◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

管理人用のメモです!

 

原始時代

 

『八王子市史 資料編1 原始・古代』を元にまとめる。

 

弥生前期(紀元前4〜紀元前1世紀)の遺跡はみつかっていない。
中期(紀元前1世紀〜後1世紀)においても再葬墓遺跡などが僅かにあるだけ。
後期(2〜3世紀)の終末期から古墳時代前期初めにかけて連続的に営まれる集落遺跡が急増する。

 

谷地川・多摩川流域
縄文時代後・晩期は遺跡が少なく、弥生時代にかけてほとんどない。弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけて高台に集落が形成される。環濠は持たない。相模湾系・東海系の要素を持つ土器を製作・使用していることからその方面からの移住者。
 ・宇津木向原遺跡 方形周溝墓あり
 ・石川天野遺跡 方形周溝墓あり
 ・鞍骨山遺跡
 ・尾崎遺跡
 ・富士見町遺跡 方形周溝墓あり
古墳時代後期にも集落が形成される。

 

浅川・川口川流域
川口川の両岸には水田可耕地があるため弥生時代以降集落が広範に展開。
浅川上流は縄文中期から後期にかけて甲信地域との交流を示す土器が出土。
川口川下流域は八王子盆地内で最大の弥生時代集落の密集地域。
船田遺跡では方形周溝墓、中郷遺跡では小銅鐸が見つかっている。
弥生時代後期から古墳時代初頭は、中野甲の原遺跡が川口川流域の中心的な集落となるようで、倉庫と思われる掘立柱建物跡も見つかっている。
古墳時代後期の6世紀になると、中田遺跡・西中野遺跡・中野甲の原遺跡などに大型集落が展開。80平米を越える超大型住居。古墳もある。7世紀まで継続。
船田遺跡・中郷遺跡では古墳時代後期の一大拠点集落が営まれる。ただし奈良時代には数棟となる。9世紀から10世紀にはまた盛り返すが散居状態。

 

湯殿川・山田川流域
館町遺跡群に縄文前期の集落。郷田原遺跡からは長径24mのわらじ形大型住居跡が2棟見つかっており特異。
中期に盛行。
弥生終末期〜古墳時代前期にかけて、神谷原遺跡では総計163棟の住居、方形・円形周溝墓、墳丘墓34基。515遺跡からは小型の銅鏡。
9世紀に再び活性化。谷戸開発。70箇所余りの須恵器生産窯が操業。
時田遺跡では9世紀中葉の掘立柱建物2棟。豊富な鉄器が出土し、鉄製焼印がある。馬の飼育管理か?

 

大栗川流域
旧石器時代の遺跡が豊富。
八王子盆地と違い、縄文時代草創期の遺跡も多い。
中期は盛行するが、後期・晩期、弥生時代は低調。
下流の多摩市落川遺跡が活発化する6世紀になっても目立った集落は現れない。
平安時代に入り大規模な集落が作られる。107遺跡には役所的な機関があった可能性がある。
11世紀にはいると、八王子盆地内からは集落が消えるが、大栗川流域では活発な集落形成が続く。製鉄・木製品・小鍛冶などの手工業生産が活発。
11世紀後半には、他の地域と同様、忽然と集落が消える。

 

関東甲信越地方は、縄文時代の場合、中期の遺跡が突出して多いので、中期が縄文集落の最盛期と評価する研究者が多い。
八王子市内では弥生時代の水田跡は発見されておらず、石川天野遺跡で木製農具が見つかっているのみ。
縄文時代晩期末から弥生時代前期では住居跡は発見されていないが、その時代の再葬墓は少数見つかっている。墓が見つかっているのにもかかわらず住居跡が見つからないという問題は、南関東全般に認められる。
弥生時代中期の住居跡は僅かに2棟(紀元前1世紀頃)。
後期後半(1〜2世紀)から住居跡の数が爆発的に増加する。

 

