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弥生時代の環濠集落跡がとくに貴重な旧石器時代から近代までの複合遺跡・根ノ上遺跡

最終更新日:2015年9月3日

 

前回の記事はこちら

 

 先ほど訪れた茂呂遺跡は電車の駅からすると辺鄙な場所にあって、茂呂遺跡を見た後、どの方向に向かって電車に乗って帰ろうか考えました。

 

 そうしたところ、どうせだったら駅に向かう途中に遺跡があるのが良いと思ったので、東京メトロの小竹向原駅から電車に乗って帰ることに決め、駅までの道筋にある根ノ上遺跡に寄ってみました。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2013年1月18日(金)
天候 晴れ
探訪ルート 氷川神社 → 板橋 → 縁切榎 → 志村城 → 赤塚城 → 板橋区立郷土資料館 → 栗原遺跡 → 茂呂遺跡 → 根ノ上遺跡

 

根ノ上遺跡概要
ふりがな ねのかみいせき
時代 旧石器・縄文・弥生・平安・近代(太平洋戦争)
現況 板橋区立小茂根図書館および公園(根ノ上遺跡緑地)
観察遺構 復元住居跡
住所 東京都板橋区小茂根1-6-2

史跡指定 板橋区指定記念物(史跡・遺跡)

 

小学生の襲撃により占拠された遺跡

 

 足の痛みが段々強くなってきました。

 

 太ももの裏側が痛いです。

 

 緩い坂道を登るのも結構きつい。

 

 寒風も吹きすさんでいます。

 

 住宅街をニョロニョロと20分ほど歩くと、小茂根図書館に着きました。

 

 この辺が根ノ上(ねのかみ)遺跡です。

 

根ノ上遺跡

写真1 根ノ上遺跡

 

 根ノ上遺跡も複合遺跡で、旧石器時代から太平洋戦争までの遺跡・遺物が発見されています。

 

 そのなかでも特筆できるのは、今から1700年前の弥生時代後期にあった環濠で囲まれたムラの跡です。

 

 しかし保存処置をされた遺跡は、子供たちの遊び場になっている!

 

保存処置をされた遺跡を占拠する小学生

写真2 保存処置をされた遺跡を占拠する小学生

 

 ロープで囲ってあって、しかも「入ってはいけません」と書いてあるのにも関わらず、中に入って遊んでいる。

 

 腕力を発揮してつまみだすことも可能ですが、もちろんそんなことはしません。

 

 「今日、図書館の庭に頭のおかしいおじさんが来たんだよ!」

 

 とか親に通報されても困りますからね。

 

 『板橋区史 資料編1 考古』によると、根ノ上遺跡の弥生時代の遺跡は、8つの住居跡と環濠です。

 

 ただ、住居跡は4号住居がやや大きめで一辺が5m台ですが、他の住居は一辺が2m台で、かなり小さな住居によって構成されています。

 

 関東地方南部でもっとも有名な遺跡の一つである横浜市都筑区の大塚遺跡の集落跡と比べると著しく規模の小さな住居の集まりになっていますが、単純に住居の大きさがムラの力の度合いを表しているのかはまだ分かりません。

 

 しかしそのなかで、見つかった住居跡の中では4号住居が一番大きく、遺物も他の住居跡と比べて豪華なので、4号住居の主はムラの中でも力を持った人物であったと考えられます。

 

 ちなみに、少し古い資料ですが、1993年に板橋区立郷土資料館が刊行した『板橋の遺跡』によると、板橋区内には環濠集落跡が6つの遺跡から発見されています。

 

 それらを列挙すると、

 

  • 四葉遺跡群
  • 徳丸石川遺跡
  • 五段田遺跡
  • 中台畠中遺跡
  • 志村城山遺跡
  • 根ノ上遺跡

 

 となり、根ノ上遺跡を除いてすべて荒川右岸の沖積地に臨んだ武蔵野台地の端にありますが、全時代を通じて一番遺跡が多く見つかっているのはその地域です。

 

 時刻は15時。

 

 本日の探訪はこれにて終了です。

 

 ところで、現在周辺は完全に市街地化されて往時の風景を想像するのは難しいですし、石神井川からも少し離れているので集落を作るのに適していないように見えますが、明治時代の地形図を見ると、往時の風景が少し蘇ってきます。

 

 地形的には、遺跡の南側は谷地になっており、東側は石神井川の支流が流れ(現在は道路)、北側は石神井川の低地で、つまり西から東に延びる舌状台地の先端南側に遺跡があることが分かります。

 

 茂呂遺跡から根ノ上遺跡に歩いてくるときに登ってきた坂道は、その舌状台地に登る坂だったんですね。

 

 『新編武蔵風土記稿』を読むと、根ノ上遺跡がある場所は江戸末期にも根ノ上という小字ですが、現在の小竹向原駅のある場所は小竹で、向原というのは小竹の東側の谷地を挟んだ対岸になっていますので、単に小竹駅で良かったと思いますが、おそらく向原住民に何らかの動きがあったのでしょうね。

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『新編武蔵風土記稿』「巻之十二 豊島郡之四 野方領 上板橋村」 昌平坂学問所/編 1830年
    ↑クリックすると国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページへリンクします
  • 『企画展 板橋の遺跡 近年発掘された板橋の遺跡とその成果』 板橋区立郷土資料館/編 1993年
  • 『板橋区史 資料編1 考古』 板橋区史編さん調査会/編 1995年
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