◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

武蔵国司も家康も好んだハケ上の景勝地・武蔵国司館跡および徳川家康御殿跡

最終更新日:2016年9月18日

 

武蔵国司館跡および徳川家康御殿跡概要
ふりがな むさしこくしのたちあとおよびとくがわいえやすごてんあと
住所 東京都府中市本町1-14

史跡・文化財指定
史跡名:武蔵国府跡
指定年月日:平成21年(2009)7月23日
追加年月日:平成23年(2011)2月22日

 

スポンサードリンク


第1回 探訪記録

 

探訪データ
探訪年月日 2015年9月13日(日)
天候 曇り
探訪ルート 武蔵国司館跡および徳川家康御殿跡 → 国鉄下河原廃線跡 → 坪ノ宮 → 府中用水跡を西進 → 高倉塚古墳 → 光明院 → 石橋供養塔 → 安養寺(田村氏館跡) → 八幡神社 → 万願寺一里塚 → 稲荷神社 → 中央線四ツ谷ガード下 → 日野宮神社(日奉氏館伝承地その1) → 成就院 → 日奉氏館伝承地その2 → 真福寺 → 御嶽神社 → 西蓮寺 → 龍光寺

 

 「NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会」で1年くらい前に知り合ったヤマセミさんとは、だいぶ前から一緒に歴史めぐりをしましょうと話していたのですが、なかなかタイミングが合わなかったところ、ようやく双方の都合が良い日ができました。

 

 そこで、どこに行こうか話したのですが、ヤマセミさんは今年は府中がテーマの一つということだったので、私も2012年2〜3月に府中歩きをしてから3年半も時間が経っており、また最近では多摩川の旧河道にも興味があり、さらに「古甲州道」(ここうしゅうみち。戦国時代の甲州街道)を歩いてみたいと考えていたことから、今回の歴史めぐりは府中を出発して、古甲州道を八王子に向かって歩けるところまで歩いてみようということになりました。

 

もっと発掘調査が進むと楽しいな

 

 ヤマセミさんも高尾の住人なので、京王線高尾駅のホームで待ち合わせ、8時13分発の準特急に乗り府中を目指します。

 

 今日はどんよりと曇った空模様で、天気予報によると雨が降るかもしれないとのことです。

 

 ですので、天候次第では途中で中止にしようと話し、とりあえず歩けるだけ歩いてみることに決めました。

 

 ヤマセミさんは、某団体が主催する八王子市内の歴史めぐりのコース設計にも携わっており、そういったことを喋っているうちにアッという間に府中に到着です。

 

 まずは一旦駅の東側に回って、普門寺の交差点から京所道(きょうずみち)に入ります。

 

普門寺交差点から大國魂神社方向を見る

写真1 普門寺交差点から大國魂神社方向を見る

 

 この京所道は、道端にある説明板には、甲州街道が整備される慶安年間(1648〜52)以前の甲州街道だと記されています。

 

 今でも「甲州街道」という道は現役バリバリで使われていますが、実は現在の道筋になるまでかなりの変遷があるのです。

 

 例えば府中近辺を例にとると、今の甲州街道、すなわち国道20号線は府中駅の北口を東西に走り、警察署の前を通っています。

 

 しかしこの道は、戦後の昭和31年(1956)に開通した道で、それ以前の甲州街道は、現在「旧甲州街道」と呼ばれている府中駅の南口の大國魂神社前を通っている道です。

 

 多分、ここまでは現在の府中市民の方も普通に把握しているものと思われます。

 

 問題はそれ以前なのですが、現在の「旧甲州街道」というのは、江戸時代に幕府によって整備された「五街道」の一つで、具体的にいつから現在の旧甲州街道が整備されていつから運用されたかは明確にできませんが、上述の説明板の解説通り、17世紀半ばくらいから正式に使われ始めたと考えて良いと思います。

 

