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近世甲斐国の統治拠点・甲府城

最終更新日:2015年5月19日

 

前回の記事はこちら

 

 2014年10月12日、『戦国甲斐武田氏の興隆と滅亡の軌跡を追う』の2日目。

 

 昨日は、岩殿城跡要害城跡新府城跡を探訪し、甲府市内のMさんの家に泊まりました。

 

 私は数ヶ月前から目覚ましがなくても6時とか7時に起きてしまえるようになっているので、昨日は2時過ぎに寝たにもかかわらず、6時に目が覚めてしまいました。

 

 二人はまだ寝ているので、私も二度寝します。

 

 そして7時半くらいになり起床し、朝の支度を済ませると、粟村さんとMさんが起きてきました。

 

 Mさんは日曜日だと言うのに今日も仕事があるということで、遊びに行く私と粟村さんに向かって「いいなあ」と言いながら寂しげに自転車にまたがると出勤して行きました。

 

 ちなみにMさんの会社では自転車で通勤してくる人はMさんただ一人で、一応、自転車置き場はあるのですが、当然ながら止まっているのはMさんの自転車だけで、周りからは「変わった人」だと思われているみたいだと言っていました。

 

 山梨の人は基本、車生活ですからね。

 

 さて、我々も二日目の探訪を開始しましょうか。

 

 

探訪データ
探訪年月日 2014年10月12日(日)
天候 晴れ
同道者 粟村さん
探訪ルート 【10月11日】 岩殿城跡 → 要害城跡 → 新府城跡
【10月12日】 甲府城跡 → 躑躅ヶ崎館跡 → 恵林寺 → 雲峰寺 → 景徳院

 

甲府城跡概要
ふりがな こうふじょう
別名 府中城・一条小山城・舞鶴城・赤甲城
住所 山梨県甲府市丸の内1ほか

史跡指定 県指定史跡(昭和43年<1968>指定) 史跡名称:甲府城跡(こうふじょうあと)
現況 舞鶴城公園・甲府市歴史公園
規模/比高 東西約400m×南北約700m/東側:72m・西側:150m
目で見られる遺構 曲輪・石垣・天守台・櫓台・門
復元遺構 稲荷櫓・
存続時期 天正10年(1582)〜明治6年(1873)
城主・城代・関係者 平岩親吉(城代)・羽柴秀勝(城主)・加藤光泰(城主)・浅野長政(城主)・浅野幸長(城主)・平岩親吉(再度城代)・徳川義直(城主)・徳川忠長(城主)・徳川綱重(城主)・徳川綱豊(城主)・柳沢吉保(城主)
城攻めの記録  

 

整備が続く「駅チカ」の城

 

 今日の行程は、甲府駅前の甲府城跡(舞鶴城)に向かい、それから昨日訪れた要害山城跡の麓にある「要害山温泉」に入り、お昼はMさんのお薦めの寿司屋でランチを食べ、帰路に武田家ゆかりのお寺をいくつか参拝して武州八王子へ戻る予定です。

 

 コンビニで朝ごはんを済ませ、甲府城跡近くのコインパーキングにやってきました。

 

 甲府城跡には無料の駐車場は障害者用や団体バス用以外には無いようです。

 

 車を降りて早速登城します。

 

 ちなみに甲府城跡に来るのは今日で3度目です。

 

 最初に来たのは2002年7月27日で、そのときはカミさんともうすぐ3歳になろうとする娘と一緒に来ました。

 

娘

写真1 娘

 

 こんなチビチビだった娘はもうじき高校受験ですが、私と同じでまったく学校の勉強に興味が無いので、さてどうなることでしょう。

 

 まあ、高校がどうのとか、最悪行かないとしても好きなことや得意なことを集中してやっていれば人生は何とかなるのでまったく心配はしていません。

 

 そうえいば当時は娘は電車の走行音が大嫌いでした。

 

 駅のホームで待っているときに、電車が通過すると必ず耳を押さえるので、それが面白くて狙ってよく写真を撮っていました。

 

娘

写真2 娘

 

