 多摩といっても広いですが、多氷が多摩だとすると、この屯倉の設置によって、府中市域の古墳の築造勢力も何らかの影響を受けたのかもしれません。

 

 6世紀の武蔵の出来事は、文献資料的には以上の「武蔵国造の乱」以外知られておらず、あとは謎の闇の中にあります。

 

【参考資料】

  • 現地説明板

 

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現在地

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弥勒寺跡および延文之板碑出土之地

御嶽塚

武蔵府中熊野神社古墳

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