 ですから、「旧甲州街道」は300年くらいの間、ずっと使われていたことになるのですが、実はその間も変遷があって、現在は「品川街道」と呼称されている「旧甲州街道」の一本南側の道が、その300年の間でも初期の頃は甲州街道だったのです。

 

 それがなぜ分かるかというと、若松町1丁目と清水が丘3丁目の境界部分に一里塚があったことが分かっているからです。

 

 つまり、一里塚があるということは、それが全国的に整備された江戸初期の時点で現在の「品川街道」が甲州街道であったことを示しているわけですね。

 

 そしてここからがさらにディープになります。

 

 では、17世紀半ばよりも前、江戸時代の初めとか戦国時代の甲州街道はどこだったのでしょうか。

 

 これが本日のテーマである「古甲州道」と呼ばれる道で、その道筋が現在「京所道」と呼ばれている上の写真の道なわけです。

 

 今日はこれからこの道を西へ向かうのですが、参考までに東に進んだ場合は、「京所道」は現在の「品川通り」に繋がっていたはずで、この道もかなり古い歴史を持っていると考えられ、武蔵国府が機能していた古代においては、品川の湊が国府津(こうづ。国府の為の湊)だった可能性が高いので、品川と府中を結ぶ重要な道だったはずです。

 

 それでは、西に向かいましょう。

 

 すぐに大國魂神社の東側の鳥居が見えてきました。

 

大國魂神社東側の鳥居

写真2 大國魂神社東側の鳥居

 

 境内に入ります。

 

 相変わらず境内は人の行き来が激しいですね。

 

大國魂神社境内

写真3 大國魂神社境内

 

 今はここ、随神門の前に東西の道があり、その北側にも境内が続いていますが、中世まではここから北側は大國魂神社の敷地ではなかったのではないでしょうか。

 

 というのも、随神門前の東西の道の西側鳥居が古甲州道の出発点であるので、さきほど歩いてきた京所道と古甲州道が繋がっていたとすると、まさか境内の中を道が通過することは考えられないからです。

 

 ですので、大國魂神社の境内が北に拡張されたのは、江戸初期の上述した通りの17世紀半ば以降に甲州街道ができたあとではないかと考えています。

 

 さて、それではいよいよ、戦国時代に機能していた古甲州道を歩き始めましょう。

 

古甲州道はここが起点

写真4 古甲州道はここが起点

 

 西側の鳥居を出てすぐ、ヤマセミさんが「猫がいるよ!」と教えてくれました。

 

 私がよく歴史めぐりのルポルタージュで猫の写真を載せているので、それを知っているヤマセミさんは教えてくれたわけです。

 

猫ちん

写真5 猫ちん

 

 でも少し遠いですね。

 

 屋根の上は安全地帯なので、猫ちんも安心して下を通る人々を睥睨しています。

 

 猫ちんに見送られながら府中街道に出ると、そのまままっすぐが古甲州道ですが、ここで少し寄り道しましょう。

 

 一箇所見ておきたい場所があるのです。

 

 交差点を左折すると、右手に「ROUND1」が見えますが、ここは以前はイトーヨーカドーでした。

 

ROUND1

写真6 ROUND1

 

 ヨーカドーはジワジワと各地の店舗が減って行っていますが、母が昔ヨーカドーで働いていて、個人的には物心付いた頃からヨーカドーには馴染みがあるので、どうにか劣勢を挽回して欲しいです。

 

 それはそれとして、ヨーカドーの駐車場だったところが、古代において武蔵国府に勤める国司の館があった場所と伝承され、また江戸期には徳川家康が御殿を築造した場所とされています。

 

国指定史跡 武蔵国府跡御殿地地区

写真7 国指定史跡 武蔵国府跡御殿地地区

 

 おっと、今は更地になっていますね。

 

 上の写真の左側(南側)は、「御殿坂」と呼ばれる下り坂になっています。

 

