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港区赤坂にあったという幻の城・今井城

最終更新日:2016年12月21日

 

今井城概要

 

ふりがな いまいじょう
別名  
住所 東京都港区赤坂5丁目

史跡指定 なし
現況 市街地
規模(東西×南北) 不明
比高 不明
目で見られる遺構 なし
復元 なし
存続時期 不明
城主・城代・関係者 今井四郎兼平(伝承)
城攻めの記録 なし
大手方向 不明
仮想敵方向 不明
関連施設
その他

 

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第2回 探訪記録

 

探訪年月日 2011年9月22日(木)
天候 曇り
探訪ルート 東京都千代田区立四番町図書館 → 平河天満宮 → 山王日枝神社 → 今井城 → 赤坂氷川神社 → 久國神社
同道者 なし

 

起伏のある地形だけが往時を想起せしめる

 

 山王日枝神社を出た後は、赤坂のTBSを目指します。

 

 なぜTBSなんかに行くのか?

 

 TBSは史跡なのか?

 

 と思う方もいらっしゃると思いますが、現在TBSがある場所は、中世のころ、今井城という城があったと伝わっている場所なのです。

 

 赤坂に城!

 

 それだけで現在の赤坂界隈を知っている人には驚きでしょう。

 

 『日本城郭大系 5 埼玉・東京』によると、赤坂には木曽義仲の四天王の一人で、巴御前の兄である今井四郎兼平の居城があったと言いますが、遺構があるとは書いてありません。

 

 つまり、伝説だけで、遺構(城の形跡)はまったく無いということです。

 

 江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』の「豊島郡麻布領」を見ると、今井町についての記述があり、そこには「今井四郎兼平館址」が 松平安芸守の下屋敷のある箇所にあったと、地元の人が言っていると書いてあります。

 

 江戸時代の古地図を参照してみると、松平安芸守の中屋敷(下屋敷ではないが)のある場所が、現在のTBSの場所になっています。

 

 伝承にすぎませんが、TBSは城跡です。

 

今井城跡

写真1 今井城跡

 

 『紫の一本』では、斎藤実盛や源義賢の名も挙げています。

 

 今井城について『港区史』に記された内容を少し長いですが引用しますと、

 

 「『文政町方書上』は、その町名が、源義仲の臣で木曾四天王の一と言われた今井四郎兼平の居城の所在地であつたのに起るとし、当時(文政十年 一八二七)松平安芸守中屋敷となつていて兼平太刀洗いの井戸が赤坂新町四丁目俗称新店という町並の裏にあるといつている。徳川開幕以前、虎の門、溜池、青山、西の久保、麻布六本木の間のかなり広い部分を今井町と呼んだといい、兼平居城址は広大なものであつたということになるが、その当否はただすべくもない。」

 

 ということです。

 

今井城跡

写真2 今井城跡

 

 私の推測では、今井城は、渋谷氏の居城、あるいは江戸氏の庶流の居城であったと思います。

 

 渋谷氏が江戸氏の庶流という説(「畠山系図」)もありますし、『金王八幡神社社記』によると「今井」と呼ばれていたあたりは、鎌倉時代は渋谷氏の所領であったらしく、今井のすぐ北東隣は江戸氏の本貫地です(江戸氏に関しては、日枝神社のページを参照してください)。

 

 渋谷方面から続く台地は今井のあたりで終わっており、『港区史』に書かれている「青山百人町の金王丸の物見塚」はちょうど、渋谷と今井の中間地点にあたります。

 

 また、今井城跡のすぐ南東側にあったとされる西久保城も同じく渋谷氏・江戸氏関連の城郭ではないでしょうか。

 

 西久保城があったとされる辺りは、渋谷川(古川)の河口地帯を治めるのに都合のよい土地です。

 

 その渋谷川の上流には渋谷城があり、渋谷川左岸(上流から見て左側)地域が渋谷氏の所領であったのではないでしょうか。

 

 もっと言うなら、渋谷川(古川)の河口には品川や江戸と同様に「湊」があって、それを渋谷氏が取り仕切っていた可能性もあります。

 

 あ、ちょっと今井城から話がずれてしまいましたね。

 

 結局のところ、多くの中世城館跡(東京以外も含めて)がそうであるように、今井城も謎の城ということです。

 

 今井城跡を見た後は、今度は赤坂氷川神社を目指します。

 

【参考資料】

 

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