 上の写真の201系の中央線が懐かしいですね。

 

 あの日はかなり暑い日で、八王子も暑い方だと思いますが、甲府はさらに暑かった印象があります。

 

 でも今日は年間で最も気候の良い時期。

 

 ただし曇天なのが残念です。

 

 その次は、遠野のとらねこさんと一緒に2004年4月17日に、身延山や南部氏関連の城跡をめぐった後、ホテルを取っている甲府に戻ってきて、飲みに入る前に少し散歩しました。

 

 そんなわけで、今回の旅のテーマである「戦国甲斐武田家」からはちょっとずれてしまいますが、甲府城跡は地道に復元や整備を行っているようなので、10年ぶりに訪れる甲府城跡はどのような変貌を遂げているか楽しみにして来てみました。

 

 粟村さんも甲府城跡に来るのは久し振りだと言っています。

 

 さて、駐車場を出て少し歩くと、さっそく「近世城郭」が見えてきました。

 

甲府城跡

写真3 甲府城跡

 

 北側から現在の「舞鶴公園」に入ります。

 

甲府城跡

写真4 甲府城跡

 

 いやー、非常にきれいな感じに整備されていますねえ。

 

 稲荷曲輪を歩いて行くと右手に天守台が見えます。

 

天守台

写真5 天守台

 

 あれ、こんな大きかったっけ?

 

 前回来た以降は、盛岡城跡の天守台を何度か見てそのイメージがついていたため、甲府城跡の天守閣はやたらに大きく見えます。

 

 稲荷曲輪には、前回来た時にはまだ復元されていなかった稲荷櫓がありました。

 

稲荷櫓

写真6 稲荷櫓

 

 稲荷櫓は、寛文4年(1664)に建築された当初の姿で復元したそうです。

 

 稲荷櫓の石垣には線刻画が掘られているものがあり、工事の安全を祈願した「まじない」と考えられているそうです。

 

石垣の線刻画

写真7 石垣の線刻画

 

 稲荷櫓の中は資料館になっていて、甲府城跡について概要を知るにはまずここに来ると良いですね。

 

 復元ジオラマもありますよ。

 

復元ジオラマ

写真8 復元ジオラマ

 

 ちなみに舞鶴公園の現況図はこんな感じです。

 

現況図

写真9 現況図

 

 舞鶴公園の広さは6.2haですが、往時の甲府城は20haありました(上の復元ジオラマが往時の甲府城です)。

 

 稲荷櫓から天守台を望みます。

 

稲荷櫓から天守台

写真10 稲荷櫓から天守台

 

 ではあの天守台に登ってみましょう!

 

 天守台を下から見上げると、それはまさしく「甲州城壁癖」。

 

甲州城壁癖

写真11 甲州城壁癖

 

 天守台に登り四周を見渡すと、甲府盆地が一望できます。

 

 でも今日はこの天気。

 

 残念ながら盆地を取り囲む山々の遠くにある高山ははっきり見えません。

 

 おや!

 

 なんか線路を挟んで向こう側にも何かありますよ!

 

山手御門

写真12 山手御門

 

 あとで行ってみましょう。

 

 天守台から昨日行った要害山城跡方面、つまり戦国武田氏の本拠地方面を眺めると、非常に残念な景色でした。

 

 というのも・・・

 

非常に残念な景色

写真13 非常に残念な景色

 

 粟村さんも「あれ、邪魔ですねえ!」と思わず叫びます。

 

 いや、住んでいる方には申し訳ないのですが、上のタワーマンション、かなり景観を損ねています。

 

 いや本当に、住んでいる方には何の罪もありませんので、気になさらないでください。

 

 いやいや本当に・・・

 

 他の近世城郭と同じように、甲府城跡においても以前から天守閣の復元を望む声が多くあがっています。

 

 ただし、「復元」というのが微妙なところで、従来の研究では天守台のみで天守閣は建てられなかったと考えられているのです。

 

 ただ、最近の調査でどうやら何かしら高層の建物があったらしいことも分かってきたようで、この辺に関しては私は詳しいことは分かりません。

 

 天守台への登り道には城門の礎石が残っています。

 

城門の礎石

写真14 城門の礎石

 

 ちなみに最近私は礎石好きになっています。

 

 礎石って良いですよねえ!