 多摩地域では河岸の崖のことを「ハケ」と呼び、そのハケを降って、多摩川の段丘を一段下がることになるわけです。

 

 今は御殿坂を降ってから、多摩川の河岸までは1kmちょっとありますが、おそらく戦国期はこの坂のすぐ下に川の流れがあったはずです。

 

 今でもハケ下にはいくつもの流れや形跡が残っていますが、それらは往時の多摩川の形跡であり、本流については、『府中市史』で示されており(菊池山哉さんの説だと思う)、その流れからNEC東側の第五小学校の交差点で分岐した、現在の御猟場道に沿った河道も本流に準ずるくらいの主要な流れだったと考えています。

 

 その流れがこの坂の下に続いているのです。

 

 でも今日は坂を降りず、横断歩道を渡って西へ向かうことにします。

 

 この辺は仕事でたまに車を運転して通りますが、歩いて来たことはないので新鮮な気持ちです。

 

 あら、行き止まり!

 

行き止まり

写真8 行き止まり

 

 横断歩道を渡った段階では歩道が続いているように見せかけておきながら、こういう罠が仕掛けてあるのも、家康を襲う忍者に対する防備の一つかもしれません。

 

 もう一度さきほどの交差点に戻り道の対岸に渡ります。

 

 この道は現在は「鎌倉街道」と呼称されています。

 

 おっと、ちゃんと史跡を示す看板がありました!

 

国指定史跡 武蔵国府跡御殿地地区

写真9 国指定史跡 武蔵国府跡御殿地地区

 

 ここも国史跡である武蔵国府跡の一部なんですね。

 

 ここには何か史跡公園でも作ってくれるのかな?

 

 後日、郷土の森博物館の展示解説員の方から聴いたところによると、御殿地区を整備するに当たり必要な28億円の内、国が8割、都が1割を負担するため、府中市は2億8千万で済むということです。

 

 ちなみに国司というのは、「令制国」と呼ばれる古代の行政区画の「国」を統治したトップ4職のことをいって、上から守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)と呼ばれ、最上位の人は例えば「武蔵守(むさしのかみ)」と呼ばれます。

 

 ですので、単純に国司の館があったといわれても、上記のうちの誰の館かどうかはわかりませんが、狭義では国司といったら「守」を指すので、武蔵守の居館跡を想定しているのかもしれませんね。

 

 なお、平将門の乱(939〜940)の頃に武蔵に「介」として赴任してきた経基王の居館は、京王線府中駅南口近くにある称名寺にあったという言い伝えがあります。

 

 一方、家康の御殿に関しては、家康が江戸に入府したあと、鷹狩のためにこの地にやって来た時の宿泊所だっとされ、ここは南に多摩川越しに富士山を望む景勝の地であるので、宿泊所としてはうってつけの場所であり、もちろん防備も厳重にしなければならないので、地形的にも防御性に優れたこの地を選んだのだと思います。

 

 それと、府中市のホームページからダウンロードできる『武蔵国府関連遺跡現場説明会』資料によると、発掘調査の結果、中世城館の堀跡も見つかっており、伝承や文献史料は一切ないものの、この場所に家康が入る前に土豪の居館があったことが分かっています。

 

 ただその時代については、おおざっぱに「中世」と言っているだけで不明確ですが、戦国時代であれば大國魂神社の宮司を代々世襲している猿渡氏(土豪でもあった)の居館かも知れず、またそれより少し前であれば、関東管領の下で武蔵国守護代を担っていた、山内上杉氏の重臣(例えば大石氏)の居館かもしれません。

 

 いずれにせよ、この場所は古代から中・近世にかけての歴史ロマンが眠っているわけで、今後の調査に期待したいですね。

 

 それでは古甲州道に戻り、西を目指しましょう。

 

【参考資料】

 

<< 戻る

現在地

進む >>

武蔵国司館跡および徳川家康御殿跡

国鉄下河原廃線跡

スポンサードリンク



 

