◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地

最終更新日:2015年7月20日

 

前回の記事はこちら

 

 出羽山を出て、再び自転車にまたがり走りだします。

 

 中央自動車道にぶつかったところで左折、梶原八幡神社を目指しましょう。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2009年11月8日(日)
天候 曇り
探訪ルート 船田石器時代遺跡 → 船田古墳 → 石平道人(鈴木正三)墓 → 出羽山 → 刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地 → 梶原館および梶原八幡

 

刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地
ふりがな とうしょうむさしたろうやすくにたんとうのち
住所 東京都八王子市元八王子町

史跡指定 八王子市指定史跡?
現況 標柱のみ

 

突然立派な標柱が

 

 何気なく路地を走っていると、急に目の前に巨大な石碑が現れました。

 

 「市史跡刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地」と彫ってあります。

 

市史跡刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地

写真1 市史跡刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地

 

 なんだろう、良く分からないな。

 

 武蔵太郎安國ってきっと有名な人なんだろう。

 

 『武蔵野歴史地理』によると、この辺りは俗に鍛冶屋村と呼ばれ、恩方下原の刀鍛冶・山本周重(戦国時代後半の人物)の子孫・広重が寛永の頃にこの地に居住していました。

 

 広重には半十郎と金左衛門という子がおり、彼らは水戸光圀のために槍を鋳て、その後兄半十郎は相模守宗国、弟金左衛門は武蔵太郎安国と名乗ります。

 

 安国の子孫武蔵太郎某は、8代将軍吉宗に召され、江戸村浜御殿で刀を鍛えました。

 

 なお、2015年7月20日現在、八王子市のホームページを見てみると、市指定史跡の一覧の中に「刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地」はありません。

 

 「武蔵太郎安國墓」はありますが、これはどういうことでしょうか。

 

 もしかして市史跡から都史跡に変わったのかな?と思いましたが、都史跡にもありません。

 

 この件についてご存じの方がいましたらぜひご連絡ください。

 

 100円自販機があったので水分補給を済ませると、本来の目的地である梶原八幡を目指します。

 

 

 

つづきの記事はこちら

 

 

【参考資料】

  • 『武蔵野歴史地理 第五冊』 高橋源一郎/著 有峰書店 1972年(原著は昭和3年<1928>)
スポンサードリンク



 

ご意見・ご感想は、稲用章

inayouアットマークa.email.ne.jp

までお願いします。

 




関連ページ

<八王子の歴史概説>
東京都八王子市は戦国期には府中市に代わり多摩地域の中心地となりました。
城跡を始めとして史跡が豊富にある八王子市の歴史スポットを踏査して報告します。
椚田遺跡
椚田遺跡は国史跡に指定され、現在の椚田遺跡公園の地下には遺跡が保存されています。
公園には3軒の竪穴式住居跡が特殊コーティングを施されて残されており、往時の住居の様子を目視で観察できます。
船田石器時代遺跡
縄文時代の敷石住居跡がまだ珍しかった戦前に国史跡に指定されました。
戦後になってからは船田遺跡の一部となり、周辺には縄文時代から平安時代までの古代全般に渡る複合遺跡が展開しています。
北野天満および北野石器時代住居跡
船田古墳
八王子市内には多くの古墳がありますが、船田古墳は現在の長房町付近を支配した有力者の墓です。
市内でも珍しい、河原石を用いた片袖の胴張り石室を持っていた古墳としても注目されます。
八幡八雲神社
古代末期の武士登場とともに発生した武蔵七党の一つに横山党があります。
現在の市内元横山町2丁目の八幡八雲神社がその根拠地であったと伝えられていますが、果たしてそれは真実でしょうか。
横山党根拠地および横山神社
古代末期の武士登場とともに発生した武蔵七党の一つに横山党があります。
現在の市内元横山町2丁目の八幡八雲神社がその根拠地であったと伝えられていますが、果たしてそれは真実でしょうか。
浅川熊野社
鎌倉景政館および御霊神社
北条氏照の重臣・近藤出羽守はなぜ鎌倉景政を祀る御霊神社をこの地に勧請したのでしょうか。
御霊神社の勧請は外来者であった出羽守が在地の有力者を懐柔するために必要な施策だったのかもしれません。
梶原館および梶原八幡
初沢城および高尾天神社
浄福寺城
八王子市内にはたくさんの城跡があります。そのうちの下恩方にある浄福寺城跡を探訪した時のルポルタージュを公開します。
滝山城
片倉城
子安台遺跡
出羽山
現在の出羽山公園では中世の居館跡が見つかっています。
伝承では北条氏照の右腕・近藤出羽守の居館とされていますが、それは果たして正しいでしょうか。
近藤出羽守屋敷および浄泉寺
近藤出羽守が開基したと伝わる浄泉寺には土塁の跡のようなものが残り、出羽守の屋敷があったと伝わっています。
果たしてその伝承は真実を伝えたものでしょうか。
廿里砦および廿里古戦場
金比羅砦および浅川金刀比羅宮
八王子城
八王子城跡ガイダンス施設
宗関寺
北条氏照墓
左入城
大久保長安陣屋
近世八王子の町づくりを推し進めた代官大久保長安の陣屋跡です。
長安は一般的にああまり良いイメージを持たれていないようですが、八王子市民にとっては町の発展の礎を築いた恩人なのです。
小野路道
旧鎌倉街道
旧甲州街道
新町竹の鼻一里塚跡
市守神社
石平道人(鈴木正三)墓
石平道人は俗名を鈴木正三と言い元々は勇猛な武将でしたが42歳で遁世、禅僧として第二の人生を歩みます。
ところが、経済に関しても進歩的な発想の持ち主で、近年ではそれを再評価する動きが見られているようです。
信松院および松姫尼公墓
來光寺跡
廣園寺
大巻観音堂
梅元庵神社
大義寺
妙薬寺
大谷弁財天
田町遊郭跡
八王子市郷土資料館
帝京大学総合博物館