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幻となりかけている中世江戸氏の姿が垣間見られる神社・山王日枝神社

最終更新日:2016年4月23日

 

山王日枝神社概要

 

ふりがな さんのうひえじんじゃ
通称 山王さん
住所 東京都千代田区永田町2-10-5

祭神
  • 大山咋神(おおやまくいのかみ)
相殿
  • 国常立神(くにのとこたちのかみ)
  • 伊弉冉神(いざなみのかみ)
  • 足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)
境内神社
  • 山王稲荷神社(祭神:倉稲魂神<うかのみたまのかみ>)
  • 八坂神社(祭神:素盛鳴神<すさのおのかみ>)
  • 猿田彦神社(祭神:猿田彦神<さるたひこのかみ>)
創建 平安時代末期
創建者 江戸重継
史跡・文化財指定
公式サイト http://www.hiejinja.net/

 

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第2回 探訪記録

 

探訪年月日 2011年9月22日(木)
天候 曇り時々雨
探訪ルート 東京都千代田区立四番町図書館 → 平河天満宮 → 山王日枝神社 → 今井城 → 赤坂氷川神社 → 久國神社
同道者 なし

 

非常にセレブな感じがする境内

 

 平河天満宮を出て、南を目指します。

 

 微妙に雨が降ったり止んだりして、気持ちが悪い天気です。

 

 日本国の枢要に近づくと、道の端々には徐々に国家権力の人びとの姿が目につき始めます。

 

 おまわりさんたちです。

 

 カメラを首からぶら下げているのが怪しいのか、そもそも私の挙動自体が怪しいのか分かりませんが、ついにおまわりさんに声を掛けられました。

 

 「通行ですか?」

 

 変なことを聴きますね。

 

 「いいえ、国家機密を探りに来ました」

 

 永田町駅の交差点は、たまに国会図書館に来るので見覚えのある景色です。

 

 交差点を直進し、左手の国会議事堂を撮ります。

 

国会議事堂

写真1 国会議事堂

 

 「国会裏」のT字路を右折すると緩い下り坂になり、前方のビルの間に森が見えてきました。

 

前方には社叢

写真2 前方には社叢

 

 あそこが日枝神社でしょう。

 

 近づくと、「官幣大社日枝神社」というでかい石柱が立っていました。

 

官幣大社日枝神社

写真3 官幣大社日枝神社

 

 官幣大社ですよ!

 

 官幣大社というのは戦前の神社の格式で最高レベルの神社です。

 

 石柱の前から左手へまわります。

 

鳥居

写真4 鳥居

 

 石段を登ると、随神門が見えてきました。

 

随神門

写真5 随神門

 

 立派な随神門ですねえ。

 

日枝神社の額

写真6 日枝神社の額

 

 随神門をくぐると、砂利が敷かれた広い境内が展開しました。

 

 拝殿に進みます。

 

拝殿背後のビルヂングが景観を損ねている?

写真7 拝殿背後のビルヂングが景観を損ねている?

 

 日枝神社は、最初は平安時代末期に江戸重継が自らが居する江戸の館内に勧請したのが始まりだといいます。

 

 その後、太田道灌が江戸城を築城した際(江戸城完成は文明9年(1477)頃)に、江戸城内本丸北側の梅林坂に遷り、さらに天正18年(1590)の徳川家康入部後には秋葉山に再遷、3代将軍家光のときに今度は半蔵門外の現在の最高裁判所がある場所に遷りました。

 

 江戸城本丸から見ると、裏鬼門に当たりますね。

 

 しかし4代将軍家綱の治世の明暦3年(1657)に起きた明暦の大火に会い社殿を焼失、万治2年(1659)に現在地(星ヶ岡)に遷ってきました。

 

 やはり江戸城から見ると、裏鬼門の位置です。

 

拝殿

写真8 拝殿

 

 最初に日枝神社を江戸に勧請した江戸氏は秩父一族で、先祖は桓武天皇です。

 

 桓武の曾孫の高望王が臣籍降下(家臣化)し、平姓を称し、良文に続きます。

 


               平
 桓武天皇―――葛原親王―――高見王―――高望王―+―良持―――将門
                         |
                         +―良文

 

 上記の系図の通り、良文の兄良持の子が平将門です。

 

 上述の流れが桓武天皇から平将門までの系譜となり、通説ではこのように信じられています。

 

 しかし現在私は、まだ明確に論拠を提示することはできないですが、将門は桓武天皇の後裔ではないと考えています。

 

 良文の子忠頼が秩父氏の祖となり、忠頼の孫武基・武常兄弟のときに牧を基盤として著しい発展をしました。

 

 そして、秩父重綱の第四子重継が荏原郡内の江戸の地に根拠地を設け、江戸氏を称します。

 

 それは12世紀の初頭のことです。

 

      秩父                       河越
 良文―――忠頼―――将常―――武基―――武綱―――重綱―+―重澄
                             |
                             | 江戸
                             +―重継

