◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

八王子発展の礎を築いた代官頭大久保長安の役場・大久保石見守長安陣屋跡

最終更新日:2015年10月24日

 

前回の記事はこちら

 

 横山党根拠地と伝わる八幡八雲神社を参拝すると、だんだん気分が乗ってきました。

 

 なので、もう少し市街地を歩いてみます。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2009年11月10日(火)
天候 曇り
探訪ルート 八幡八雲神社 → 横山党根拠地および横山神社 → 大久保石見守長安陣屋跡 → 信松院および松姫尼公墓 → 八王子市郷土資料館

 

大久保石見守長安陣屋跡
ふりがな おおくぼいわみのかみながやすじんやあと
別名 石見屋敷
住所 東京都八王子市小門町

史跡指定 八王子市指定史跡
現況 産千代稲荷神社

 

小さな社殿に往時を偲ぶ

 

 八幡八雲神社がある場所は江戸期には元横山村と呼ばれた場所で、南側にある国道20号線沿いには八王子十五宿の一つ、横山宿が広がっていました。

 

 そこを西に進むと、八日市宿、八幡宿と続き、八幡宿の南には小門宿があり、その中に代官頭大久保長安の陣屋がありました。

 

 市街地のとくに特徴が無い交差点から遠くを眺めると神社らしきものが見えます。

 

 あそこでしょう。

 

産千代稲荷神社

写真1 産千代稲荷神社

 

 産千代稲荷神社です。

 

 神社の入り口の脇にはでかい石柱が立っています。

 

標柱

写真2 標柱

 

 長安の陣屋はこの神社の周辺にありました。

 

 境内はそれほど広くありません。

 

社殿

写真3 社殿

 

 『新編武蔵風土記稿』によると、陣屋には北・南・西の三方に土手があり、同書が編さんされる直前に三方の土手はすべて切り崩され、わずかに社殿のところに2間四方だけ残っていたようです。

 

 ただ、神社の部分は盛り土をして作ったようで、周囲より僅かながら高くなっているのが認められます。

 

 次は郷土資料館に行きたいですが、その前に信松院に寄ってみることにします。

 

【参考資料】

 

 

 

スポンサードリンク



 

ご意見・ご感想は、稲用章

inayouアットマークa.email.ne.jp

までお願いします。

 




関連ページ

<八王子の歴史概説>
東京都八王子市は戦国期には府中市に代わり多摩地域の中心地となりました。
城跡を始めとして史跡が豊富にある八王子市の歴史スポットを踏査して報告します。
椚田遺跡
椚田遺跡は国史跡に指定され、現在の椚田遺跡公園の地下には遺跡が保存されています。
公園には3軒の竪穴式住居跡が特殊コーティングを施されて残されており、往時の住居の様子を目視で観察できます。
船田石器時代遺跡
縄文時代の敷石住居跡がまだ珍しかった戦前に国史跡に指定されました。
戦後になってからは船田遺跡の一部となり、周辺には縄文時代から平安時代までの古代全般に渡る複合遺跡が展開しています。
北野天満および北野石器時代住居跡
船田古墳
八王子市内には多くの古墳がありますが、船田古墳は現在の長房町付近を支配した有力者の墓です。
市内でも珍しい、河原石を用いた片袖の胴張り石室を持っていた古墳としても注目されます。
八幡八雲神社
古代末期の武士登場とともに発生した武蔵七党の一つに横山党があります。
現在の市内元横山町2丁目の八幡八雲神社がその根拠地であったと伝えられていますが、果たしてそれは真実でしょうか。
横山党根拠地および横山神社
古代末期の武士登場とともに発生した武蔵七党の一つに横山党があります。
現在の市内元横山町2丁目の八幡八雲神社がその根拠地であったと伝えられていますが、果たしてそれは真実でしょうか。
浅川熊野社
鎌倉景政館および御霊神社
北条氏照の重臣・近藤出羽守はなぜ鎌倉景政を祀る御霊神社をこの地に勧請したのでしょうか。
御霊神社の勧請は外来者であった出羽守が在地の有力者を懐柔するために必要な施策だったのかもしれません。
梶原館および梶原八幡
初沢城および高尾天神社
浄福寺城
八王子市内にはたくさんの城跡があります。そのうちの下恩方にある浄福寺城跡を探訪した時のルポルタージュを公開します。
滝山城
片倉城
子安台遺跡
出羽山
現在の出羽山公園では中世の居館跡が見つかっています。
伝承では北条氏照の右腕・近藤出羽守の居館とされていますが、それは果たして正しいでしょうか。
近藤出羽守屋敷および浄泉寺
近藤出羽守が開基したと伝わる浄泉寺には土塁の跡のようなものが残り、出羽守の屋敷があったと伝わっています。
果たしてその伝承は真実を伝えたものでしょうか。
廿里砦および廿里古戦場
金比羅砦および浅川金刀比羅宮
八王子城
八王子城跡ガイダンス施設
宗関寺
北条氏照墓
左入城
小野路道
旧鎌倉街道
旧甲州街道
新町竹の鼻一里塚跡
市守神社
石平道人(鈴木正三)墓
石平道人は俗名を鈴木正三と言い元々は勇猛な武将でしたが42歳で遁世、禅僧として第二の人生を歩みます。
ところが、経済に関しても進歩的な発想の持ち主で、近年ではそれを再評価する動きが見られているようです。
信松院および松姫尼公墓
刀匠武蔵太郎安國鍛刀之地
來光寺跡
廣園寺
大巻観音堂
梅元庵神社
大義寺
妙薬寺
大谷弁財天
田町遊郭跡
八王子市郷土資料館
帝京大学総合博物館