 

 先日、しゃけさんと飲んだ時に、「一般の人は具体的に建物が無いとダメだが、我々の場合は礎石を見ただけでその上に建っていた建物がイメージでき、往時の景観に浸ることができる」という話をしました。

 

 そこまで行ければマニアですよ。

 

 天守台から降りて本丸を歩き、南側を守る「鉄門(くろがねもん)」の前に来ました。

 

 鉄門の2階には入れるようになっていますが、今の時点ではまだ中は空っぽです。

 

 展示とか無理にせずに、小規模なセミナー室とかに使った方が良いような気がします。

 

 鉄門を外側から見るとこんな感じ。

 

鉄門

写真15 鉄門

 

 私は近世城郭の場合、とくに門を見るのが好きです。

 

 枡形との組み合わせになるとさらにグッドです。

 

 舞鶴公園の西側には武徳殿があります。

 

武徳殿

写真16 武徳殿

 

 南側には水堀があり、やはり近世城郭の堀はでかいですね。

 

水堀

写真17 水堀

 

 鍛冶曲輪を東に向かって歩きながら左手の本丸を見るとかなり高低差があります。

 

本丸を見る

写真18 本丸を見る

 

 この高低差は人工的なものではなく、もともとこの地には一条小山という丘があって、鎌倉時代には武田信義の子・一条忠頼の居館がありました。

 

 忠頼は源頼朝の甲斐源氏粛清の一環で殺害されますが、『甲斐国志』によれば、未亡人が本丸の下から鍛冶曲輪の辺りに一蓮寺という尼寺を創建しました。

 

 ただし、『戦国の猛虎 武田信玄』所収「甲斐源氏のふるさと」(秋山敬著)によれば、忠頼の跡は甥の信長が継ぎ、さらにその孫の時信のときに時宗2世・他阿真教が甲斐に立ち寄り、時信は弟・宗信を真教の弟子とした上で、宗信(朔日上人)を開山とし、自らが開基となって一連寺を創建したといいます。

 

 正和元年(1312)のことで、忠頼未亡人の話と100年以上の開きがありますね。

 

 実際はどうなんでしょうか。

 

 一蓮寺はその後も存続しましたが、『高白斎記』によると、大永4年(1524)6月16日に一条小山の砦が完成したということなので、おそらくそれより少し前に一蓮寺は麓に移転したと考えられます。

 

 一条小山の砦は武田氏の本城である躑躅ヶ崎館の南側における防御拠点の役割を担い、武田氏が滅亡した後、3ヶ月間くらい織田信長の家臣・河尻秀隆が統治しており、その後徳川が入ってきた段階でもまだ一連寺はありました。

 

 徳川の統治下になると甲府城の築城が開始されたので、一蓮寺は現在地である城の北側の太田町5丁目に移転し、現在でも法灯を伝えています。

 

 近世城郭である甲府城は、自然地形を最大限使って、その上に惣石垣の城を作り完成したので、現在見られる高低差は往時の一条小山の名残があるはずです。

 

 ところで昔からそうなんですが、「私は城が好きで・・・」と人に話すと、ほとんどの人はこういう舞鶴城みたいな近世城郭を想像するようです。

 

 しかし私は戦国時代の城が好きなので、「いや、そうじゃなくて・・・」と毎回面倒くさい説明をすることになります。

 

 「山の中を掘って堀を作って、その土で土盛りをして、斜面を急角度に削ったりして、関東の場合は立派な石垣も無くて、熊本城とか姫路城みたいな天守閣もなかったんですよ」とか話すと、「あー、山の中の砦みたいなものですね」とか言われます。

 

 そういえば、「あー、インターチェンジのそばとかにあるやつですか」と言った人もいました。

 

 確かにお城風のものもありますが・・・

 