古代末期

 

中央の小野隆泰(隆義)が武蔵守として武蔵に赴任(延長2年(924)頃)。隆義の子義孝(これも生まれは中央)が小野牧別当として赴任。別当が在地のものが任命されるか中央から赴任するかは分からないが、地位の重要性から後者か。だとすると、小野義孝は偶然にも小野郷に赴任したことになる。
小野義孝は在地の人物である可能性もあるが、各系図に篁の子孫に隆泰(孝泰)がいるので、おそらく中央の出身。

 

小野隆泰は各系図に出てくるから実在の人物の可能性が高い。924年に武蔵守なら、高向利春の後任だが、史料で裏付けられない。

 

延喜5年(905)、秩父牧の「牧司利春」
延喜17年(917)、小野牧初出。人名は出てこない。
延喜18年(918)、高向(たかむこ)利春が武蔵守に就任。秩父牧の「牧司利春」と同一人物か。高向氏は渡来系氏族で小野妹子の随員。
承平元年(931)、小野牧が勅旨牧となり、小野諸興が別当となる。
天慶2年(939)、諸興は押領使に任じられ、将門討伐に関連。

 

諸永が駒牽を欠席しているのはなぜか?

 

小野神社は、秩父神社の祭神・八意思兼命の御子である天下春命を祀っている。

 

武蔵守の利春は、中央の小野氏。諸興は押領使に任じられていることから、小野郷の有力者。通常、苗字よりも地名が先だが、この場合は、利春が武蔵守として赴任した時に、小野郷の場所で利春は在地の有力者の婿となり、小野郷が発生し、利春が現地で生んだ子か、もしくは元々在地の有力者で小野氏に加わった諸興が押領使になった。そうすると、隆泰−義孝の系譜はどうなるか?

 

弘仁3年(812)、信濃国牧主は、伊那郡大領で、外従五位下なので、在地の有力者。

 

横山という地名はいつからあって、どこを指すのか?他に古い地名としては、河口、由井(由比野・由井野)
霊亀元年(715) 国郡里制
養老元年(717) 郷に改称
延喜9年(909)の時点で、すでに「由比」の御馬を取っている。伝承に由井別当宗弘。明治22年(1889)、片倉村・打越村・西長沼村・北野村・宇津貫村・小比企村が神奈川県南多摩郡由井村を設立しており、由比野の伝承地からかなり離れている。江戸時代の使用方法からしても広域地名。
新編武蔵風土記稿では、府中市是政の鹿島神社の御神体を掲載。「為諸願成就、弘仁7年(816)11月25日、西刑部宗弘敬白」と文字が刻ってある古い円銅鏡(直径約35p)が、御神体となっているそうです。(日野史跡・歴史データベース)
和名類聚抄(承平年間<931〜938>)、勤子内親王の求めに応じて源順が編纂。これに川口郷。上から付けた機械的な名前だろう。
前九年の役の横山氏
『新八・資2』P.72 天永4年(1113) 横山党の反乱 横山党の信頼のおける初見史料
仁平4(1154)、武蔵国西郡船木田。八王子地方は荘園になったのはなぜか?在地の武士が寄進したとすると、それはやはり横山氏。
久寿3年(1156)、横山悪二 保元の乱で義朝に従う。
保元の乱 1156年 横山悪次、悪五 八王子市史P.282
鎌倉幕府に御家人として参加している横山氏は一体何ものか。なぜ和田氏と仲良くなったのか?時広−時兼が御家人で活躍。
『源平盛衰記』『源平斗諍録』横山党荻野五郎季時 頼朝に逆らい処刑 八P.292
横山太郎時兼
横山野太夫経兼 首懸けの儀
野三刑部丞成綱 実朝誕生時、御護刀献上

重忠は愛甲三郎季隆の矢に当たって死ぬ

 