 

 重継の兄重澄は河越庄(埼玉県川越市)を領し河越氏と称しており、河越庄には後白河上皇の庄園があり後白河上皇が勧請した新日吉社の分社がありました。

 

 その河越の新日吉社をさらに江戸重継が江戸に勧請したといわれており、それが当所日枝神社の始まりです。

 

 重継の母は東京多摩地区に勢力を張った横山党小野氏の女で、叔父の河崎基家も荏原郡(23区南西部)に勢力を張っており、重継は、母の実家と叔父基家の勢力を背景として、江戸湾を望む要地である江戸に居館を設け、荏原・豊嶋両郡の地に勢力を扶植しました。

 

拝殿

写真9 拝殿

 

 さて、境内には以下の三つの末社があります。

 

  •  山王稲荷神社(祭神:倉稲魂神(うがのみたまのかみ))
  •  八坂神社(祭神:素盛鳴神(すさのおのかみ))
  •  猿田彦神社(祭神:猿田彦神(さるたひこのかみ))

 

 拝殿は共通となっています。

 

境内三社拝殿

写真10 境内三社拝殿

 

 拝殿の中を通りぬけると、本殿の前に出られます。

 

 向かって左は山王稲荷神社。

 

山王稲荷神社

写真11 山王稲荷神社

 

 右手は八坂神社と猿田彦神社の合祀です。

 

八坂神社と猿田彦神社の合祀

写真12 八坂神社と猿田彦神社の合祀

 

 猿田彦神社の祭神であるサルタヒコは、日本神話界の女性トップスター・アメノウズメとは夫婦なのですが、その馴れ初めについては、久國神社のページをご覧ください。

 

 参拝を終えて、帰りは山王稲荷神社の参道を通って西側に抜けることにします。

 

山王稲荷神社鳥居

写真13 山王稲荷神社鳥居

 

 石段を下って外堀通りに出ると立派な鳥居が建っています。

 

立派な鳥居

写真14 立派な鳥居

 

 なんかすごく富裕層の神社っていう感じがしますね。

 

富裕層の神社

写真15 富裕層の神社

 

 さらに少し歩くともう一ヶ所の入り口にも立派な鳥居が。

 

もう一つ立派な鳥居

写真16 もう一つ立派な鳥居

 

 重継の子重長は『吾妻鏡』に登場し、それによると、源頼朝の挙兵時、重長は秩父氏の嫡流である河越太郎重頼とともに秩父氏一族畠山重忠(こちらも同じく秩父氏嫡流と称する)の求めに応じ、頼朝に味方した三浦介義明を討ち取りました。

 

 畠山重忠は武蔵国の検校職だったといわれており、重忠が職権で重長らの軍勢を集めて頼朝を討ったと考えられます。

 

 そのあと頼朝は、房総半島から下総へ攻め、東京低地(下町)を渡ろうとし、江戸氏を味方にしようと勧誘しましたが、江戸重長は味方にならず、ついに頼朝はしびれを切らし武蔵へ侵攻、それによりようやく重長は畠山重忠や河越重頼とともに、頼朝の陣に参じました。

 

 『義経記』によると、江戸太郎の名は、「(関東)八箇国の大福長者」として近隣に聞こえていたといいます。

 

 それから何代か後の江戸氏は、畠山氏の重長(前述の重長とは別人)が継ぎ、『畠山系図』によると、重長には以下の通り7人の子がいたといいます。

 

  • 江戸太郎重盛(千代田区江戸)
  • 木田見次郎氏重(世田谷区喜多見)
  • 丸子三郎家重(大田区・川崎市丸子)
  • 六郷四郎冬重(大田区六郷)
  • 柴崎五郎重宗(千代田区)
  • 飯倉六郎秀重(港区飯倉)
  • 渋谷七郎元重(渋谷区渋谷)

 

 上記の兄弟は太郎から七郎まできれいに揃っているので逆に不審に見えますが、上記以外にも江戸氏は、浅草・石浜・千束・金杉(以上台東区)、牛島(墨田区)、小日向(文京区)、桜田・国府方(以上千代田区)、鵜ノ木・原・蒲田(以上大田区)、中野(中野区)、阿佐ヶ谷(杉並区)などにも所領を拡大していきました。

 

 ところで、ここ山王日枝神社の地形は、独立状の丘となっており、中世の江戸城の西南側の防御拠点として好適です。

 

 ここ星ヶ岡が防御拠点だったという伝承は聞いたことがありませんが、日枝神社を砦として活用する意図があったかもしれません。

 

 さて、相変わらず雨が降ったり止んだりで、スッキリとしません。

 

 そんな中、次は赤坂の今井城へ向かうことにします。

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 『江戸氏の研究』 萩原龍夫/著 1977年
  • 『東京都神社名鑑 上巻』 東京都神社庁/編 1986年

 

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