 当然それはそれはジョークで言ったと思われるので良いとして、舞鶴城みたいなお城も良いとは思いますが、近世城郭は「見せる城」であって、「戦う城」という感じがしません。

 

 もちろん城主を守るわけなので、戦いに関する機能も備えているわけですが、戦国時代の山城の場合は、「殺すために攻めてきた相手を逆に徹底的に殺し返すための仕掛け」が凄まじく、そういう物騒なところに惹かれるわけです。

 

 物騒なところに惹かれるというと不気味な感じがしますが、戦国時代の山城の場合は、敵が攻めてきた場合は地域住民も収容して、彼らの生命と財産を守る役割を持っています。

 

 城主や侍身分の者だけでなく、地域住民全体にとって「生きるか死ぬか」の非常にシリアスな世界が展開されていたのが戦国時代の山城なわけです。

 

 なんてことを粟村さんと話すと、粟村さんも中世城郭派なので賛同を得ることができました。

 

 それでは、さっき天守台の上から見た、甲府駅の反対側の場所へ行ってみましょう。

 

 舞鶴城公園の北東側の踏切を渡って歩くて行くと、「甲州夢小路」という江戸時代の城下町風な一画があり、食べ物屋さんなどが並んでいます。

 

 なかなか雰囲気があって楽しい界隈です。

 

 でも今日は先を急ぐので探索はまた今度ということで、例の場所につきました。

 

山手御門

写真19 山手御門

 

 ここも前に来た時にはありませんでした。

 

 ここは「山手御門」で、甲府城に3ヶ所あった門の内、甲府城の北側、その名の通り山手方面との出入りをするための門でした。

 

 お、枡形プラス城門の組み合わせ、良いねえ。

 

枡形プラス城門

写真20 枡形プラス城門

 

 「山手御門」の建物の中にも入れるようになっており、中にはヴィデオやミニ展示があります。

 

 パンフレットによると、「舞鶴公園」の方は、県指定史跡で主として山梨県が管理し、こちらの「山手御門」は「甲府市歴史公園 甲府城山手御門」という名称で、「NPO法人 甲府駅北口まちづくり委員会」が指定管理者となっています。

 

 ここでも地元のボランティアの方々が頑張っておられるのですね。

 

 私もこういう活動は最大限応援したいと思っています。

 

 さて、それでは車に戻りましょうか。

 

 線路の上を渡る橋から甲府城跡を眺めます。

 

甲府城跡

写真21 甲府城跡

 

 全国の近世城郭は、結構駅から少し歩いたところにあったりするのですが(明治時代に鉄道を敷設するときの事情が影響している)、甲府城跡は甲府駅のすぐそばにあって、非常にアクセスが良いです。

 

 お城があることも影響してか、駅周辺の雰囲気はすごく良いですね。

 

 腕時計を見ると時刻は10時10分。

 

 「要害山温泉」は11時開店ということなのでまだ時間はありますが、とりあえず向かいましょうか。

 

 

つづきの記事はこちら

 

【参考資料】

  • 現地説明板
  • 現地配布パンフレット
  • 『日本城郭大系8 長野・山梨』 磯貝正義ほか/著 1980年
  • 『新府城と武田勝頼』 山梨県韮崎市教育委員会/編 網野善彦/監修 2001年
  • 『武田勝頼のすべて』 柴辻俊六・平山優/編 2007年
  • 『武田氏年表』 武田氏研究会/編 2010年

 

管理人は山梨県内では以下の歴史スポットも訪れています。

 

岩殿城 (大月市) ・・・ 甲斐郡内地方最強の城郭

躑躅ヶ崎館 (甲府市) ・・・ 武田信虎・信玄・勝頼三代の居城

要害城 (甲府市) ・・・ 信玄が生まれた躑躅ヶ崎館の詰城

甲府城 (甲府市) ・・・ 近世甲斐国の統治拠点

新府城 (韮崎市) ・・・ 戦うことなく自落した武田氏城郭の最高峰

恵林寺&雲峰寺&景徳院 (甲州市) ・・・ 戦国甲斐武田氏ゆかりの寺院

 

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