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武蔵国分尼寺跡

最終更新日:2015年5月15日

 

武蔵国分尼寺のルポルタージュは、管理人のブログ「日本史大戦略 Side-B」内で公開しています。

 

「日本史大戦略 Side-B」内「武蔵国分尼寺」のページ

 

写真1 京所道

 

写真1 京所道

 

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写真1 京所道

 

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写真1 京所道

 

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写真1 京所道

 

写真1 京所道

 

府中街道と武蔵野線の線路を挟んで西側には、国分尼寺跡があり、現在は国分寺市立歴史公園となっている。

 

国分尼寺跡

 

公園内には、金堂の基壇が復元されている。

 

基壇

 

金堂の大きさは推定で正面間口が20.76メートル、奥行きが12.56メートルである。

 

基壇の前には、幢竿(どうかん)という幟を懸け吊るした竿が復元されている。

 

幢竿

 

高さは6メートル以上ある。

 

さきほどの基壇の横には、地下に入り込めるようになっているところがあって、版築(土盛り)が見えるようもなっている。

 

版築

 

これは良いねえ。

 

この公園は住宅街にあって狭いスペース内に見どころを配した良い公園であると思う。

 

 

 

 

 参道跡

 

 

3.尼寺

 

 

 全国の国分寺はほぼずべて、僧寺と尼寺が隣接しています。ただし、こちらは女性の世界ですので、いくら近いと言っても僧寺のお坊さんがデートに誘うとかは無理です。でも法事などで顔を見る機会があったと思うので、密かに想いを寄せるとかそういうこともあったかもしれません。

 

 中国でも国分寺と同様なものがあったそうですが、中国では尼寺はありませんでした。尼寺とセットにしたのは、聖武天皇の奥さんが信心深く、皇后の意見も入っているからだと思います。尼寺の創建は僧寺とほぼ同時期です。

 

 廃絶は僧寺よりも早く11世紀の初めには廃れたようで、寺の跡地に民家が建ち始めます。

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