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市内でも珍しい石室構造を持つ船田丘陵を支配した有力者の墓・船田古墳

最終更新日:2016年1月27日

 

前回の記事はこちら

 

 船田石器時代遺跡を出た後、出羽山に向かおうと思いますが、手元の地図を見ると、途中「遺跡公園」という名の公園があります。

 

 気になるのでちょっと寄ってみましょう。

 

船田古墳諸元

 

概要

 

ふりがな ふなだこふん
住所 東京都八王子市長房町

交通
史跡指定 なし
現況 墳丘は破壊され、団地内の遺跡公園に形状がマーキングされている
築造時期 6世紀第3四半期〜第4四半期
関連施設  

 

墳丘

 

形状 前方後方墳 前方後円墳 方墳 円墳 その他
築成 1段 2段 3段 4段 5段
造出 あり なし
規模 周溝内の内径12m
墳丘高
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし

 

埋葬主体

 

位置  
掘り方 竪穴式 横穴式
石室・槨 河原石積。片側壁に緩やかな胴張りのある片袖型式の横穴式石室。玄室と羨道の2部屋構造。
規模 幅2.4m×長さ4.9m
直葬 割竹形木棺 舟形木棺 家形石棺 長持形石棺 不明
人骨 不明
副葬品 不明
見学 可能 不可能

 

周溝

 

形状 墳丘形 馬蹄形 長方形 不定形 不明 なし
構造 一重 二重 三重 不明
幅80〜170cm、深さ40〜60cm
中島 あり なし
残存もしくは形跡 全部あり 一部あり なし
遺物 周溝跡から7世紀中頃の土師器坏
周溝を含めた最大長 約m

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2009年11月8日(日)
天候 曇り
探訪ルート 船田石器時代遺跡 → 船田古墳 → 石平道人(鈴木正三)墓 → 出羽山 → 刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地 → 梶原館および梶原八幡
同道者 なし

 

予想だにしなかった古墳との邂逅

 

 団地の中を走って辿り着いたところ、何の変哲もない公園です。

 

 まあ、一応来てみた訳だから、一通り探ってみましょう。

 

 プラプラと公園の周りを一周してみます。

 

 おや、何か説明板があるぞ。

 

 な、なに、船田古墳だと!

 

船田古墳実測図

写真1 船田古墳実測図

 

 何とこの公園には、かつて古墳があったのです!

 

 説明板によると、団地の造成に先立つ発掘調査でこの古墳は発見されましたが、その当時既に削平されており墳丘は無かったということです。

 

 墳丘の規模は14メートルで、その周りに幅1メートルの周溝が巡っていました。

 

 石室は4.7×2.7メートルで、既に盗掘されており、副葬品はありませんでした。

 

 スペックに関しては、後日発刊された『新八王子市史 資料編1 原始・古代』の記述が説明板と多少異なります。

 

 このページの上の表に掲載したスペックは該書を元にしています。

 

 公園の中央、古墳のあった場所は、色を変えて表示されています。

 

古墳の跡

写真2 古墳の跡

 

 いやー、まさか古墳と出会うとはねえ。

 

 最近、私の中では古墳が流行りつつあり、連日古墳の本を読んでいたところなのです。

 

 こういう予想していない物に出会えると嬉しいよね。

 

 『新八王子市史 資料編1 原始・古代』によると、古墳と同時期の竪穴式住居跡は6群23棟程度で、この古墳の被葬者は100人程度の住民を管掌する立場の人物でした。

 

 また、河原石を用いた片袖の胴張り石室は、現在のところ市内ではここと鹿島古墳で用いられており、市域内に特徴的な石室構造です。

 

 次は近藤出羽守の居城と伝わる出羽山に向かおうと思いますが、偶然にも石平道人の墓を発見してしまったのでした。

 

 

 

つづきの記事はこちら

 

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『新八王子市史 資料編1 原始・古代』 八王子市史編集委員会/編 2013年
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