義隆 ― 資隆 ― 経兼 ― 隆兼 ―+―時広 ―+― 時兼
           貞任首懸け    |     |  1153〜1213
                   | 椚田  |
                   +―重兼  |  
                   |     |
                   +―女   +― 女
                     |      |
                     |      |
                     和田     |
                     義盛 ――― 常盛
                            1172〜1213

くぬきたの太郎 P.303
1214年(建保 2年)、大江広元は横山党の始祖横山義孝を祀った横山神社を八幡八雲神社の境内に創建した。

 

 

『新八・資2』P.80 和田義盛の妻は小野氏。時重の娘。
『新八・資2』P.99 建暦3年(1213) 横山庄。
古甲州道 滝山城機能時 この頃すでに横山村はあったので、横山村と滝山城下の横山宿は同時期に存在したことになる。
『新八・資2』P.159、貞治2年(1363) 船木田庄の一覧 豊田村 梅坪村 南河口郷 北河口郷 長房郷 由比野村 谷慈郷 平山郷 中野郷 大谷村 青木村(宇津木) 下堀村 横河郷 大塚郷
『新八・資2』P.235、文亀4年(1504)、「よこ山」。案内まで横山の範囲。
『新八・資2』P.249に、「横山村大義寺」。享禄3年(1530)。
滝山城の城下町形成時期は、永禄10年(1567)頃か?
『新八・資2』P.245。永正13(1516)、滝山大石隼人佑。→1576年ではないか?黒田大石P.22によると、父と思われる孫二郎は所領関係からは遠江家の一族で、綱周と同世代、官途からすると石見守家(二宮道伯の家系)。元々は遠江家の一族で、遠江家が没落した跡、本家である石見守家に属したのか?

 

中世

 

横山宿は、八王子十五宿ができる前は横山村。横山村は広大で、およそ中央線の北側は横山村、南側は子安村だった。横山村は十五宿で分断され、宿の北側は元横山村、南側は新横山村となった(当初は御所水村まで含み宝永4年に分立)。福傳寺は天文22年頃。
龍華山大元寺(大義寺)の開山は延元元年(1336)。龍光寺は室町時代中期以降。扇谷上杉氏の河越城は1457年なので古川越道はそれ以降か。
浄土宗興林寺は鎌倉期。

 

1510年、宗瑞が椚田攻撃。自落、城主は由井に移動。城主は大石源左衛門(道俊)か?
大永5年(1525)、大石道俊、憲重父子が浄福寺を再興。
天文22年(1553)11月、子安明神に懸仏を奉納。

 


聖顕 ――――――― 道守 ――――――― 憲儀 ――+― 源左衛門尉
遠江入道       遠江太郎       結城合戦 |  針谷原合戦で戦死
憲方の元で武蔵守護代 憲方の元で武蔵守護代 源左衛門尉|  房重か
           禅秀の乱       分倍で戦死|
           源左衛門尉           +― 定重
           遠江入道               信濃守
           憲実の元で伊豆守護代         顕定の元で武蔵守護代
           再び武蔵守護代            柏の城に居城

 

定重 ―+― 道俊 ======== 憲重
    |  源左衛門        源三
    |  心(真)月斎      綱周
    |  顕重か         源左衛門尉
    |  椚田城から由井城に転居
    |
    +― 遠江守
    |
    +― 信濃守 ――――――― 信濃守 === 照基
                   定基

 

滝の城、高月城は、山内上杉氏の対扇谷の最前線に当たるので、長享の乱の際に築城か?P.37
小宮氏、山口氏は扇谷。
椚田城が長享の乱での係争地となっている。
『武蔵大石氏』
1.源左衛門尉・遠江守・・・遠江守家
2.隼人佑・石見守・・・石見守家
3.源三郎・駿河守・・・駿河守家

 

