北条氏照の右腕・近藤出羽守開基の浄泉寺<近藤出羽守屋敷跡>
最終更新日:2016年1月27日
はからずも発見してしまった鎌倉景政館跡である御霊神社から、浄泉寺はすぐそこです。
浄泉寺諸元
ふりがな | じょうせんじ |
---|---|
住所 | 東京都八王子市館町1234 |
山号・院号 | 釈尊山 |
宗派 | 曹洞宗 |
創建 | 天正9年(1581)以前 |
開山者・開基者 | 開山:獄應儀堅禅師 開基:近藤出羽守助実 |
本尊 | 南無釈迦牟尼仏座像 |
公式サイト | なし |
第1回 探訪記録
探訪年月日 | 2009年11月1日(日) |
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天候 | 曇り |
探訪ルート | 鎌倉景政館および御霊神社 → 近藤出羽守屋敷および浄泉寺 → 椚田遺跡 |
わずかに戦国屋敷の面影を残す
浄泉寺は湯殿川の河岸から少し上がったところにあり、川との比高差は20メートルくらいです。
写真1 浄泉寺本堂
このお寺にも由緒書きの説明板があります。
それによると、浄泉寺は入間郡久米村(現在の埼玉県所沢市)の永源寺の末で、創建は近藤出羽守、開山は獄應儀堅禅師です。
出羽守は、北条氏照の右腕とも言える武将で、下野国(栃木県)榎本城の城主(あるいは城代とも)も務め、広大な氏照領を縦横無尽に駆けつつ、伊達氏との外交も担当し大活躍しました。
天正18年(1590)に豊臣政権の前田利家や上杉景勝などが八王子城を攻めた際は、中山勘解由家範や狩野一庵らとともに中の丸(一説には山下曲輪)を守備し、討ち死にしたと伝わります。
浄泉寺によると、出羽守の法名は龍洞院殿一渓浄泉大居士といい、天正18年(1590)6月23日に亡くなったとあるので、まさしく八王子城が落城した日に討ち死にしたことがこれで分かりますね。
さて、説明板には、空堀や土塁が残っていると書いてありますが、微妙な窪みが見えます。
写真2 空堀跡か?
また、土塁状の高まりも。
写真3 土塁か?
うーん、微妙。
『東京都の中世城館』には、「城郭遺構か否かは検討を要する」とあります。
先ほど見た御霊神社の場所は権五郎景政の館跡との伝承があり、そこよりかは浄泉寺の場所の方が一段高い場所にあって館の立地としては向いているように思えますが、『日本城郭大系』には、屋敷地は御霊神社を含むと書かれています。
出羽守の居館跡と言われているのは、ここ以外にも城山手の出羽山(落越遺跡)という場所があるので、そちらも近々見てみたいですね。
次は、戦国時代から一気に時代を遡り、縄文時代の遺跡である椚田遺跡に行ってみましょう。
【参考資料】
- 現地説明板
- 『新編武蔵風土記稿』「巻之百三 多摩郡之十五 柚木領 館村」 昌平坂学問所/編 1830年
↑クリックすると国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページへリンクします - 『武蔵名勝図会』 植田孟縉/著・片山迪夫/校訂 慶友社 1967年(原著は文政3年<1820>)
- 『武蔵野歴史地理 第五冊 八王子地方』 高橋源一郎/著 有峰書店 1972年(原著は昭和3年<1928>)
- 『日本城郭大系 5 埼玉・東京』 新人物往来社 1979年
- 『東京都の中世城館』 東京都教育委員会/編 戎光祥出版 2013年
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