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八幡八雲神社

最終更新日:2015年10月23日

 

前回の八王子探訪はこちら

 

 昨日の夜も寝るときに、「明日は北大谷古墳へ行こう」と思っていましたが、やっぱり起きれず、昼になってしまいました。

 

 でも八王子のりそな銀行に用事があるから、町には行かなきゃなりません。

 

 メンドくさい。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2009年11月10日(火)
天候 曇り
探訪ルート 八幡八雲神社 → 横山党根拠地および横山神社 → 大久保石見守長安陣屋跡 → 信松院および松姫尼公墓 → 八王子市郷土資料館

 

横山党根拠地
ふりがな よこやまとうこんきょち
別名 横山党館
住所 東京都八王子市元横山町2丁目

史跡指定 東京都指定旧跡
現況 八幡八雲神社

 

あり得ない史跡?

 

 昼飯を食べて、支度をして家を出ます。

 

 念のためカメラは持っていくことにします。

 

 最近歩いていないので、脚がヨボつく。

 

 さて、とりあえず銀行で用を足します。

 

 用が終わったら、もう13時45分です。

 

 今から古墳まで歩くのは嫌だな・・・

 

 今日は帰ろうかな・・・

 

 あ、でも折角八王子に来たわけだし、銀行の裏の八幡八雲神社に行ってみるか。

 

 ちょろちょろっと歩いて、八幡八雲神社にはすぐに到着しました。

 

八幡八雲神社

写真1 八幡八雲神社

 

 境内を歩き、由緒書きを探します。

 

 お、ありましたな。

 

 ここは「八幡神社」と「八雲神社」という二つの神社があって、それぞれ由来が書いてあります。

 

 それによると、八幡神社は延長2年(924)、武蔵守隆泰が国司のとき、この地に石清水八幡を祀ったといいます。

 

 『新編武蔵風土記稿』所収の横山党略系図によると、小野篁の8代孫に従四位武蔵守隆義という人物がいて、彼は後述の横山神社の祭神である小野義孝の父です。

 

 この隆義は、説明板がいうところの隆泰のことでしょう。

 

 一方、八雲神社というのはあまり聞かない神社ですが、延喜16年(916)、大伴妙行が深沢山(のちの八王子城)の頂上に奉斉して、天正年間(1573〜92)に北条氏照が八王子城を築城してから氏神としたといいます。

 

 そして八王子城が落城した際、城兵が御神体をもって川口村黒沢に隠れ密かに崇敬していたといいます。

 

 その御神体はのちに洪水で流されたのですが、農民がそれを拾い、八幡神社と棟を並べて祀ったというのが、当八雲神社の由緒です。

 

八幡八雲神社社殿

写真2 八幡八雲神社社殿

 

 『新編武蔵風土記稿』には、八雲神社は八幡神社の相殿として記され、江戸時代にはこの地である元横山村に加え、八王子十五宿の新町・横山宿・馬乗宿・八日市宿・寺町・横町・本宿の鎮守でもありました。

 

 境内には横山党の祖小野義孝を祀った神社もあり、次はこの横山党について考えてみます。

 

 

つづきの記事はこちら

 

【参考資料】

 

以下、管理人用メモ

 

八幡八雲神社

 

 石清水八幡は、859年(貞観元年)に宇佐神宮を勧請。鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に、石清水八幡を勧請したものなので、延長2年(924)というとそれより早い。羽曳野市の壺井八幡宮は、鶴岡八幡宮の翌年。

 

八雲神社

 

 「やぐも」じゃなくて「やくも」。八雲神社の祭神はスサノオですが、スサノオはご存知の通り、ヤマタノオロチを退治した島根県人で、神様を実在の人物とみなす人たちもいて、その中にはスサノオは朝鮮半島からやってきた人物だと見ている人もいます。八坂神社や祇園社とともに祇園信仰と呼ばれています。牛頭天王はもともとはインドの神様で祇園精舎の守護人。仏教が盛んになってくると、日本古来の神様は仏様と対応させるようになり(キャラクター設定)、スサノオの本地仏(正体)は牛頭天王とされました。歴史的にはこのように仏教の壮大なストーリー作りのなかに取りこまれているわけですが、916年に後の八王子城である深沢山に祀られたというのは、その頃は山岳宗教、修験道が関東でも盛んに行われていたので特段疑う必要はありません。八王子という名前も、牛頭天王の8人の王子たちという意味なんです。

 

 第一回で津久井城に行きましたが、そのときに言い忘れたこととして、津久井城の本丸からは1枚だけですが瓦が見つかっています。ということは、津久井城の城山には古代寺院があった可能性があります。瓦ぶきの立派な建物がそこらへんの山々に普通に有ったとは思いませんが、深沢山を修験者がフィールドにしていたのは信じて良いと思います。

 

 

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