1.源左衛門尉・遠江守・・・遠江守家
聖顕
 遠江入道 山内上杉憲方のもとで武蔵守護代
道守
 聖顕の嫡子と推定。遠江太郎の後身。憲方のもとで武蔵守護代。鎌倉大草紙に禅秀の乱の際に大石源左衛門。道守は法名。憲実のもとで伊豆守護代。再び武蔵守護代。
憲儀
 道守の嫡子と推定。享徳4年(1455)の分倍河原合戦で討死。駿河守家の重仲も討死。
源左衛門尉
 憲儀の嫡子と推定。文明9年(1477)の武蔵針谷原合戦で討死。実名は房重か。
定重
 憲儀の庶子、源左衛門尉の弟と推定。信濃守。山内顕定のもとで武蔵守護代。柏の城が本拠地の可能性が高い。高月城や滝山城ではない。P.35
道俊
 定重の嫡子と推定。道俊は法名。心月斎。真月斎。顕重か。養女(弟信濃守の子)は太田資正の後妻で梶原政景の母。由井城を本拠地にする。P.36 小宮氏没落後の旧領を取得。P.44 本郷城(滝の城)に居城?『新八・資2』P.230
憲重 綱周
 道俊の嫡子。

 

2.隼人佑・石見守・・・石見守家
能重
 能憲のもとで武蔵守護代。憲方のもとで伊豆守護代、上野守護代。
道伯
 能重の嫡子と推定。隼人佑。憲定のもとで足利荘代官。二宮道伯。
憲重
 道伯の嫡子と推定。隼人佑。石見守。憲実のもとで葛西御厨代官。武蔵守護代。清方のもとで上野守護代。
石見守
 憲重の嫡子。結城合戦の石見四郎の後身。景春の乱で、景春に味方し、葛西城に拠った。
石見守
 大永5年(1525)に葛西城主。
石見守
 岩付太田氏の家中衆の一員。妻は太田資頼の娘。葛西城落城後は岩付太田氏を頼っていたととらえられる。

 

3.源三郎・駿河守・・・駿河守家
重仲
 憲忠のもとで足利荘代官。分倍河原合戦の負傷で死亡か。
憲仲
 重仲の嫡子。景春の乱で、景春方として二宮城に在城した駿河守。景春の乱のあと山内氏に帰参するが、二宮は小宮氏に領有される。本拠からの没落。P.34
高仲 大学助
 憲仲の嫡子。
高仲 左馬助
小宮氏が扇谷から山内に転じたのは明応3年(1494)の定正の戦死からしばらくのうちのことであった可能性が高い。P.37
大石氏は長井氏攻略の役割を担い、それにともなって多西郡に入部した可能性がある。P.37
小宮氏は天文5年(1536)まで顕宗・綱明父子の存在が確認され、天文13年(1544)の康明は小宮氏と推定。その後は多西郡で見られない。岩付太田氏の家中に見える。北条から離反し岩付太田氏に付いた。P.43
→しかし、『五日市町史』によると、その後もあきる野市で小宮氏の活動が知られる。P.183

 

正長2年(1429)、道伯死去。二宮は道伯から駿河守家の重仲に相伝された模様。重仲の子憲仲は景春方として二宮城に在城。しかし乱後(1486以後)、二宮は小宮氏のものとなる。

 

 

 

 

古八王子道(大義寺南側) 八王子城機能時 元八王子方面に行く道として命名されている
小野路道 大義寺南西の角で古川越道と接続するが少し鍵の手になる 興林寺南側あるいは北側 現在の野猿街道と同じようなライン
中央線南側の長安以前の甲州道とは何か?
長安以降の道 国道20号線

 

 

江戸時代後期から現在までの変遷

 