ご意見・ご感想は、稲用章

inayouアットマークa.email.ne.jp

までお願いします。

 




関連ページ

原始遺跡 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
武蔵台遺跡公園<武蔵台東遺跡>
武蔵台東遺跡は、原始・古代・中世・近世の複合遺跡で、縄文時代中期の柄鏡形敷石住居跡が移築保存されています。
その頃は10軒の住居が環状に建ち並ぶムラだったとされていますが、それは本当に事実でしょうか?
古墳 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
高倉塚古墳
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
天王塚古墳
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
首塚
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
高倉20号墳
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
御嶽塚
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
武蔵府中熊野神社古墳
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
武蔵府中熊野神社古墳展示館
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
神社 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
大國魂神社
多摩地域内で最古の部類に入る古社・大國魂神社は、武蔵国の総社という地位にあった歴史を持ち、現在でも多摩の代表的神社として多くの人びとから信仰されています。
坪の宮
大化改新(645年)以前に无邪志(むさし)の国造(くにのみやつこ)を務めていた兄多毛比命(えたもひのみこと)を祀る古社。
現在は大國魂神社の摂社となっているこの神社は、武蔵国の古代史解明の鍵を握っているのです。
武蔵国府八幡宮
全国の国府には国府八幡宮が付随していました。
もちろん武蔵国にもあったのですが、実は国府八幡宮という神社自体謎に包まれているのです。
日新稲荷神社
八雲神社
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
日枝神社
浅間神社(美好町3-42)
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
浅間神社(美好町3-56)
寺院 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
多磨寺跡
古代の郡には郡の有力者が建立した郡寺がありました。
多磨郡にあった郡寺はいったいどのような寺だったのでしょうか。
弥勒寺跡および延文之板碑出土之地
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
高安寺
足利尊氏が開基した高安寺は、代々の鎌倉公方が合戦に臨む際の本陣となりました。
果たして現在の高安寺に城塞の面影は残っているでしょうか。
称名寺
府中駅南口の時宗称名寺は鎌倉時代の創建と伝えられますが、平将門の乱の際の武蔵介・源経基の館跡との伝承があります。
官衙 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
武蔵国府跡
古代武蔵国の国府は現在の東京都府中市にあり、広大な面積が国史跡の指定範囲です。
かつては謎とされていた場所も現在ではほぼ範囲が明確になっています。
城館 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
源経基館
府中駅南口の時宗称名寺は鎌倉時代の創建と伝えられますが、平将門の乱の際の武蔵介・源経基の館跡との伝承があります。
高安寺塁
足利尊氏が開基した高安寺は、代々の鎌倉公方が合戦に臨む際の本陣となりました。
果たして現在の高安寺に城塞の面影は残っているでしょうか。
徳川家康御殿跡
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
塚 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
三千人塚
有名な分倍河原合戦で討死した3000人の武士たちを葬ったとされる三千人塚。
果たして塚の中には3000もの人びとが眠っているのでしょうか。
本宿一里塚
道 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
武蔵国分寺参道口
馬場大門のケヤキ並木
都内には意外と多くの源頼義・義家父子の伝承が残っています。
府中にも彼らの伝承を見つけることができます。
分倍河原古戦場跡
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
鉄道遺跡 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
国鉄下河原線廃線跡
多摩地域にもいく筋か廃線跡が残っていますが、府中市内にもかつて活躍した鉄道の線路跡が残っています。
廃線になった後もその線路跡が分かるように整備するのは鉄道に携わった人たちへの感謝の一つの表れでしょう。
自然 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
西府町湧水
博物館・資料館 >>
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
ふるさと府中歴史館
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。
府中市郷土の森博物館
東京都の大部分は昔の武蔵国に含まれ、その中心は7世紀から15世紀までは現在の府中市でした。
ここではそんな府中の歴史をルポルタージュでご紹介します。