◆日本史大戦略◆ 西関東・北東北の史跡を踏査し歴史を考察!

鳥越神社

最終更新日:2016年12月20日

 

鳥越神社概要

 

ふりがな とりこえじんじゃ
通称
住所 東京都台東区鳥越2-4-1

祭神
境内神社
創建 康平5年(1062)
創建者 源義家
史跡・文化財指定
公式サイト

 

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第1回 探訪記録

 

探訪年月日 2011年12月7日(水)
天候 晴れ
探訪ルート 銀杏岡八幡神社 → 須賀神社 → 榊神社 → 鳥越神社 → 三島神社 → 黒船稲荷神社 → 駒形堂 → 浅草寺 → 浅草神社 → 日輪寺
同道者 なし

 

 

榊神社を出て、路地裏を歩き北西方向の鳥越(とりこえ)神社へ向かいます。

 

 歩いていると分かるのですが、この辺はまったく地形に起伏がありません。

 

 しかし、中央区や江東区の海を埋め立てた場所とはまた違う感触を足元から感じることができ、言ってみてればこちらの起伏のなさからは「温もり」が感じられます。

 

 それもそのはず、この鳥越の地は、昔は丘陵があったのです。

 

 『日本武尊の東征伝説』によると、浅草御蔵(江戸幕府の米蔵)建置のときに山は取り崩されたといい、『台東区史 通史編T』によると、古墳があったという説があるそうです。

 

 このあたりの古墳で有名なのは、上野公園の摺鉢山古墳ですが、摺鉢山古墳ほど大きな古墳でなかったとしても、古墳時代、鳥越の地には古墳を造営できるほどの権力者が住んでいたということになります。

 

 蔵前橋通りに出ると、通りに面して鳥居が立っていました。

 

鳥越神社鳥居

写真1 鳥越神社鳥居

 

 鳥越神社はかつては「白鳥の社」と呼ばれおり、境内と外との境の溝には「白鳥橋」が架かっています。

 

白鳥橋

写真2 白鳥橋

 

 白鳥橋を渡って境内に入ると、社殿がありました。

 

写真3 久國神社参道

 

写真4 久國神社参道

 

写真5 久國神社参道

 

写真6 久國神社参道

 

写真7 久國神社参道

 

 

 

 鳥越神社です。

 

 

 

鳥越神社社殿

 

写真3 鳥越神社社殿

 

 鳥越神社もヤマトタケルゆかりの神社です。

 

 ヤマトタケルは東征のおり、鳥越の里にしばらく駐留し、周辺の悪者を退治しました。

 

 そのことにより後年、白雉2年(651)になって土地の人びとがヤマトタケルの徳を慕い、「白鳥明神」として斉祀しました。

 

 相殿の天児屋根命は藤原氏の祖神ですが、仁明天皇の御代(810〜50)、武蔵国の国司として赴任してきた「藤原氏の人」が祀ったものです。

 

 その「藤原氏の人」が具体的に誰だったかは分かりません。

 

 鳥越(とりこえ)の地名の由来は、『御府内備考』によれば前九年の役(1051〜62)の際にこの地を通過した源頼義・義家父子が、隅田川を越える白鳥の姿を見て、白鳥大明神鎮座ゆかりの地と思い合わせて、「鳥越」と命名したという伝説が元になっています(『台東区史 通史編T』)。

 

 境内神社は、福寿神社と志志岐神社があり、福寿神社は、倉稲魂命・大黒天・恵比寿天・菅原道真公が祀られています。

 

 

福寿神社

 

写真4 福寿神社

 

 一方の志志岐神社というのは珍しい神社で、私も初めて聞いたのですが、対馬の神社だということです。

 

 

志志岐神社

 

写真5 志志岐神社

 

 祭神は豊玉姫命です。

 

 寛永年間(1624〜44)に対馬藩主宗氏の藩邸が台東1丁目2番辺りにあり、そこにあった社が遷されてきたものだそうです。

 

 なお、鳥越神社はヤマトタケルが奉献した玉を、榊神社はヤマトタケルの鏡を、熱田神社には剣を御神宝にするといわれ、古代には三社が現在の鳥越神社の場所に並んで鎮座していたといいます(『日本武尊の東征伝説』)。

 

 ちなみに、鳥越の隣にある蔵前の地名の元になっている江戸幕府の浅草御蔵は隅田川に架かる蔵前橋のたもとにありました。

 

 次は、三島神社に向かいます。

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『東京都神社名鑑 上巻』 東京都神社庁/編 1986年

 

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