新編武蔵風土記稿記載
(1830)
明治22年
(1889)
4月1日
(市制町村制施行)
以前
明治22年
4月1日
(市制町村制施行)
大正6年
(1917)
9月1日
昭和2年
(1927)
11月3日
昭和9年
(1934)
10月1日
昭和16年
(1941)
10月1日
昭和30年
(1955)
4月1日
昭和34年
(1959)
4月1日
昭和39年
(1964)
8月1日
新町
※十五宿
八王子新町 八王子町 八王子市(市制施行)
都内では東京市につぎ2番目
八王子市(編入) 八王子市(編入) 八王子市(編入) 八王子市(編入)
横山宿
※十五宿
八王子横山町
本宿
※十五宿
八王子本町
八日市宿
※十五宿
八王子八日市町
寺町
※十五宿
八王子寺町
八幡宿
※十五宿
八王子八幡町
八木宿
※十五宿
八王子八木町
横町
※十五宿
八王子大横町
本郷宿
※十五宿
八王子本郷町
久保宿
※十五宿
八王子久島町
島之坊宿
※十五宿
小門宿
※十五宿
八王子小門町
上野原宿
※十五宿
八王子上野町
馬乗宿
※十五宿
八王子馬乗町
子安宿
※十五宿
八王子子安町
八王子千人町 八王子千人町
元横山村 八王子元横山町
新横山村 八王子新横山町
子安村 八王子元子安町
御所水村
本郷村 八王子元本郷町
本郷新田
上大和田村 大和田村 小宮村 小宮町
(町制施行)
下大和田村
大谷村 北大谷村
宇津木村 宇津木村
石川村 石川村
粟之洲村 粟須村
平村 北平村
中野村 西中野村
片倉村 片倉村 由井村
打越村 打越村
長沼村 西長沼村
北野村 北野村
宇津貫村 宇津貫村
小比企村 小比企村
散田村 散田村 横山村
山田村
下椚田村 下椚田村
館村 館村
寺田村 寺田村
大船村 大船村
下長房村 下長房村
大楽寺村 大楽寺村 元八王子村
上一分方村 上一分方村
横川村 横川村
川村 川村
元八王子村 元八王子村
二分方村 二分方村
下一分方村 下一分方村
下恩方村 下恩方村 恩方村
上恩方村 上恩方村
寺方村 西寺方村
小津村 小津村
川口村 下川口村 川口村
上川口村
山入村 山入村
犬目村 犬目村
楢原村 楢原村
留所村 留所村 加住村
大沢村 北大沢村
本丹木村 本丹木村
中丹木村 中丹木村
八日市村 八日市村
横山村 横山村
梅坪村 梅坪村
瀧山村 滝山村
左入村 左入村
谷野村 谷野村
宮下村 宮下村
戸吹村 戸吹村
高月村 高月村
上長房村 上長房村 浅川村 浅川町(町制施行)
上椚田村(案内) 上椚田村
上椚田村(河原ノ宿)
上椚田村(原宿)
下柚木村 下柚木村 由木村
大沢村 南大沢村
松木村 松木村
上柚木村 上柚木村
中山村 中山村
越野村 越野村
堀ノ内村 堀ノ内村
別所村 別所村
中野村 東中野村
大塚村 大塚村
鑓水村 鑓水村
新編武蔵風土記稿記載
(1830)
明治22年
(1889)
4月1日
(市制町村制施行)
以前
明治22年
4月1日
(市制町村制施行)
大正6年
(1917)
9月1日
昭和2年
(1927)
11月3日
昭和9年
(1934)
10月1日
昭和16年
(1941)
10月1日
昭和30年
(1955)
4月1日
昭和34年
(1959)
4月1日
昭和39年
(1964)
8月1日

 

※平成27(2015)4月1日に都内初の中核市になりました

 

市内の史跡・文化財

 

国指定

 

船田石器時代遺跡
小仏関跡
滝山城跡
八王子城跡
椚田遺跡

 

都指定

 

史跡

 

廣園寺境域
片倉城跡

 

旧跡

 

