前方後円墳としては都内最古の宝莱山古墳

最終更新日:2017年12月20日

 

宝莱山古墳概要

 

ふりがな ほうらいさんこふん
住所 東京都大田区田園調布4丁目

交通 東急東横線多摩川駅下車、徒歩約10分
史跡指定 なし
現況 多摩川台公園
築造時期 3世紀後半か
関連施設 多摩川台公園古墳展示室

大田区立郷土博物館

 

墳丘

 

形状 前方後円墳 帆立貝形古墳 前方後方墳 双方中円墳 円墳 方墳 八角墳 上円下方墳
段築 1段 2段 3段 4段 5段 不明
造出 あり なし 不明
規模 97m
墳丘高 m
葺石 あり なし 不明
埴輪 あり なし 不明
登頂 可能 不可能
陪塚 あり なし 不明

 

埋葬主体

 

粘土槨

 

周溝

 

不明

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2012年10月26日(金)
天候 曇り
探訪ルート 大田区立郷土博物館 → 鵜木大塚古墳 → 扇塚古墳 → 浅間神社古墳 → 多摩川台公園古墳展示室 → 亀甲山古墳 → 多摩川台古墳群 → 宝莱山古墳 → 八幡塚古墳 → 狐塚古墳 → 御岳山古墳 → 等々力渓谷三号横穴 → 野毛大塚古墳

 

惜しくも破壊され石碑のみが残る

 

宝莱山古墳のルポルタージュは、管理人のブログ「日本史大戦略 Side-B」内で公開しています。

 

「日本史大戦略 Side-B」内「宝莱山古墳」のページ

 






 

 

 


 

 墳丘長は97mとなっており、おおよそ箸墓古墳(280m)の3分の1サイズで、前方部がバチ型に開くこともあり、宝莱山古墳の少し後に築かれたであろう白山古墳とともに、箸墓古墳をもとにその3分の1で設計された古墳ではないでしょうか。

 

 

 廻間U式は、赤塚次郎氏は西暦200年ごろから始まると考えており、そうすると3世紀前半には東海系の人びとがこちらへやってきた可能性が高いです。

 

 廻間U式は東海より東側に200年ごろから一気に拡散します。

 

 

 

 庄内U式ということは、3世紀前半のもので、『武蔵と相模の古墳』所収「多摩川流域における首長墓の様相」によれば、千葉県市原市の神門4号墳に類例が求められるそうです。

 

 

 3世紀前半の土器様式を持った伊勢湾勢力とヤマト勢力がこの地にやってきて支配し、両者の影響を受けて3世紀後半に箸墓古墳の定型フォーマットで古墳を築造。

 

 疑問点

 

 なぜ200年ごろから東海人が一気に東日本への進出を開始したのか。その動機は何か。

 

 荏原台古墳群を支えた集落はどこか。

 

 対岸の古墳群との関連は?

 

 扇塚古墳との関連は?

 

 

 

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第2回 探訪記録

 

探訪年月日 2017年12月10日(日)
天候 快晴
探訪ルート

 

惜しくも破壊され石碑のみが残る

 

















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