戦前珍しかった縄文時代の敷石住居跡が見つかった遺跡・船田石器時代遺跡

最終更新日:2016年1月27日

 

前回の八王子探訪はこちら

 

 前回の「Section1」に引き続き、今日も自転車で近所の史跡をめぐります。

 

 まずは国土地理院の2万5千分の1の地形図に「船田石器時代遺跡」と書かれている遺跡を目指します。

 

船田石器時代遺跡諸元

 

ふりがな ふなだせっきじだいいせき
住所 東京都八王子市長房町

時代 縄文時代中期・弥生・古墳・奈良・平安
現況 船田公園、宅地
観察遺構 なし
史跡指定 国指定史跡
指定日:昭和3年(1928)1月18日
関連サイト 八王子市ホームページ内「船田石器時代遺跡」のページ

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2009年11月8日(日)
天候 曇り
探訪ルート 船田石器時代遺跡 → 船田古墳 → 石平道人(鈴木正三)墓 → 出羽山 → 刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地 → 梶原館および梶原八幡

 

説明板もない国指定史跡

 

 甲州街道を東進し、並木町の交差点を左折、南浅川を渡り船田児童館を目指します。

 

 地図上ではその裏が「船田公園」となっており、遺跡の場所です。

 

 長房の団地に入り、目的地である船田公園に到着。

 

 なんか、ただの広場のようだな。

 

船田公園

写真1 船田公園

 

 あらかじめWebで調べておいたところでは、ここには石碑があるはずなのだが・・・

 

 ・・・お、あった!

 

 石碑発見!

 

 広場の端っこに「史蹟船田石器時代遺蹟」と彫られた石碑が立っていました。

 

標柱

写真2 標柱

 

 周りを見渡したところ、他には何も無さそうです。

 

 この遺跡は、名前に「石器時代」と付いているので、「旧石器時代」を連想してしまいますが、実は縄文時代の遺跡です。

 

 まあ、縄文時代も石器を使ったので、「石器時代」と言っても間違いではないですが、どうやら「縄文時代」というネーミングができる戦前は石器時代と呼んでいたようです。

 

 『八王子市史』によると、この遺跡は地元の農民が敷石住居跡らしい石塊を発見したことから、昭和2年(1927)4月に後藤守一らが発掘しました。

 

 敷石住居跡は先週訪れた椚田遺跡にもありましたな。

 

 『八王子市史』が昭和42年に刊行されたあと、発掘調査されたかどうかは分からないので、今度機会があったら郷土資料館で聴いてみようと思います。

 

 この探訪から4年後の2013年、『新八王子市史 資料編1 原始・古代』が刊行されましたが、それによると船田石器時代遺跡として指定されている場所は、「船田遺跡」と呼ばれ、当初の縄文時代の遺構以外にも、その後の調査で弥生・古墳・奈良・平安時代の遺構が出てきており、古代全般に渡る複合遺跡であることが分かっています。

 

 とくに平安時代中期には、43棟の竪穴住居と多数の掘立柱建物が検出されており、それらがすべて同時に建っていたわけではないにせよ、集落遺跡としては大きな規模です。

 

 ただその時代は、ムラのなかに家が密集していたわけではなく、散居的な状況でした。

 

 平安時代中期にはこの近辺は多摩郡内の川口郷の範囲内であり、中田遺跡などともに川口郷を構成する集落の一つだったと考えられます。

 

 次は偶然発見してしまった船田古墳です。

 

 

 

つづきの記事はこちら

 

 

【参考資料】

  • 『八王子市史 下巻』 八王子市史編さん委員会/編 1967年
  • 『新八王子市史 資料編1 原始・古代』 八王子市史編集委員会/編 2013年

 

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