長田作左衛門墓(おさださくざえもんはか)
玉田院墓(ぎょくでんいんはか)
塩野適斎墓
植田孟縉墓(うえだもうしんはか)
初沢城跡
北条氏照及び家臣墓
松原庵星布墓(まつばらあんせいふはか)
横山氏墓
原胤敦墓(はらたねあつはか)
北大谷古墳
横山党根拠地
松本斗機蔵墓

 

市指定

 

史跡

 

北野石器時代住居跡
石見土手(いわみどて)
松姫尼公墓
石平道人(せきへいどうじん)墓
武蔵太郎安國墓
市守神社(いちもりじんじゃ)
口留番所跡(くちどめばんしょあと)
石坂弥次右衛門墓(いしざかやじえもんはか)
新町竹の鼻一里塚跡
大久保石見守長安陣屋跡(おおくぼいわみのかみながやすじんやあと)
小谷田子寅(こやたしいん)の碑
下原刀(したはらとう)鍛冶発祥の地
下原刀匠康重鍛刀(したはらとうしょうやすしげたんとう)の地
下原刀匠照重鍛刀(したはらとうしょうてるしげたんとう)の地
大石氏居館跡
中田遺跡

浄福寺城跡(新城跡)
絹の道
高楽寺横穴石仏群
下原刀匠山本但馬国重鍛刀(したはらとうしょうやまもとたじまくにしげたんとう)の地

 

旧跡

 

長田作左衛門(おさださくざえもん)邸跡伝承地
廿里(とどり)古戦場
真覚寺蛙合戦の旧地

 

各施設紹介

 

市役所

 

住所 〒192-8501
八王子市元本郷町三丁目24番1号
代表電話番号 042-626-3111
アクセス JR中央線八王子・西八王子・高尾の各駅からバス、もしくは西八王子駅下車、徒歩約20分
URL http://www.city.hachioji.tokyo.jp/

 

図書館

 

八王子市内には5つの図書館がありますが、郷土資料を含め歴史関係の資料が多く集まっているのは中央図書館です。

 

住所 〒193-0835
八王子市千人町3-3-6
代表電話番号 042-664-4321
アクセス JR中央線西八王子駅下車、徒歩約5分
URL http://www.library.city.hachioji.tokyo.jp/index.php
水飲み場 1階子供用トイレの入口にある
コピー機 2階参考図書コーナーに3台あるので快適にコピーできる
コピーはセルフでモノクロ1枚10円
コピー後の職員によるチェックなし

 

歴史系の資料館・博物館

 

八王子市郷土資料館

 

住所 〒192-0902
東京都八王子市上野町33
代表電話番号 042-622-8939
アクセス JR中央線八王子駅下車バス、もしくは徒歩約15分
URL http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/kyodoshiryokan/index.html

 

絹の道資料館

 

史跡公園

 

中田遺跡公園

 

椚田遺跡公園

 

八王子城跡

 

八王子城跡ガイダンス施設

 

都立滝山公園・滝山城跡

 

小仏関跡

 

武蔵陵墓地

 

自治体史

 

  • 『八王子市史 上巻』
  • 『八王子市史 下巻』
  • 『八王子市史 附編』
  • 『新八王子市史 通史編1 原始・古代』
  • 『新八王子市史 資料編1 原始・古代』
  • 『新八王子市史 資料編2 中世』
  • 『新八王子市史 資料編3 近世1』
  • 『新八王子市史 資料編6 近現代2』
  • 『新八王子市史 自然編』

 

『新八王子市史』は以後も続刊予定。詳しくは、市史編さんのページをご覧ください。

 

八王子市史 上巻 八王子市史編纂委員会/編 八王子市役所 1963
八王子市史 下巻 八王子市史編さん委員会/編集 八王子市役所
八王子市史 附編 八王子市史編さん委員会/編集 八王子市役所 1980

 

新八王子市史 通史編 1 (原始・古代) 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2015.3 213.65
新八王子市史 資料編 1 (原始・古代) 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2013.3 213.65
新八王子市史 資料編 2 (中世) 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2014.3 213.65
新八王子市史 資料編 3 (近世 1) 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2013.3 213.65
新八王子市史 資料編 4 (近世 2) 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2015.3 213.65
新八王子市史 資料編 5 (近現代 1) 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2012.3 213.65
新八王子市史 資料編 6 (近現代 2) 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2014.3 213.65
新八王子市史 自然編 八王子市市史編集委員会 八王子市市史編集委員会 2014.3 213.65

 

八王子市史研究 創刊号 八王子市市史編集委員会/編 八王子市(総合政策部市史編さん室) 2011.3
八王子市史研究 第2号 八王子市市史編集委員会/編 八王子市(総合政策部市史編さん室) 2012.3
八王子市史研究 第3号 八王子市市史編集委員会/編 八王子市(総合政策部市史編さん室) 2013.3
八王子市史研究 第4号 八王子市市史編集委員会/編 八王子市(総合政策部市史編さん室) 2014.3
八王子市史研究 第5号 八王子市市史編集委員会/編 八王子市(市史編さん室) 2015.3

 

八王子市北部地域 加住の民俗 [新八王子市史民俗調査報告書 ] 八王子市市史編集専門部会民俗部会/編 八王子市総合政策部市史編さん室 2015.3
八王子市西南部地域 浅川の民俗 [新八王子市史民俗調査報告書 ] 八王子市市史編集専門部会民俗部会/編 八王子市総合政策部市史編さん室 2015.2
八王子市東部地域 由木の民俗 [新八王子市史民俗調査報告書 ] 八王子市市史編集専門部会民俗部会/編 八王子市総合政策部市史編さん室 2013.3
八王子市西部地域 恩方の民俗 [新八王子市史民俗調査報告書 ] 八王子市市史編集専門部会民俗部会/編 八王子市総合政策部市史編さん室 2012.3
聞き書き 織物の技と生業 [八王子市史叢書] 八王子市市史編集専門部会民俗部会 八王子市市史編さん室 2014.3
数字が語る八王子の現代 (新八王子市史近現代統計資料集) 八王子市市史編集専門部会近現代部会/編 八王子市市史編さん室 2015.3
検地帳集成 [八王子市史叢書] 八王子市市史編集専門部会近世部会 八王子市市史編さん室 2014.3
村明細帳集成 [八王子市史叢書] 八王子市市史編集専門部会近世部会 八王子市総合政策部市史編さん室 2012.1

 

八王子市史下巻稿本 第一集 (沿革編(1)) 八王子市史編集室/編 八王子市史編集室 1966
八王子市史下巻稿本 第二集 第四編 (宗教・民俗(2)附編(3)災異) 八王子市史編集室/編 八王子市役所 1966
八王子市史下巻稿本 第三集 第四編 (宗教・民俗(3)附編(4)文化財) 八王子市史編集室/編 八王子市史編集室 1966
八王子市史下巻稿本 第四集 第三編 (沿革(2)附編(1・2)) 八王子市史編集室/編 八王子市史編集室 1966
八王子市町村廃合表 八王子市史編集室/編 八王子 八王子市史編集室 1964

 

八王子市史稿本 第一集 (議決機関)
八王子市史稿本 第二集 (執行機関) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第三集 (財政) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第四集 (司法) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第五集 (公安) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第六集 (消防) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第七集 (序説および自然環境) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第八集 (民生) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第九集 (戸籍と人口) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第十集 (通信) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第十一集  (交通・運輸) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第十二集 (労働) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第十三集 (学校の沿革) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第十四集 (産業経済) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第十五集 (保険衛生) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第十六集 (教育) 八王子市 八王子市 1961

八王子市史稿本 第十七集 (仏教) 八王子市 八王子市 1961
八王子市史稿本 第十八集 (土木) 八王子市史編集室/編 八王子市役所 1961
八王子市史稿本 第二十集 (工業) 八王子市史編集室/編 八王子市役所 1961

 

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